人類史の多くの時代が、特有の出來事と特有の人間性に特徴づけられてきた。「黄金時代」と呼ばれるいくつかの時代がある。ペリクレス時代のアテネ、または十六世紀のフィレンツェ、あるいはエリザベス女王時代のイングランドのやうに。そのやうな時代は獨創的である。政治的状況と精神的活動のある組合せは、文化の突然の開化を引き起こすやうである。エマーソンとソローの時代は、指導的人物――メルヴィル、ホーソーン、オリバー・ウェンデル・ホームズ、リブリー――の少ない時代であつた。全員が創造的活動に強烈に從事した。樂觀的な時代もあれば、先驅的な時代もあつたし、滿ち足りた退屈な生活を送つた時代もあれば、肉慾的奢侈と流行を追ふ皮肉な振舞ひに陷つた時代もあつた。
我々は、精神的價値の混亂と變化の時代、それも重大な變化の時期に生きてゐる。科學的發見は日進月歩であり、通信と移動速度の長足の進歩は、あたかも世界が否應なしに再調整のために必死になつてゐるかのやうである。我々は、ベルリン、アルジェリア、コンゴのやうに、多種多樣な問題に直面し、戰爭と戰鬪に從事してゐる。全體としては、我々に良い結果はもたらされてゐない。それは、心の平穩を餘りにも亂すものである。そして、處世哲學が最も必要とされる場合でも、我々はそれを持ち合せてゐないやうに見える。
私は、當世を絶望の時代ではなく、定らぬ價値と搖れる信條の、混亂の時代と呼びたい。我々は、餘りにも多くのことを知つてゐるが、餘りにも僅かなことしか確信してゐない。單に心を平穩を意味するに過ぎない場合でも、誰もが「security」といふ一つの單語(政治的安定、社會保障、國際的安全保障)について語り、流行好きな精神病醫は「個人の安心」について語る。間違ひなく、それが現代世界における人々の意見である。何がそれほど不安定なのか? 誰かが、絶えず彼の胃について話す場合、我々は彼の胃がどこか調子が惡いのだと確信する。
おそらく、かうした全ての恐怖と混亂の原因は、處世哲學の缺如、價値の物差しの排除にある。我々は、我々が何を望み、どのやうな状態にあるのかを知らない。我々は多くを理解すればするほど、信じるものを失ふやうになる。我々は、必要不可缺なものとさうでないものとを區別する方法を知らない。三十歳から四十歳にかけて男女は、彼または彼女がこの人生で眞に望むものを徐々に知り、必要不可缺でないものから必要不可缺なものを區別するやうになる。若い女性が最近私に傳へたところでは、彼女の望むものは、美味しい食べ物、良い天候、そして彼女の子供のための良き學校であるといふ。それは單純で些細なものだが、常に人間の心に近しいものである。我々は、それほど單純な處世哲學を持ち合せてゐない。中國の詩人はある有名な一節を書いた。光輝くことも難しければ、愚かになることも難しいし、知的な輝きから脱して愚鈍へと轉換することはさらに難しい。彼が言ひたいのは、都會的な教養を脱して單純性へと轉換することは難しい、といふことである。豐富な肉汁ソースが詰まつた手の込んだ鷄肉を準備するのは難しいが、鹽がふりかけられただけの、沸騰した湯で煮殺されたばかりの鷄を味はふことを習得するのはもつと難しい。町にサーカスがあれば、私はやはりサーカスに行き、ピーナッツを食べる。私はいかなる人間に對しても、キャビアからピーナッツを守る用意ができてゐる。
我々は、耐へ得るほどに深く、普通の感受性を持つた處世哲學なき、私をぞっとさせる專門知識の眼鏡を持つてゐる。近代哲學はもちろん、生活とも人生における振舞ひとも關係がない。現代の大學教授は、正しく生きることを教へるつもりだと言ふことを恥ぢることだらう。いや、彼はギリシア思想あるいは中世思想を教へる。我々は、知識が粉碎された時代、知識の霧に包まれた時代に生きてゐる。知識の總合は、單に不足してゐるばかりでなく、不可能にさへみる。だが、あらゆる知識の統一は、かつては哲學の仕事であつた。私にとつて哲學とは、價値の研究、相對的價値の研究であり、生きることに必要不可缺なものからさうでないものを除外することであるやうに見える。學術的な哲學が、知識と現實との關係(現實は本當だらうか、など。しかし、普通の人生の論證可能な關係を見つけるのは難しい)のやうな思索的な無意味の中で失はれたとしても、何の問題もない。私は、「哲學への奇襲」について語るウィリアム・ジェームズが好きだ。彼は、彼の眞の餌場たる、普通の人生(たとへば、サラトガでの一日)について考へた。そして、それが脱け出ることが可能なものであることを單に發見するために、哲學への奇襲を行ふ。彼の心は、灰色に塗られた哲學の壁の背後に閉ぢ込められるやうな、知りたがりの好奇心からは遠く離れてゐた。教授たちが彼らの長い言葉によつて何を話してゐるかを私は理解することができると信じるが、私は眞の洞察と常識との、時折の突撃を見る方が好きである。
中國の人文主義は、人生の目的の正當な概念、生きることの眞の目的への鋭い焦點、そしてすべての必要不可缺でないものを取り除くことを意味する。この世には往々にして、あまりにも多くの重要でない枝葉末節の問題がある。
物質的快適さについて問うてみよう。西洋文明が物質文明であるのに對して、東洋文明は專らずば拔けて精神的である、と主張することは、東洋人の流儀であつた。私は、それを否定する。私は、東洋がより多くの物質的快適さを持つてゐると信じる。中國人およびその他の東洋人は、單に必要不可缺なものを潔く行はうとするだけである。西洋に水洗トイレとエナメル浴場があるために、我々は西洋が物質的であると主張する。水洗トイレを持たない者、または風呂に入らない者は、必ずしもそれをする者よりも「精神的」であるわけではない。彼が水洗トイレを使はないのは、單にそれを持つてゐないからであるに過ぎない。森の賢人が風呂をとらないのは、單にとらないだけである。それはより以上にも以下にも彼を「精神的」にするわけではない。他方で、作られたものの背後には、それを作る人がゐる。西洋文明の背景には科學がある。カメラと宇宙船は心の創造物である。カメラを作らなかつた東洋人は、單にそれを作らなかつただけであり、すべての東洋人は心のカメラが好きである。パンチェン・ラマのインドへの訪問中に、最も精神的な宗教の精神的なトップは、カメラに法外な額のお金を使つた。他方で、中國人は、實際に物質的快適さに熱中する。すべての觀光客は、より多くの餘暇とより優雅な生活があるために、東洋の生活の方がより快適であることを知つてゐる。ニューヨークの輸送機關、密集した幹線道路に沿つて運轉すること、ある場所または別の場所に急ぐこと、簡單な晝食に座る椅子なきカクテル・パーティ、樹木に蔽はれてゐない大通り、それの何が快適なのか私にはわからない。アメリカ人は、これらのものすべてに辛抱してゐる。アメリカで私が唯一免れたのは、シャワーである。ああ、アメリカのシャワー・バス!
物質的快適さに關する要點は、これらが習慣の問題であるといふことであり、ある國民にとつては快適なものが、他國民にとつては不快となる。英國人は、アメリカの暖房に我慢することができない。これらは習慣の問題であり、すべては「表面的」なものである。それらは正當にも現代の文明の利器と呼ばれてをり、文明の利器とは、人が自分自身で行ふやう訓練することができるものである。常に、本質的問題に立ち返る。ポータブル・タイプライターは、分類作業を改善する。それは確かなことである。だが、果たしてポータブル・タイプライターが良き作家をもたらすだらうか? さうはならない。水道水は喜ばしいことだが、ゲーテとシラーは土瓶および洗面器で洗ひ、素晴らしいものを書いた。それらは本當に重要なものだらうか? テレビは、より良い子供、より良い思考をする子供をもたらすだらうか? アメリカの教育制度は、より良い人、より良い夫および妻をもたらすだらうか? 教育の目標は何であらうか? 教育は、人間關係についての明確な思考と理解に向ふだらうか? これらは生きることの本質に對する問ひである。
「人文主義」といふ言葉はいくつかの意味を持つてゐる。ルネサンスの人文主義は、中世の神學に對する沒頭からはつきりと區別されるやうに、ギリシアとローマの古典文學といふ人文學の研究に關係してゐた。それは、人が意識を集中させる思考の體系をも意味し、自然や神よりも人間關係や人間的興味により關心を持つた。ある小説で私は、少女の教養學校のためのモットーとして、「女性の適切な學問は人である」と書いた。さらに、男性の適切な學問もまた同樣に人である、と付け加へてもよい。中國の人文主義は、この世で死後の世界や宇宙についての形而上學に對して奇妙なほどにほとんど興味を示さない。それはかなりシンプルな提案をしてゐる。我々は今ここでこの生活を送つてゐる。それを受け容れることで、我々に何ができるかを確かめてほしい。中國人の人文主義の氣質は、死に關する問ひに對する孔子の答への一文の中に含まれてゐる。「我々はいかに生きるかを知らない。どうして死について問ふだらうか」。それは野心的でなく、思索的もない、現實的な提案である。儒教の全體の教へは、儒家自身によつて、人間關係に關する教へとして記述される。
人生を受け容れるといふことの中に、中國の人文主義に關する悲哀と快活がある。それはマルクス・アウレリウスの倫理を私に想起させる。宗教の缺如は、それをやや悲しくさせ、詩的にさせ、私が感受性の高い處世哲學と呼ぶものにさせる。我々は造物主について、魂の不滅について何を知つてゐるだらうか? 何も知らない。一方、ここにある人生は短いが、そのあらゆる美點、恐怖、悲痛、苦鬪と希望、哀愁と悲劇と共に美しい。それが悲しみに滿ちたものとなるか、幸福なものとなるかは、我々次第である。我々は皆、この地上に一時的に滯在する訪問客に過ぎない。それは、もし我々の滯在が短いならば、それを樂しむべきだといふことを意味してゐる。人生の目的は、それを賢明に樂しむことにある。詩人李白曰く、「夫れ天地は萬物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢の若し。歡を爲すこと幾何ぞ…」と。
この感受性の高い處世哲學は、王羲之の有名な「蘭亭序」の描寫の中によく傳へられてゐる。「穩やかな微風が流れる澄み切つた春の日。生命と共に鼓動し、我々の前に擴がる廣大な宇宙は、我々の眼を樂しませ、精神とすべての感覺を喜ばせる。…人が相共に集まれば、彼らは過去と未來へと思想の旅をする。…時が經ち、自らの追求するものに飽きてしまひ、ついこの前まで彼を魅了してゐたものは單なる思ひ出となる。我々が長く生きようが短く生きようが、誰もが無に歸す、とは何といふ考へだらうか? 古人も死を大きな問題として見なしてゐたが、それについて考へることは何と悲しいことではないだらうか?」
それは蘇東坡の詩の中において最もよく表現されてをり、中國の詩の中で私が最も好きな詩である。
澄み切つた月の銀色の夜
汝の盃に注ぐ時には、必ずそれを滿たすべし
虚名や浮利のためには努力するのはやめよう
過ぎ去る夢――
きらめく火打ち石――
影の飛行
素晴らしい最上の知識は何だらうか
純眞で單純な餘暇
私は家に歸り、庭園に向はう
雲の道――
甘い音色の琴
一壺の酒譯注二十七
中國の人文主義は、自らのこの我々の人間世界に限つてゐる。人間の人生はそれ自體が廣大で複雜であり、あらゆる問題の惱みの種は人と人の間の道徳關係である。それは遠くにあるものではなく、最初に、最後に、そしていつでも、常に人間關係の研究に立ち返る。それは人の生活、彼の家、家族、そして庭園といふ中心問題に囘歸する。
汝の庭を掃除せよ、ただし、苔が生えたところは殘しておかう
花弁に紫の點で汝の階段を飾らう
まるで繪畫のやうに。さらに素晴らしいことには、
いくつかの松――
いくつかの竹――
そして杏の木
友人が到着したなら、汝は感嘆する
何も仕事がないといふことは誰にとつても實に素晴らしい
のんびりと半日、留まつてくれるやう彼に御願ひする
幸福なら呑み――
醉へば歌ひ――
疲れたら眠る
これは、短いが美しいこの世に對する愛に滿ちた人生觀の本質である。そこにはストイックな良き陽氣さがある。
科學と專門知識および技術のあらゆる追求の後に、我々が必要としてゐるものは、人自身に對する關心であるやうだ。今日必要とされてゐるものは、知識を人間味のあるものにすることである。それは相對的重要度を振り分け、幸福な人生の目的へとすべての價値を關連づける。現代の知識は、信じられないほどの複雜さの中で成長してきた。遲かれ早かれ、それは再び單純性に立ち返るに違ひない。それは單純な視點を必要とするだらう。さうして、我々は世界が經過するのを眺める餘裕を持つことができるやうになる。世界は、多くの品物を備へた市場に似てゐる。人が樂しむことができるものは、彼が籠に入れて持ち歸るものである。彼が籠を忘れないこと、また空つぽの籠を家に持つて歸らないことを祈らう。