日本語版『林語堂全集』を目指して

ニューヨークの犬


ニューヨークについて考へる時、人は自由の女神像、エンパイア・ステート・ビル、そしてラジオ・シティ・ミュージック・ホールを想起する。ニューヨークはより綿密な考察を必要とする、さう私は確信してゐる。
何にもまして、セントラル・パークの岩は私を喜ばせる。それを見つけ出すまでに、私はいつも通りの名前を四囘探す。それは北側の東、南側の東、南側の西、そして北側の西にあるかもしれない。いつもそれがない他の三つの角を見て、やうやく四つ目の角で通りの名前を捉へるのはなぜか、私にはわからない。私は順序通りに行はうとしたが、それは常に私とかくれんぼうをした。我々を混亂させるために、交通局が故意にさうしたと確信してゐる。通りの名前を見つける前に問題が生じるように、街燈の閃光の眞上の影にそれが來るように、彼らは故意に設計した。さらに、座つてゐる、または立つてゐるバス乘客の視線と關連するように、水平な道が注意深く選ばれた。
同じことは地下鐵の列車にも言へる。驛の名前は、その文字の一部が扉の隅に示されてゐるか、もしくは完全に隱れてゐる。大きな明瞭な表示は例外である。ロンドンやパリでは、それらは一目で見ることができるやうに置かれてゐる。もう一つの米國の革新(イノベーション)は、どんな明確な路線圖も、遠くへ隱してしまふことである。ある窓には、極小の文字が書かれた十八インチ未滿の正方形の地圖が貼られてゐたことがあつた。地下鐵路線の混亂した十文字にそれらを見つけたとしても、讀むことはできなかつた。今は多少良くなつたが、それも僅かである。地圖は高さ約二十四インチで、カラーで印刷されてゐた。まだ搖れてゐる中で、それを讀むために女性の額の上で呼吸する場合、それは震へが止まらないパーキンソン病の手の中の細字聖書を讀まうとするやうなものである。
私は、この革新の理由がわからない。ロンドンの地下鐵やパリのメトロで旅したことのある人なら誰もがかう言ふだらう、そこには大きく明確な文字で書かれた路線圖のやうなものがあり、あらゆるルートおよびあらゆる車兩に繰り返し掲示されてゐる。乘客が知りたいのは、單に停車する場所と乘り換への場所だけである、と。もしウォールストリートからフルトンストリートまでが、十から十五のブロックによつて分けられてゐたなら、誰も次にどこに止まるかは氣にしないだらう。市議會は、單に異なるといふことのために、革新を始めることを決定したに違ひない。確かに、違ひがある。地下鐵に乘らうと、どこに行くべきかを調べようとしてゐる、長柄付き眼鏡をかけてゐる女性に注意すべきだ。もちろん、長柄付き眼鏡の女性は地下鐵に乘らない。しかし、パリの男爵夫人は乘る。ニューヨークでは、地下鐵が不快の絶頂となることはない。
我々は慣れてゐるものを受け容れ、それに關して考へない。米國の觀光客がヨーロッパで何百萬を費やすやうに、米國を訪れたヨーロッパの觀光客がポンド、フラン、リラを費やすやうに惹きつけるために、米國の旅行代理店があるのだといふ素晴らし考へを持つ者がゐることを私は理解する。さうならば、犬と同じやうに、彼らは地下鐵地圖に關しても何かをした方がよい。犬そのものではなく、犬が行ふことである。それは世界の主要都市とは比較不可能である。サットンプレイスからイーストサイドにかけてほど、一平方あたりのプードル、テリア、ポインター、ペキニーズ、そしてチベット犬のより良いコレクションができるところは他にないと私は確信する。どんな世界ドッグショーも勝ち取るはずだ。だが、彼らはさらに都市における世界記録をつくつた。ニューヨークは「零落した(gone to the dogs)」。ロンドンでも、パリでも、ローマでも、マドリードにもない、顯著に示された彼らの毎日の仕事である。なぜ犬は、他の都市では謙遜つて動作するのか。グランド大通りあるいはモンマルトルでこれらのものを見ることは期待できないだらう。私はそれらを見ない。ニューヨークだけが、この望ましくない區別をいかに達成するのか、私にはわからない。
この都市の垂直の建築樣式は、他の都市の水平の建築樣式に對して、何か關係があると私は確信してゐる。これらの超高層ビルには、より多くの人口母集團があるやうに、一平方フィート當り、より多くの犬がそこにゐる。これら全ての女性の最愛の存在は、どこに行くと豫想されるだらうか? オフィスビルを備へた商業地の方が常に良い。女性あつての犬、犬あっての女性。結果は、ニューヨークに犬が行き交ふといふことである。都市が成長すると共に、忌はしき害蟲は成長せざるを得ない。上がつてゐる全てのアパートは、おそらく二十匹あるいは三十匹の犬の増加を意味する。
犬は、もつとも良く、そしてもっとも容易に訓練された動物である。それが不作法であると知つてゐる場合は、彼らはそれをしない。もし全てのアパートの地下室に犬用のトイレがあり、よく洗ひ流された、少しの赤で描かれ飾られた水道栓があれば、彼らは三日後には、ほとんど自分の意志でそこに行くだらう。彼らは迷惑行爲を犯したくない。さうするやうに促進するのは我々である。
その解決は簡單である。しかし、困難なのは「doggonitis」の問題がさらに存在することをニューヨーカーに氣づかせることである。
 

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