それは七十代の時、パーク街(Park Avenue)でのことだつた。ブルックス夫人は、四人あるいは五人の客人と共に、私たちを夕食に招待した。夕食の後、數人の友達が私たちに仲間入りした。その中には、ブルックス夫人の兄弟であるダン(Dan)がゐた。ダンは三十代で、非常に好感の持てる笑顏と知的な瞳を備へた細身の人だつた。集まりの中には二人の若い女性がゐて、一人は襟ぐりの深いドレスで、とても二十一歳には見えない。彼女は非常に滑らかな肌を持つてをり、年上のもう一人が元氣がないのに對して、生き生きしてゐた。もう一人は、夜中ほとんど、靜かに煙草を吸つてゐた。ダンは、終始一人からもう一人に視線を注いでゐた。その夜、女性美がダンの光輝く會話を占めてゐたかもしれない。彼の聲には訛りがあり、また彼には常に示される明確な見解があつた。彼は、洗練された調子で、私が思ふにやや氣取つた調子で話した。また、見解を強化するために、彼には指を人に向ける習慣があつた。換言すれば、彼はまさに好印象をつくつた。彼には、勝利の個性と呼ばれるものがあつた。
はじめは、私はあまり注意を拂はなかつた。誰かが、電話に出るために席を立ち、我々の會話が止んだ。ダンは、二人の若い女性に話しかけてゐた。何か「それには三つの働きがある」といつた言葉が聞えた。私は聞き耳を立てた。その言葉は聞き慣れたものだつた。ブルックス夫人は傍を通り、私が女性たちに仲間入りしたがつてゐるのではないかと示唆した。
「ダンを氣に懸けてはなりません」と、彼女は言つた。「彼はマディソン街の出身ですから」。彼女の言ひ方では、あたかもマディソン街の人々が特別の方言でも話すかのやうである。
「聞いてもいいですか?」と、私は仲間入りする時に訊ねた。「あなたはみんなを魅惑し續けてゐるやうに見えます」
「確かに」
「何について話してゐるのですか?」
「ここのロビンソンさんは、ベッドに長く留まつて、朝刊を讀むことを飽くまで要求してゐました。私は、清々しい朝の散歩のために早起きする利點を彼女に傳へました。知つての通り、それには三つの働きがある。肺を清潔で新鮮な空氣で滿たす。血液の循環を促す。神經過敏を鎭める」
「あなたが正しいことは判つてゐます。誰でも知つてゐるやうに、トルーマン大統領は毎日それをしてゐます。ただ、彼が神經過敏を鎭めるためにそれをしてゐるかどうかは、よく判りません。それは單なる舊式の散歩に過ぎません」
滑らかな白い肌を備へた、若い方のロビンソンさんが間に入つた、「私は新鮮な空氣が好きではありません。とにかく、私はベッドで丸くなり、コーヒーを飮み、朝刊を讀むのが好きなのです」
「時々、夜遲くまでテレビを見た後、起きる時に疲れてゐると感じませんか? 元氣がないとか? あるいは、よく寢てゐるのに自分自身がそれを樂しんでゐないと思ふことはありませんか? その時に、朝の散歩をするのです。決して忘れないでください。便祕(irregularity)はどうですか?」
「何ですつて?」と、私は訊ねた。
厄介な中斷があつた。年上の若い女性は、私が單語を知らなかつたと考へて、くすくす笑つた。實際に、何が次に來るのか、私は考へた。マディソン街の言語は、あなたの繼ぎ目、筋肉、神經、氣孔、腸管、そして鼻腔に入る習慣がある。事態は、瞬時に「それは助けになります」と即答したダンによつて救はれた。
「何を助けるのですか?」と、私は勇猛に進んだ。
「便祕」
「規則正しさ(regularity)」と、白肌の人が修正した。
「何がそれを助けるのですか?」と、私は訊ねた。
「清々しい朝の散歩。さう、これ以外にあなたを完全な體調にするものはありません。他の人がさうであるやうに、あなたはすつきりします」
我々は型に嵌つてゐた。幸ひにも、ロビンソンさんは次のやうに言ふことで、途方もないものから我々を引つ張り出し、莊嚴な彼方へと導くために努めた、「モーニング・コーヒーもまた、朝の散歩と同じやうに、それをするでせう。一杯のコーヒーの後、私は通常、完璧にすつきりします。そして、規則的に」と。
もはやダンを止めるものはなかつた。「コーヒーは單に一方向に働きます。それは循環を刺激します。朝刊を讀むことは、時々あなたを興奮させます。あなたは、航空機墜落、または自動車事故を目にし、頭痛に襲はれ、神經はいらいらし、緊張は増大します。あなたは起き上がり、散歩に出かけます。そして、あなたの頭痛は消え去ります。醫者の三人のうちの二人が、活溌な朝の散歩を勸めてゐます」
私が彼女の側についたので、白肌の女性は私の側についた。我々は考へ方の戰ひに直面しさうだつた。「醫者の五人のうちの四人は、散歩ではなく、コーヒーを選ぶと私は確信します」。彼女は優しく私に微笑みかけた。
「あなたたち二人の間で」と、私は言つた、「あなた方はすでに、あなた方が言ふことを行つてゐる米國の醫者として、六十六パーセントに八十パーセントを加へた百四十六パーセントを勘定してゐます」
「おそらく、醫者の三人のうちの二人は、推獎だけしてゐる」と、ロビンソンさんが言つた、「しかし、コーヒーを飮むのは五人のうちの四人。私はわかつてゐます。アメリカの大統領の三人のうちの二人が散歩をとりますか?」
ダンは歩みを止めなかつた。「コーヒーはあなたの肺に新鮮な空氣を入れますか? 否。それはあなたの神經過敏を鎭めますか? まるで反對だ。朝の散歩は醫者の處方箋のやうなものです。それは繰り返される必要があります。それはあなたの肺に新鮮な空氣を入れます。それはあなたの循環を刺激します。それは神經過敏を鎭めます。それには三つの働きがあるのです」
私は、滑らかに流れるリズムの只中に陷つたやうに感じた。言葉は思考を經ずして口をついて出ていつた。「規則正しさに關しては、熱く香ばしいコーヒーほど、即效性があるものはない」。私は目を閉ぢ、溜息をついた、「ああ! 香り! それは我々が知つてゐる他のどんな飮み物よりも速く二度作用します。それはすぐにあなたをリフレッシュさせる。それはすぐにあたなを元氣づける。それは直ちに作用し、規則正しさを支援する、速やかに、速やかに、速やかに。時間は、我々の人生における重要な要素です。我々は、先祖たちよりも、より多くのことをしたい。それゆゑに、私は以前、三番街のクリーニング屋の次のやうな廣告を見たのだ、『我々は、他のクリーニング屋の三倍速く、清潔にします』。どこから計算して三倍なのかわからないが、しかし、私は否應なく印象づけられました」
ダンは平靜だつたが、私のうちに確信させる力を持つた竸爭相手を見出した。彼は才氣に溢れてゐたが、僅かに防戰に入つた。「よい散歩が循環を刺激するといふことを否定することはできません」
私は、なぜ上下に私の循環を攪拌しなければならないのか、わからなかつた。「うむ」と私は言つた。
「私の言葉を信じないでください。科學者は、散歩が循環を刺激することを、實際の臨床實驗によつて證明しました。散歩は、一連の出來事を起こします。筋肉の運動はあなたの肺に新鮮な空氣をもたらし、その空氣は循環を増大させ、その循環は空氣の攝取を増加させる。加へて、あなたが歩く時、動くのは單に脚だけではありません。それは三つの生命維持に必要な領域を襲ふ。第一に、肺および呼吸器全體に、次に四肢へ滑らかに潤澤に血が流れ、最後に、規則正しくあなたの健康をコントロールする、生命維持に必要な領域へ。これら三つが、生命維持に必要な領域である。さうした成り行きの結果、この方法を試みたすべての人が、健康と活力に滿たされた幸福感を經驗します」
この點について、白肌の人は可愛らしい發言を插入した。「私は新鮮な空氣に全く贊成することはできません。私は、ジョージ・ジャン・ネーサンの言ふことが好きです。彼は答辯の結末を氣にしないが、新鮮な空氣には贊成できないと言つてゐます。これに反して、私の喉が休んでゐる時、私の口は最良の味がします」
ダンは言つた、「わかつてゐます。朝の散歩なしでも、完全に氣分がよくなることはあり得ます。おそらく、かつて感じてゐた、『本當に』良かつた状態を忘れてしまつたのです。おそらく、歩けば歩くほど、樂しみはなくなつていきます。それは振動するエネルギーの餘分なマージンであり、十分か二十分の朝の散歩があなたに與へることのできる最上の氣樂さです。はい、それは確かな事實です。當然、何百萬の――」
私は話の腰を折つた、「明確ではありませんね。氣樂さの餘分なマージンはどのくらゐですか」
「わかりません」と、明らかに不意をくらつたやうに、ダンは言つた。
「常に明確であることが求められます。どれくらゐですか」
「いいでせう。四分の一インチ。自ら災ひを招きましたね」
「振動するエネルギーの四分の一インチのために、私は一マイルを歩かうとは思ひません」と、私は悲しげに言つた。
私たちが不愉快に入つたと考へて、ブルックス夫人は状況を靜めるためにやつてきた。彼女は兄弟に要領よく言つた、「ダン、マディソン街の言語で林氏を惱ませてゐるのではありませんか」
「そんなことはありません! 私たちは朝の散歩と一杯のコーヒーとの相對的な長所についてちやうど話してゐたところです。私たちの地域方言については、林氏がそれをとても上手に話します」
女主人は私を見て、慈愛深い表情で「語堂さん、きつと自分自身を恥ぢてゐることでせう」と言つた。
「逆に、私はそれを樂しみました」と、私は彼女を安心させた。
「本當ですか? とても嬉しく思ひます」
「ロビンソンさんは最善を盡くしました。彼女は素晴らしい」と私は言つた。
「彼女は何と言つたのですか?」
「彼女は、彼女の喉が休んでゐる時、口は最良の味がする、と言ひました」
女主人を含めて、一同を笑ひが包んだ。