日本語版『林語堂全集』を目指して

林語堂の政治思想(2)合理主義批判と常識(情理)の擁護



人類の理想世界は、合理的世界ではない、またいかなる意味でも完全な世界ではない。それは、不完全さがすぐさま認識され、争いがうま味をもって解決される世界であろう。率直にいえば、それこそ人類の望みうる最善のものであろう。またわれわれがあれこれと考えたあげく、あまり無理もなく実現しうる最高の夢である。そのなかには、つぎのようなものが含まれているように思う――思考の素朴さ、哲学の陽気さ、中庸文化を可能ならしめる繊細な常識[1]。


 ―林語堂―


 


1. はじめに


 


 林語堂の政治思想体系には、いくつかの柱がある。(1)儒家・老荘・法家思想をはじめとする中国哲学、(2)婦人論・家族論、(3)比較社会論、(4)言論の自由、(5)共産主義批判などである。これらの柱によって彼の政治思想は支えられているが、さらにこの建造物の基層となる土台には、合理主義批判がある。見方を変えれば、この合理主義批判からすべての柱は生まれているとも言える。


 そこで、本稿では、林語堂の政治思想の哲学的基礎を把握するために、『中国=文化と思想』(原題:My Country and My People,1935)、『人生をいかに生きるか』(原題:The Importance of Living,1937)、『自由思想家・林語堂』所収の「東西思考法の相違」(1968)などから、合理主義批判に該当する部分を抽出し、論旨を再構成していくこととする。


 


2. 東西思考法の相違―論理と常識との対立―


 


 林語堂は、キリスト教の牧師の子として生まれ、米ハーバード、独ライプチヒ両大学において言語学を学んだ「近代西洋文明の申し子」であった。同時に、世界に対して祖国の民族・歴史・文化を擁護し、その復興をめざそうとする「生粋の中国人」でもあった。その彼が、長い思索を経てたどり着いた1つの結論は、両文明の思考法が異なるということであった。すなわち、「西洋の学問と東洋の学問、この二つの学問の型は、さかのぼれば結局論理と常識との対立に帰着する」[2]というのである。


 林語堂はそのことを、さらに羅列的に次のように述べている。


 


   要するに、中国は実践を重んじ、西洋は推理を重んずる。中国人は感情を重んじ、西洋人は論理を重んずる。中国哲学は立身安命を重んじ、西洋人は客観的理解と解剖を重んずる。西洋人は分析を重んじ、中国人は直観を重んずる。西洋人は求知を重んじ、客観的な真理を求める。中国人は求道を重んじ、実践すべき道を求める。このようなことはすべて、思考法の相違に基づくのである。(『自由思想家・林語堂』137~139頁)


 


 こうした思考法の相違からは、異なった文化の在り方、社会の在り方が生まれてくる。西洋では、帰納推理や演繹推理が発達し、その分析的論証は事物を分割して真理を探索するため自然科学においては目まぐるしい成果を上げることができる。


 これに対して、常識や直観を重んじて論理を軽視する中国では、大自然のメカニズムを科学的に証明することはできないが、逆に、事物を死んだ部分としてではなく、生きた全体として捉えることができる。一見したところそれは「推理が十分精細でなく、論理もあまり厳密でなく、格言的な論断が多くて、推理的な論証が少ない」が、「読者の体得にまかせる」[3]ため、極端に現実離れするということはない。


  両者は、本来補完するものである。なぜなら、「常識を失った論理は非人間的に」なり、「論理を喪失した常識は大自然の神秘を極めることができなくなる」[4]からである。しかし、西洋近代の衝撃を受けた老大国中国の多くの知識人にとっては、中国の常識に西洋の論理を接ぎ木するということは、あまりにも手緩いように映ったに違いない。寧ろ西洋の論理によって、中国の古い慣習を打ち砕くことこそが、当時の"常識"であったのかもしれない。


 だが、西洋の論理重視の思考法の長所も短所もわかっている林語堂は、そうした過激主義者たちに対し、自然科学と社会科学を峻別するよう求めた。そして、論理という利器が前者の領域を超えて後者の領域に侵入してくることの恐ろしさについて、次のように述べて世に警鐘を鳴らした。


 


西洋の論理は思考の利器であり、自然科学における音響学・光学・化学・電気などの分野では、目を見張るような成果を挙げている。〔...中略...〕しかし、論理という利器は、また危険でもある。これを自然科学に適用すれば、到るところ効果のあがらぬということはない。しかしこれを人類社会の安身立命の道に用いるならば、「行うことができない」ということになる。およそ人倫の根本、天地の和、四季の美、男女の愛、父子の情、家庭の楽しみなどは、みな論理で推知したり弁論で実証したりすることのできないものである[5]。


 


3. 合理主義を政治に適用することの弊害


 


 上記に列挙された社会事象が、いわゆる「社会科学」と称される論理によって証明され得ないものであるとするならば、「諸学の王」とも言われる「政治学」に対して合理主義を適用することも誤りである。合理主義とは、人間が自らの理性によって論理的に正しいと判断できるものだけを善であるとするイズムである。したがって、そこから捨象される一切は悪となる。ところが、政治からそのような悪を取り除けば善だけが残るのかといえば、その取り除かれた小さな悪によって抑えられていたより大きな悪が噴出してこないとも限らない。それは、合理主義的思考によって判断することはできない。


 この誤れる思考法は何に依拠するかといえば、言葉である。言葉は論理の集合体であり、その世界に閉じこもることは現実から遊離することを意味する[6]。そのことを、林語堂は次のように批判する。


 


人間が言葉を愛することは無知に堕ちる第一歩であり、定義を愛することはその第二歩である。分析がこまかくなれば定義はますます多くなるし、定義が多くなればますます不可能な論理的完成に赴くことになるが、かような努力は無知のしるしにすぎない[7]。


 


 林語堂の名を世界に広めた『My Country and My People』が出版されたのは1935年であり、まさに世界情勢は「不可能な論理的完成」によって導かれていた。ファシズムにせよ共産主義にせよ、純粋な論理上においては正しかった。だからこそ、民衆は盲信したと言える。バランス感覚を持った中庸的な"常識"から考えれば明らかに誤りであるにもかかわらず。そうした時事問題についても、林語堂は冷静に次のように洞察する。


 


中庸の態度の実践が西洋人にはきわめて難しいであろうことは、西洋の理論が極端であると東洋人が考えることからもよく説明されている。西洋人は実に簡単にナショナリズム、ファシズム、社会主義、共産主義など、主義の奴隷になりやすい。こうした主義はすべて過度に膨れ上がった産業主義により生み出されたものであり、国家は個人のために存在しているのであって、その反対ではないということが忘れられている[8]。


 


 ここでは、極端な論理が政治に適用された実例として西洋だけを取り上げているが、中国の歴史においてもそれがなかったわけではない。実例として、林語堂は始皇帝(あるいは思想家商鞅)、漢の武帝、新の王莽、北宋の王安石らの4つの大きな政治的実験を挙げている。


 


四千年にわたる中国の歴史のなかで、全体主義・国家資本主義・社会主義、および徹底的社会改革による、四つの大きな政治的実験が試みられたが、それらはことごとく惨めな失敗に終った。〔...中略...〕しかし、これらの四つの偉大な新実験では、どの場合も、その理念は、過去の完全な破壊を喜び、信念の力強さと偉大な決断力を備えた、独創的思想家から生れた。〔...中略...〕注意しなければならないことは、全体主義理論が遂行されるときには、古今を問わず、必ず国家と人民の利益のためにという基本的アピールがあったということである。歴史上において、「人民」の名の下に、どれだけ多くの政治的罪悪がなされてきたか、現代の読者にはよくわかるであろう[9]。


 


 ここで、林語堂はことの確信に述べている。論理的に正しければ、つまり「人民のために」という目的が正しければ、何をしてもよい、という結論が、合理主義からはしばしば導き出されるということである。それは、洋の東西を問わず、ある一定の条件において政策レベルで実行されれば、時代と場所とを問わず政治に荒廃をもたらす。そのことは、歴史が証明している。林語堂の置かれた時代背景からすれば、そこには「再び同じ過ちを犯してはならない」という悲壮な叫びがある。


 同時代人の中国人に対してそうした警鐘を鳴らしてはいるものの、上記の4つの事例を除けば、本来中国においては合理主義的思考は反主流であった、という確信が林語堂にはあった。だから、中国思想の伝統に対しては、彼は安心感を持っている。それに対し、西洋思想では、合理主義が思想の伝統をなしている。「論理的思考を重んじる人間は平衡を喪失」[10]するという観点からすれば、それはあまりにも「危険な思想」である。では、「客観的真理は、真理でありさえすればよいのだから、たとえ人から遠ざかっても」[11]構わないとするその「危険な思想」の源流は何処に存するのか。林語堂の合理主義批判は、西洋哲学の源流にまで及ぶ。


 


4. 西洋合理主義の源流


 


 林語堂は、実に多くの西洋哲学の大家たちを嘲笑している。プラトン、アリストテレス、デカルト、ルソー、ヘーゲル、マルクスなど、枚挙にいとまがない。その批判の骨子は合理主義批判に他ならず、特に現代思想の迷妄を直接導くことになってしまった「犯人」として、プラトン、アリストテレス、デカルトを挙げている。


 まずは、プラトンとアリストテレスについてであるが、以下のように批判している。


 


アリストテレスとプラトンは驚くほど現代的である。だがそれは古代ギリシア人が現代人に似ていたからではなく、まさしく彼らこそが現代思想の祖であったからである。アリストテレスには人間的なものの見方考え方があり、中庸説をとっていたところもあるが、てっきり現代的教科書書きの祖父というべき人物であって、医学、植物学、倫理学、政治学にいたるまで、知識をたくさんの区画に切り離してしまった最初の人である。彼はまた、避けられえぬことではあったろうが、普通人にはまるでわかならぬばかげたアカデミックなたわごとを口にしはじめた最初の人物でもある。しかし、たわごとの盛んなことにかけては、とうてい今日のアメリカの社会学者、心理学者にかないっこはない。


   プラトンは真の人間的洞察力をもっていた人であるが、彼とても、新プラトン学派に見られるような、観念や抽象的概念の崇拝をもたらした責任者である。罪がないとはいえない。この抽象観念崇拝の伝統は、もっと洞察力に富む人物によって緩和されることなく、かえって観念やイデオロギーが独立的に存在しているかのような調子で論じている学者間につたわっている[12]。


 


林語堂は、アリストテレスに対しては、他の極端な思想家とは異なって、彼に「人間的なものの見方考え方があり、中庸説をとっていたこと」を評価しながらも、つぎの2点について断罪している。1つ目は、「知識をたくさんの区画に切り離してしまった」ことであり、2つ目は、「アカデミックなたわごと」を口にしたことである。両方ともアリストテレスが創始者であり、前者のおかげで「生きた全体」は「死んだ部分」として分析されるようになり、後者のおかげで現実から遊離した「専門用語」が氾濫することとなった。


 プラトンに対しては、彼が「真の人間的洞察力をもっていた」ことを評価しながらも、「観念や抽象的概念の崇拝をもたらした責任者」として糾弾している。こうした欠点をはらんでいるにもかかわらず、両巨星の「論理体系は西欧二千年の学術を統制した」[13]。そこに現代思想の迷妄があると、林語堂は喝破している。


 だが、合理主義の全責任を両巨星に押し付けるのはやや強引であるとも言える。プラトンとアリストテレス以上に、行き過ぎた合理主義、極端な論理、自信過剰な理性を生み出した責任者として、近代哲学の祖デカルトを忘れてはならない。林語堂はデカルトの「罪」については、次のように述べている。


 


いわゆる知は、科学で確実に実証できる知をさすようになった。およそ科学的実証を適用できない問題については、みな口を閉ざしてあえて語ろうとはしない。その端を開いたのは、近代哲学の始祖デカルト(一五六六~一六五〇)である。パスカルが、「私はデカルトを許すことができない」と言ったのは、そのためである。私もデカルトを許すことができない。なぜなら、彼の後世への影響によって、哲学の領域は削減され、人生の立身安命という根本問題は、科学で実証できないので、これを門外に放擲して敢て語ろうとせず、また語ることをいさぎよしとしなくなったからである。礼義廉恥は、国を支える四つの根本道徳であるが、論理によってどのように取り扱ったらよいか、お尋ねしたい。〔...中略...〕だからおおまかに言えば、今日の哲学は、すでに数学の付属分野となってしまい、道はどこへ行ってしまったのやら、誰が道を司るのやら、皆目わからない。今日の西洋哲学が人生を離れて空虚なものになってしまった所以である[14]。


 


 林語堂は、パスカルの言葉に同意して、「私もデカルトを許すことはできない」と明言する。なぜなら、デカルトが科学で証明できることだけを哲学の領域としたため、人間にとって大事ではあるが科学で証明できないものは思考の枠外になってしまったからである。デカルト自身は、例えば神の問題については深入りいなかったが、後世の「デカルトの弟子」たちは、それこそ「付属分野」であるところの宗教の問題にも合理主義を適用したり、政治の問題にも適用するようになった。故に、デカルトの直接の「罪」としては、「西洋哲学が人生を離れて空虚なもの」となる原因をつくったことがあげられる。さらに、デカルトの意思にかかわらず間接的な「罪」として、理性では証明不可能な社会事象にまで合理主義を適用する道を開いてしまったことがあげられる。


 こうした「非人間的」な西洋哲学が、中国社会に怒涛の如く流入してきたとき、中国人はその心の平衡を失ったと言える。ゆえに、当時の中国社会を救うには、まず西洋哲学自信を救う必要があると林語堂は思ったのであろう。それは、中国哲学にとっては「正気に戻れ」ということを意味し、西洋哲学にとっては「価値観の転換」を意味した。価値観の転換はいかになされなければならないか、以下のように述べている。


 


今日西洋哲学を人間的にしようと思えば、まず西洋論理を人間的にしなければならない。ただ正確で、論理的で、理路整然たろうとするよりも、もっと熱情的に現実に触れ、人生に触れ、ことに人間性に触れようとする考え方に立ち還らなければならない。「われ思う、ゆえにわれ在り。」という有名なデカルトの発見のうちに典型的にあらわれている思考の疾患を去って、「われ在り、あるがままにて充分なり。」という、ホイットマンのより人間的で、賢明な考えにうつらねばならぬ。人生すなわち実体は、論理の前にひざまずいて、自己の存在と実在を証明してもらう必要はない[15]。


 


 西洋哲学の従来の価値観、すなわち、プラトンとアリストテレスにはじまりデカルトによって強化された合理主義の価値観を脱ぎ捨て、より現実的、人間的な価値観に立ち還らなければならないことを主張している。「われ思う、ゆえにわれ在り」とは、現実の存在が理性、論理に従属している。それに対し、「われ在り、あるがままにて充分なり」とは、理性、論理が現実の存在に従属している。前者の場合、現実の存在が論理的に間違っていれば、これを改変することはすべて善となる。しかし、後者の場合には、論理が現実に合わなければ、それは論理そのものが間違っているということになる。


 実を言えば、こうした現実を重んじる立場は、中国哲学の伝統である。そこで、林語堂は西洋の合理主義哲学を批判した上、処方箋として中国人の思考法を推奨する。


 


5. 常識(情理)は理性(論理、合理主義)に優位する


 


 西洋の論理、理性に対立するものとして、林語堂が常識、感情、直観、実践などを挙げていることについては、すでに述べた。ここで、言葉の整理をしたい。常識の同意語としては、林語堂は情理を使っており、この情理の根拠となるものとして直観という言葉を使っている。では、この直観とは何か。


 


いわゆる直観というのは、よく人に誤解されているが、直観とはよりどころのない独断ではない。その精微で微妙なところは、心で理解することはできても、言葉では伝えられないものである。直観に理論がないわけではない。ただそれは、一面的な分析的理論にくらまされずに、よく全体を総合観察して、独自の判断を下すのである。〔...中略...〕こうしてみると、直観は経験によって生まれてくるものである。古えの賢君に、よく人を見る眼があり、先見の明があったのは、この種の経験によって判断したからである[16]。


 


 ここに、いつか重要な指摘がある。(1)拠り所のない独断ではないこと。(2)心で理解することはできても言葉では伝わらないこと。(3)一面的な分析的理論ではなく、全体を総合観察することによって下される判断であること。これら3点を勘案した結果生まれてくる結論が(4)直観は経験によって生まれる、ということである。


 ここからは、林語堂の用語に対する筆者の解釈であるが、直観が個人の経験によって生まれるものであると仮定するならば、情理とはそうした個人の直観がより一般化したもの、社会化したもの、と言うことができよう。さらに、そこに歴史的な蓄積を加味した場合、常識ということになるのではないか。


 このように考えてみれば、合理主義に常識が優位するのは当然であると言える。合理主義は、たかだか1人の人間が自分の頭の中で練り上げた論理的帰結に他ならない。それに対し、常識には過去の賢人、偉人たちの経験が詰まっている。一見不条理に見えても、実践してみると常識の方が理に適っているという場合が少なくない。言葉を換えるならば、両者の違いは「長い歴史を経て培われてきた人類の叡智」に敬意を払うか払わないか、という態度の違いである。この「叡智」は、論理的思考からは生まれない。そのことを次のように述べている。


 


人間の叡知は単なる専門的知識の集積でもなければ、統計的平均価の研究によって獲得されるものでもない。叡知はただ見識によってのみ達成されうるものである。常識、機知、率直微妙な直観がもっともひろく行きわたるようになってこそ、はじめて叡知にいたりつくのである[17]。


 


 真理を洞察する「叡智」が、直観、情理、常識といった思考からしか生まれえないとすれば、こうした価値観が理性、論理、合理主義に優位するのは言うまでもないことである。繰り返しになるかもしれないが、改めて両者の優劣を以下に提示する。


 


中国人は情理を理性の上に置いている。理性は抽象的であり、分析的であり、理想化されたものであり、このため論理的極端に陥りやすい。一方、情理はより現実的で、より人間的で、実際と緊密な関連を保ち、時勢をより正確に理解し判断できるのである。


   西洋人は通常論理的に筋が通ってさえいればそれで十分とするが、中国人は論理的に正確なだけでは遥かに不十分で、同時に人情に適っていなければならないとする[18]。


 


 人情に適った道理、それが「情理」なのである。この情理をわきまえた考え方というのは、人間の生き方という面から考えるならば、「謙虚」な生き方ということになる。なぜなら、「論理的な人間はつねに自分を正しいとする」が、「情理を知る人間は、ことによると自分がまちがっているかなと疑う」[19]からです。


 中国社会では、歴史的にこの情理を重んずる精神が育まれてきた。だから、他国に比べてば知的狂信と独断論が少ないという。また、政治的には、確かに専制国家ではあったが、個人に対する国家の抑圧は、「情理」を逸脱することはなかった。仮に逸脱すれば、民衆の「情理」によって王朝は転覆する。さらに、国家の安定という観点からすれば、情理に依拠する「謙虚」な姿勢は、極端な政治運動を抑制してきたとも言える。王朝は替っても、君主制を共和制にしようなどという極端な政治思想は、近代にいたるも登場することはなかった。それも、情理、常識に従ったからである。


 


6. おわりに


 


 本稿においては、林語堂の次のような考え方をみてきた。まず、政治に合理主義を適用することは、過激主義を誘因することであり、そのような誤った思想の源流は、論理的整合性を重んじる西洋哲学の伝統にあるということ。また、これに対し、中国の哲学的伝統は直観、情理、常識を重んじ、より現実社会に適した価値観であること、そして西洋哲学は中国哲学の価値観に近づくべきであるということ。


 こうしてみると、林語堂は一方的に西洋哲学を批判し、一方的に中国哲学を擁護しているように感じられる。確かに、本稿の記述だけを見るならば、そのように受け取られるであろう。しかし、林語堂は中国哲学を手放しで称賛しているわけではない。今回出てきたキーワードである「直観」「情理」「常識」という視点から、中国哲学そのものの迷走も衝いている。


 そこでは、本来「情理」「常識」に適った思想であるはずの儒家思想が、歴史上においていかに変容していったかを述べている。また、本来の儒家思想の活力を回復するには、孔子・孟子に荀子・韓非子の思想を加えなければならないという。このことは、一見すると今回取り上げた合理主義批判と矛盾するように思われるかもしれない。なぜなら、韓非子の思想は、中国哲学に似つかわしくないほど「合理的」であるからである。その矛盾はいかに林語堂において止揚されているのかは、次回の考察としたい。ここではただ、情理を重んずることの欠点として「法治」が成功しないということだけを挙げて、終わりとしたい。


 


  中国人の情理を追求する精神とそれによって生じる極端な論理に対する嫌悪の態度は、民族としていかなる制度も信用しないという好ましからざる結果をも招来したのである。制度や機械というものは、非人間的な面があるのを免れないが、中国人はこと非人間的なものに対しては非常に嫌悪の念を感じるのである。法や政府の機械論的観念に対する嫌悪は中国に法治政府の実現を困難にさせているほど強烈なものである。峻厳な法律や私情をいれぬ法治は中国では一度として成功したためしがない。人民がそうしたものを望まないからである[20]。




[1] 林語堂著、阪本勝訳『人生をいかに生きるか』(下)、講談社学術文庫、1979年、145頁。

[2] 同上『人生をいかに生きるか』(下)273頁。

[3] 林語堂著、合山究訳『自由思想家・林語堂―エッセイと自伝』明徳出版社、1982年、135136頁。

[4] 前掲『人生をいかに生きるか』(下)273頁。

[5] 前掲『自由思想家・林語堂』140141頁。

[6] 林語堂は、哲学を「狂妄の根より生まれる」としたウィトゲンシュタイン(18891951、オーストリア人、後英国に帰化した哲学者。代表作は『論理哲学論』)に賛同して、哲学の論理展開に使われる専門用語のナンセンスさを主張している(前掲『自由思想家・林語堂』146147頁)。

[7] 前掲『人生をいかに生きるか』(下)283頁。

[8] 林語堂著、鋤柄治郎訳『中国=文化と思想』講談社学術文庫、1999年、184頁。

[9] 林語堂著、合山究『蘇東坡』(上)講談社学術文庫、1986年、141142頁。

[10] 前掲『中国=文化と思想』180頁)

[11] 前掲『自由思想家・林語堂』137頁)

[12] 前掲『人生をいかに生きるか』(下)279280頁。

[13] 前掲『自由思想家・林語堂』135頁。

[14] 前掲『自由思想家・林語堂』150151頁)

[15] 前掲『人生をいかに生きるか』(下)286頁。

[16] 前掲『自由思想家・林語堂』142143頁。

[17] 前掲『人生をいかに生きるか』(下)278279頁。

[18] 前掲『中国=文化と思想』152153頁。

[19] 前掲『人生をいかに生きるか』(下)290頁。

[20] 前掲『中国=文化と思想』185頁。


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