ペデロのおばは、ケニアの國境近くのヴィクトリア湖にある、安息日再臨派の病院で、ダンガニーカの宣教師として働いてゐた。二十五年間、バン・ラスラーさんは、その小さなアフリカの町の説教者、オルガン奏者、看護師、そして學校教師であつた。そして、醫者が遠方に呼ばれて二、三週間不在の時には、彼女は主としてキニーネ、アスピリン、ヒマシ油に頼つて、醫者の代りを務めた。彼女は、傷口を縫ひ合はせたり、外科と間接的に關係するあったりすること以外は、何でもした。他の宣教師と異なり、彼女は休んだことがない。彼女は一九二〇年代に大學に在學してをり、フラッパー・スカートとスコット・フィッツジェラルドの時代のニューヨークを充分よく知つてゐる。今、世界に埋もれてゐるやうに見えるすべてものは、過ぎ去つたものであり、忘れ去られたものである。彼女は、そこに生れた土着の人と同じやうにその村の仲間であると考へ、アフリカの土着の人(特に、母親になつた彼女の女子校の卒業生)が非常に好きだつた。
ごく稀に、彼女は家から雜誌を受け取つた。その大部分は、彼女の故國の人、活動、家、服裝を掲載した教會出版物であつた。彼らが自國民であること彼女は知つてゐたが、情緒的に、彼女には無關係の別世界のやうに見えた。雜誌の中に、上流社會に關するものはほとんどなかつたが、時々、教會運動と關係のあるアメリカ大統領夫人や著名な社交界の婦人の寫眞を見た。映畫については、タンガニーカ滯在全體の中で、五つもしくは六つ見たか見たいかくらゐであつた。彼女は、男性の襟および紳士服の仕立ての變化、麥藁帽子と格子縞模樣のスーツの消失、そして女性の流行の型の變化に氣づかざるを得なかつた。彼女は、彼女が卒業後に着用してゐた、當時最も流行してゐたフラッパー・ドレスを思ひ出した。スカートは長くなり、短くなり、フリルは直線に取つて代られ、水着は二つに分かれた。
彼女は自分のために、手織の濃い赤茶色に染められた、修道服と覆ひ服の間のだぶだぶの服をつくつた。地元の女の子は、それが女王樣のためのガウンだと言つて、いっしょにつくるのを手傳つてくれた。非常に通氣性が良いために、その緩い服はアフリカのジャングルに適してゐた。サンダルに服を締めるガードル、そして讚美歌集を入れるのに充分大きなハンドバッグ用ポケット。彼女は仕事のしやすさと着心地の良さのために、他には何も着ようとしないほど、その服が非常に好きだつた。
戰爭が起きても、いくつかの教會出版物の、制服と帽子を身につけた女性豫備役隊や空軍婦人部隊の寫眞を見るくらゐしか、彼女にはすることがなかつた。彼女は、彼らの不便さを憐れんだ。世界がどうあらうとも、彼女は自分の服を變へようとはしなかつた。彼女は何囘か、飛行機が村の上を飛ぶのを見る機會があつた。その戰爭も終はつた。實際のところ、タンガニーカは手をつけられなかつた。彼女がナイロビを最後に訪れてから、三年が經つた。
ある日、彼女は教會から電報を受け取つた。それは、ニューヨークで開かれる記念祝賀會、また主要講演者の一人として彼女を招待するといふ評議會の決定を通知するものだつた。「あなたの存在は、我々の催しの成功にとつて不可缺なものとして至急求められてゐます。もし御承諾いただけるなら、ナイロビからの特別便を提供します」。それには本部の事務局長の署名がなされてゐた。彼女はそれを理解することができなかつた。なぜ彼らは彼女を望んだのか? 彼女には出席する意欲はなかつた。二日後、彼女はペドロから別の電報を受け取つた。それは本部の要求を補強するものであり、記念祝賀會はアフリカを特に重視する布教活動に使ふ三百萬ドルと關係してをり、活動を本物にするために、アフリカでの二十五年の完璧な記録を持つたただ一人の宣教師として、彼らが彼女の存在を必要としたといふことが書かれてゐた。彼女と同じ二人の主要講演者のうちの一人は大統領夫人であり、多くの著名人が招待されてゐるとのことだつた。イベントは、五月二十三日にウォルドルフ・アストリア(マンハッタンにある高級ホテル)で開催されることになつてゐた。わづか三週間先であるため、彼らは彼女が飛行機で來れるやうに準備することだらう。
彼女は教會の指導を求めた。彼女は、長い間心の中に置き忘れてきた華麗な世界へ、自分自身が投げ込まれると想像した。彼女の甥の依頼文は、全體の成り行きに地方色を與へるために、彼女の存在が求められてゐることを明らかにした。彼はさらに、ニューヨーク社交界の最も光彩ある人々が出席する、夕食に續く舞踏會にも言及した。彼女は漠然と、華麗なシャンデリア、毛皮に裏打ちされた服、カメラ、そしてシャンパンを思ひ描いた。
「嗚呼、私は何を着ればいいのだらうか? 私は一つとしてまともな服を持つてゐない」。しかし、彼女は重要な點においてその考へを捨てなかつた。暗黒大陸の宣教師として、彼女はファッションに從ふ必要はなかつた。人々は彼女にそれを期待しようとはしてゐなかつた。いづれにせよ、彼女が身支度をして、清潔でモダンないくつかのシンプルな綿プリントを購入するのに充分な時間を見越して、飛行機は五月二十一日に彼女をニューヨークに連れていく。
飛行機についてはわからない。ミス・バン・ラスラーの飛行機は、ローマへの接續を逃し、リビアで六時間足止めを食らつた。ローマで彼女は、二十三日の朝に彼女をニューヨークに連れていくはずだつた飛行機に乘つた。マドリードでは、六時間あるいは七時間の遲れと、エンジン・トラブルが發生した。ミス・バン・ラスラーは熱狂してゐた。五時間の時差がマドリードとニューヨークの間にあることを彼女は知つてゐたが、すでに二十三日の朝だつた。ジェット便はまだなかつた。
彼女は幸運にも、二、三時間待機してゐる、空席のある別の航空會社の飛行機を見つけた。都市に到着するのに僅か二十分しかかからないが、彼女は頑なに、小さな混雜した空港を彷徨いた。彼女はちやうどレストランの外側のベランダに座席を見つけて、コカ・コーラを飮んだ。彼女は、長年口にしてゐなかつた生のセロリを想起したが、レストランには何もなかつた。
彼女の頭は混亂してゐた。彼女は少なくとも髮を洗ひたかつた。飛行機が五時半に到着した時、あらゆる動搖と負荷と共に、彼女はそれをする時間があるかどうか考へた。空港で待つてゐる間に、迅速に髮を洗ふ時間があると彼女は決斷した。彼女はビニール袋に入つた小さなシャンプー・パッケージを買つた。洗髮した後、彼女は外出し、ちやうどレストランの外側のベランダに座つた。彼女の髮はもじゃもじゃで、何人かが彼女を見て微笑んでゐることに氣づいた。
彼らは、彼女の濡れた粘質の髮に微笑んでゐたのだらうか? それとも、廣いガードルのついた、現地の果汁で染められた暗褐色のアフリカの服に微笑んでゐたのだらうか? 到着したら、新しい靴を一足買ふことができるだらうと彼女は考へてゐたが、今では時間があるとは思へなかつた。彼女の足に合ふのは、過去二年間、彼女が着用してきた、自國の人がつくつたサンダルだつた。それらに餘りにも慣れ切つてゐたので、再び靴を履いて歩けるかどうか疑問に思つた。本物の地方色について、彼女は自分自身に問うた。彼らは暗黒大陸から直接的につむぎ出されるものを持つてゐる。彼女は、ペドロが持つてゐるものを思ひ出した。一年前に書かれた手紙の中で、ペドロはアフリカの木彫りをいくつか送るやうに頼み、彼女はペドロのために二つ用意した。人々は原始的な才能に何百ドルも拂つてゐると、ペドロは彼女に傳へた。彼女はそれを信じることができなかつた。彼女はよく知つてゐた――その彫刻が「本當に原始的」であることを。原住民たちは、ましな大型のナイフを單に持つてゐないだけなのだ。彼らはさうせざるを得ないのだ。現實認識が缺けてゐると彼女は斷じ、果たしてこのニューヨークを理解できるかどうか疑問に思つた。餘りにも多くが變つてゐた。
まだ濡れてゐる、艷のない髮のまま、彼女はTWAの飛行機に乘つた。口髭のある二人の若者(そのうちの一人は明らかにスペイン人)が、彼女を見續けた。彼女が實際に彼らを魅了したと言ふことはできないが、しかし、確かに彼らは賞讚の眼差しを注いでゐた。女性は、常にそれを感じる。「彼らは私の顏も、服も、いづれも賞讚の的にすることはできませんでした」。彼女は「Que encantadora! Que extraordinaria!」と聞いた。何かが異常であると彼らが言つてゐたといふことを彼女は充分に理解できた。彼女は悲しげに微笑み、「私はゴーストのやうに見えてゐるに違ひないわ。私にはわかるの」と思つた。
三十分後、若いスペイン人が「Que linda!」と大聲で言ふのを彼女は聞いた。彼女は本能的に振り返つて見た。
彼女の名前はリンダだつた。彼らはどのやうにして知つたのか。
若者は、元氣づけるやうに、輕薄に、彼女を見てゐた。
「私に話しかけてゐるのですか? それは私の名前です。どのやうにして知つたのですか? 私たちは以前にどこかでお會ひしてゐますか?」
口髭をもつた若者は、美しい微笑みへと顏が綻んだ。「何と幸運なことか!」と彼は言つた。「私たちは、あなたがいかに美しいかを話してゐました。絶對的に魅力的です。リンダはスペイン語で美しいことを意味します! そのディオールの服は、ミラノそれともローマで買つたのですか? 絶對的に魅惑的です! お氣になさらずに、リンダお孃樣」
「私の名前はバン・ラスラーです。ミス・バン・ラスラーです」
「そのディオールの服に信じれれないほどの金額を拂つたに違ひありません。おそらくはスキャパレリのデザイン? 生地を見ればわかります。それは手織の注文仕樣で、二つと無いものです」
「ありがとう。實は私は、中央アフリカから直接ここに來ました」
「ああ!」といふ絶叫が、若いスペイン人の友達から出た。彼は、まるまる太つた顏と大きなお腹を持つたフランス人のやうに見えた。しかし、彼はさうではなかつた。彼はイタリア人だつた。といふのは、美への賞讚を示すのに、耳朶を囘してゐたからである。
その後、彼らは藝術と服裝における現代の傾向に關する會話に入つた。宣教師は、最新のものをもたらすことを望んでゐた。彼女は、次のことを知つた。彼女の粘質のもじゃもじゃの髮は、まさに熱狂の的となつてゐること、また、バーグドーフ・グッドマンあるいはジェイ・ソープで正確な裁斷が行なはれ品質が保證された三百ドル未滿の手織物の服を得ることができなかつたといふことを。それはニューヨーク中において獨自のものであり、映畫スターに充分相應しいものだらう。
ミス・バン・ラスラーは「正直に言ひますが、それは暗黒大陸のものです」と抗議した。
二人の若者は、彼女を信じようとしなかつた。
「Que gusto!」と、スペイン人は繰り返した。
「gustoとは何ですか?」
「品。何と上品なことか! 何と洗練されてゐることか!」
「私は金切り聲かと思ひました」
「間違ひなく大評判になるでせう。その髮型とその服裝でウォルドーフ・アストリアのロビーを歩けば、女性たちの眼を釘づけにすることでせう」
ミス・バン・ラスラーは、彼らを信じることができなかつたし、二人の男もまた、アフリカから來たといふ彼女の話を受け容れることができなかつた。彼女は、二つの木彫りに對して、イタリア人が百五十ドルでそれらうちの一つを手放すやう頼んだといふ世界のことを、半ば信じ始めた。
「彼らはよく分かつてゐないのです。彼らは素朴なのです。素朴で自然のまま――私が何を言ひたいか分かりますか? なぜなら、彼らには素朴な道具しかないからです。複雜な彫刻を施す代りに、鈍い鑿を使ふのです。さうすれば、非常に素朴な製品を生産せざるを得ません」
「餘計なことをしない。囚はれから離れることができるでせうか?」
彼女はついにそれを賣つた。彼女は、世界は正氣でなくなつてをり、もはやニューヨークを理解することはできないと確信した。
Idlewildへ到着した彼女は、ペドロから至るところで「リンダおばさん、パリでクリスチャン・ディオールへ行くことなんできなかつたよね」と調べられ、訊ねられ、ほとんどよろめくほどだつた。
「ペドロ、よくそんなことが言へますね」
「人々は疑ふでせう。してゐなかつたことについて、説明しなければならないことが恨めしい」
「ふざけないで! 一足の靴といくつかのストッキングを買ふ時間があると思ふの?」
「靴? 何のために? サンダルがまさに今、大流行しています。リンダおばさんは現状認識が缺けてゐる。女性たちは、そのやうな流行りの服裝にストッキングを着用しようとはしません」
二時間後、ウォルドーフ・アストリアで、彼女は女王のやうに、演臺まで歩いた。樣々な席から、自發的で不安定な「嗚呼」という聲がした。あるフランス人は、「歡喜!」と聲を出して叫んだ。彼女の髮は肩にかかつてゐた。彼女は、その夜の渦中の人となつた。「嗚呼」の後には、不審、驚嘆、見當違ひ、注視、不贊成、恐怖、嫉妬が續いた。食事の場では囁き聲が飛んだ。「彼女は僞物ですか?」「恐らく!」「我々は、宣教師がhautesのファッション・デザイナーに通ふことを望みません」「宣教師の女性が上品である必要はありませんよね」
異なる席で彼らの妻と一緒に座る教會の委員會のメンバーは、切實に心配した。教會で働く者がクリスチャン・ディオールでドレスをつくつたといふ話が周圍に傳はれば、三百ドル獲得運動は危險にさらされることになるかもしれない。委員會のメンバーの一人は、迅速な行動の必要性を察し、先頭の席にゐる議長のところに、講師紹介の冒頭部分の一部としてメモを滑らせた。そこにはかう説かれてゐた。
「説明を要する問題があります。今夜のメイン・スピーカーであるミス・バン・ラスラーは、ご列席の方々ご覽の通り、夜の着こなしが最高の女性です。私には、それを説明する義務があると思ひます。まづ第一に、それは偶然の一致であります。第二に、勤勉なバン・ラスラーは、これに關して何も知りません。第三に、彼女は今夜、着こなしが最高の女性になるつもりではありませんでした。そして第四に、男女雙方が、驚くほどに彼女の服裝を賞讚してゐることに、彼女は驚いてゐます。特に明白に、明解に言ひたいのは、彼女はクリスチャン・ディオールを訪ねてゐないといふことであります。私はミス・バン・ラスラーが同意する、この明白な事實を述べさせたいただきました」
かうして、萬人が氣樂になつた。意見の形勢は、彼女への熱狂に變つた。彼女は、スピーチの始めに述べたことによつて、皆の心を勝ち取つた。「私は今朝、マドリッド空港でスペインのシャンプーで髮を洗ひ、この晩餐の二時間前に到着しました。變更するべき時間がなかつたことをお詫びします」
その後の晩餐會と舞踏會はすべて順風滿帆に進んだ。ニューヨーク・タイムズは翌朝、社會面の見出しでそれを報告した、「暗黒のアフリカから來た、ディオールを着た女性が人氣を博す」と。