この時代は通常、唯物論者の時代として語られる。私は、これが意味するところを吟味してみたい。誰もが、ある一つの形式または別の形式の信念を持つてゐる、といふのが私の見解である。信念によつて我々が意味するのは、人生の作業假説である。信念とは、不充分な證據に對する何らかの確信である。この意味で、信念は裁判における有罪の確信とは異なる。裁判所は、證據不充分の人を有罪と判決することはできない。しかし、人生の作業假説として、我々は皆、信念に基づいて行動する。人間の心は、あるものを全體として理解し、そこにある利用可能な證據で一般化することを好む。科學でさへ、まづ假説で始まり、次にそれを證明しようとする。それを證明することができる前に、アインシュタインは彼の相對性理論を持つてゐた。故に、假説は必要不可缺である。X線と赤外線に關する理論は、すべてそれらの發見に先行した。我々は部分を知つてゐるが、全體を知るまでは不滿なのである。
この世において信念は再び、我々が眞理であると考へるものに基づいていくつかのものを當然と考へようとしてゐる。たとへ、それが決定的には證明されないかもしれないとしても。信念は間違つてゐるかもしれないし、非常に愚かであるかもしれない。しかし、誰もがある種の信念を持ち、それに基づいて行動する。哲學者は、人間本性が善であるか惡であるかといふ問題について、永遠に議論を續けることができるが、決して確定した結論に到達することはできない。我々は物事を決めつけ、それを當然と考へる。これらは、我々の基本的な信條である。國民の信念は、信條の流行に似てをり、我々が意識的あるいは無意識的に當然と考へる有效な信條の集合體である。私が「有效」と言ふのは、我々の行動を決定するのに有效なものとしてさうした信條が受容されてゐるからである。それは受容された流行に似てゐる。信念は、我々の思想の流行であり、思想と理想の流行である。もしあなたが紙幣と貨幣が混亂する國に旅行するか、多くの僞通貨がある市場に行けば、明確な違和感を持つことだらう。信條が混亂する時、一種の精神的「沈滯」が生じる。人生が混亂と恐怖に滿ちてゐるやうに見える時、人間の基本的信條は奪はれる。彼は不快に感じるが、それがなぜなのかを知らない。
異なる時代にはそれらの信條がある――間違つてゐるかもしれないが、それでもそれらには信條がある。未開人には未開人の信條があるのだ。十七世紀は、これがあり得べき最善の世界であり(ライプニッツ)、「存在するものすべては正しい」(アレキサンダー・ポープ)と信じた。それは、今日の我々には共有することのできない、贅澤な心地よい信條であると想像することができる。十八世紀は高度に樂觀的であつた――ルソー、ヴォルテール、および殘りの全て。それは啓蒙の時代であり、人間の進歩と新たな自由な理性に對する信仰の時代であつた。浪漫主義者たちもまた、さうした信念を持つてゐた(ティーク、ノヴァーリス、ハイネ)。彼らもまた、清潔で整然とした居住を求める合理主義者の世界に多くの樂しみを抱いてゐた。彼らは、奇妙なもの、新奇なもの、立證困難なものすべてに對する野生的な想像、擴張する理解を信じた。とりわけ、彼らは感覺、情熱、そして想像を信じた。それは、味氣ない理性の無情な世界への興味深い反抗であつた。その後、産業革命が續いた。それは、經濟の比重を高め、我々の概念の重大な變化をもたらした。
ある個人または彼の時代が唯物論的であると言ふ場合、我々は何を意味してゐるのか。我々は、彼らが精神的價値以上に重視する一揃ひの物質的價値を持つてゐる、といふことを意味する。それは、すべて我々が「價値あるもの」と見なすものに對する疑ひの相對的強調である。
まづ第一に、唯物論者たちは、全世界について機械的に説明することができると信じてゐる人であり、岩と鑛物について説明することができると同樣に、生命もすべて結局は説明することができると信じてゐる人である。第二に、唯物論者は、すべての人間の問題は、個人の意志よりも、むしろ物質的環境に起因すると信じる。これらの問題の唯一の解決策は經濟であり、犯罪は相續に、少年非行は貧困と物質的背景の不足に起因するのであり、スラム地區の交差點で遊んでゐる少年は、必ずや、あるいは當然、非行少年である。あたかも、スラム街には最も素晴らしい子供たちが育つてをらず、天才がそこには住んでゐないかのやうに! そこには決定論の色調、物質的要因、時代、收入などを強調する傾向がある。銀行強盜をする十八歳の成長した少年。「社會科學者」が我々に説くところでは、彼が「若過ぎる」ため、あるいは「適應障害の個人」であるために、さうするのだといふ。時計を「科學的」に再調整するやうに、彼の精神の設備(素養)を再調整した方が良いやうに私は思ふ。換言すれば、少年には銀行強盜をする知力はあつたが、善惡を區別する知力がなかつたのだ。罪が犯された場合、犯罪者自身を除く全ての者が非難される。社會科學者は、斷罪したり賞讚したりすることを躊躇ふ。道徳的責務は、裏口から投げ捨てられたのだ。これは、私を恐ろしく樂しませる客觀的な、似非科學的な姿勢である。すべての少年非行の眞の父は「社會科學者」である。底に潛む社會「科學者」をぴしやりと打て。さうすれば、非行少年は姿を消すだらう。
國民福祉の分野においては、經濟的魔法――ドルがすべてを解決するだらうといふことを信じてゐる。これは、世界を救ふ普遍的な手段として、「生活水準を上げる」主義である。それは、あらゆる諸國がその國の「生活水準」を上げることができたならば、我々は皆それを望むといふ暗默の假定である。人々の生活水準を上げようではないか。それが我々が考へるものすべてである場合に限り、この種の考へは唯物論と呼ばれるかもしれない。それは、經濟發展が經濟問題を解決するどころか、より多くの經濟問題を引き起こすことを忘れた、經濟的魔法に對する一種の確信である。いはゆる文明國のうちのいくつかでは、食糧の生産と消費は人の精神的な確信よりも重要であると見なされてゐる。エンジンが油を必要とするやうに、人は食物を消費する必要のある生産の手段と見なされてゐる。それは論理上、思考の方法として唯物辨證法に贊同する國で起こる。蟻が效率的に働き、食物を生産するならば、蟻のやうな人間社會を組織しようではないか。蟻は我々の理想になる。それは、人の概念の變化(ライプニッツ、ヴォルテール、エマーソン、そしてソローが何も知らなかつた概念)を含んでゐる。もし唯物論者ならば、あなたは「進歩的」であり、人には他の必要、他の價値(たとへば思想の自由)があるとなほ信じてゐるならば、あなたは「反動的」である。これは純粹で單純な政治的唯物論である。それはそのやうに捌かれ、喧傳される。
我々は何かを失つたやうに見える――新鮮さ、チリンチリンといふ音、ワーズワースの不朽の暗示。それは産業革命の前にはあつた。平和、自信、自然の囘復力に對する確信がまだ可能であつた。十九世紀半ばおよび後期においては、我々はなほマシュー・アーノルドやロバート・ブラウニングの穩やかな汎神論、テニソンの輕快な樂觀論、トーマス・カーライルの仕事と勇氣に對する甲高い叫び聲、エマーソンにおける人および自己の良心の卓越した榮光、ソローにおける獨立と自然とへ召命。今日、卓越したエマーソン、あるいは騷々しいカーライル、そしてもの悲しげな眼をしたマシュー・アーノルドを想像することはできない。我々は變つたのだ。彼らを「時代遲れ」と我々が呼ぶゆゑんである。その時代に、ヴィクトリアの下院はまだ崩壞してゐなかつた。少女たちはなほ、思慮、忍耐、信念に似たヴィクトリア朝の名前を持つてゐた。これらのヴィクトリア朝の巨星たちは今、時代遲れとなつた。彼らは、悲觀論者、虚無主義者、實存主義者でもなければ、刹那的本能を除いた人生の空虚を宣言する「強烈な」詩人でもなく、精神病質者を喜ぶ戲曲作家でもない。これらの人々は、まだ美と調和を信じることができた。彼らは、ゲーンズボロの『青い少年』を嘲笑しなかつた。藝術家は妊娠してゐる豚のやうに女性を描寫せず、ピカソのやうに女性のはれた足首が好きではなかつた。
我々のアヴァンギャルド(前衞的藝術家)は、あまりにも前に進んでしまつた。我々の現代美術の首唱者は「美」と「調和」といふ言葉に尻込みした。これらの言葉は、それが何を意味してゐるのかを表現するのには不充分である。銃彈によつて飛び散る自動車窓に、物體の全的崩壞の「美」を見出すことができる用心深い感性以外には。否、彼らは餘りにも遠くへ行つてしまつた。美、調和、そして人生が深遠で完全で全體であると見る天賦の才を遙かに超えてしまつた。なぜなら、人の「全體性」がすでに失はれてしまつたからである。現代畫家は、綺麗な一揃ひの美脚を見たり、自動車のフェンダーを壞したことよりもむしろ日沒によつて罪を告白したりすることを恥ぢることだらう。人生を全體として見る代りに、それを混亂した、もつれたものとして見なければならず、人生を深遠で完全なものとして見る代りに、小さな棘に滿ちた感覺、惡く裝ひ隱された生氣を缺いた死骸から成るものとして見なければならない。我々は、我々自身の氣分、我々の時代、この唯物論的時代の氣分を理解しなければならない。
換言すれば、我々は單に神經症になつてゐるのだ。神經病醫の誰もがさう診斷してくれるので、神經症患者は神經症であることを樂しむことだらう。しかしながら、その者は斬新さ、單純な陽氣さといふ才能、また人生をしつかりと見据ゑ、それを全體として見る能力を失ふことによつて、何かを失ふことだらう。
唯物論的思考の傾向は、百年以上前にその起源を持つ。十九世紀中頃、鑛物や植物を研究するかのやうに、人間の社會および人間の事象を研究し始めた思想集團が誕生した。急速に高まる科學の名聲のために、人文學の教授陣は、物質的要因によつて歴史と人生のすべてを説明する可能性を想像し始めた。最良の例は、イポリット・テーヌの『英國文學史』の冒頭における彼の有名な一節である、「美徳と惡徳は、ちやうど砂糖と硫酸鹽がさうであるやうに、製品である」。誰もが科學的になつてをり、科學用語を話さうとした。歴史においては、歴史の經濟的解釋がある。それは、モムゼンの『ローマ史』と共に始まつた。興味深いいくつかの年代がある。モムゼンの著作が最初に出版されたのは一八五四年、先に引用したテーヌの著作は一八五六年、ダーウィンの『種の起源』は一八五九年、ルナンの『イエスの生涯』一八六三年、カール・マルクスの『資本論』第一卷は一八六七年である。同じ年、ゾラは彼の「自然主義小説」の解剖學派を始めた。これらのうちのいくつかは傑作であつたが、當時の方法と思考の一般的傾向、特にダーウィンが彼の重大な發見をした時、カール・マルクスが彼の作品を書いてゐた、といふ事實に注目することは面白い。しかしながら、ダーウィンは自然科學について書いてゐた。科學の名聲は猛烈であつた。博物學者が自然法則について語つてゐたのを同じやうに、マルクスもまた、彼が深遠な社會進化の唯物論的法則を發見したと信じるに至るやう導かれた。所與の物理的な原因から、科學が結果を豫言することができるやうに、マルクスも社會の不可避な不變の法則について語り始めた。彼は特に、擬似科學的な唯物論を喧傳した。そこには經濟決定論の強い調子があつた。彼は、家族への愛や國への愛のやうな「ブルジョア」本能が消滅するかもしれないこと、富の分配の變更によつて人を變へることができると信じた。それは極端に推し進められた唯物論的方法である。
そのやうな唯物論の結果は、第一に人を主として動物と見なす――それは唯物論の核心である。第二に、科學の客觀的方法を模倣する際に、道徳とは無關係の視點をとるに違ひない。單に觀察し、説明するだけで、賞讚もしなければ非難もしない。科學においては、價値判斷を必要としないため、客觀的に道徳とは無關係である。科學的な學者は、道徳判斷をすべて省略しなければならず、事實のみに關係してゐなければならない。かうして、人間の進歩は、ジャガイモ栽培の方向と共に移動する二足歩行動物として見なされる。道徳的價値は消滅する傾向にあり、經濟的價値だけが有力な役割を演じる。結局、これは現代世界の習慣的な一般的な思考樣式になつた。道徳的精神的價値に對する嫌惡、いや、專ら人を經濟的必要性を備へた動物と見なすことにさへ、人間社會についての明確で徹底した科學的視點に關する魅力がある。そのやうな唯物辨證法への最良の答へは、そのやうな唯物論を實踐する國家の倫理および一般的行爲である。正直、親切、あるいは條約の尊重といつた「ブルジョア的」美徳によつて、それらの國家を非難することはできない。力と恐怖こそが、男と女、敵と味方が取引をする數少ない有效な方法であることを、唯物論者は認めなければならない。それは恥知らずの唯物論である。
孔子はかつてかう言つた、やむを得ない場合には、國は軍隊がなくともやつていける。また、やむを得ない場合には、食物がなくともやつていける。しかし、信頼(faith)なくして、國家は存續することはできない譯注二十六、と。いくつかの單純な信念(faith)、單純な美徳の囘復こそが、現代人の知性に課せられた最初の任務であるやうに思へる。我々には充分な教養があると私は信じる。いくつかの單純な美徳に對する確信が普及してゐたならば、我々は皆、遙かに幸福であらう。單純性への囘歸はあり得るのだらうか? 私にはわからない。いかなる場合も、我々は皆、信じると決めたものを信じる。誰もが何かを信じるのであり、何も信じないといふことは誰にもできない。共産主義者が神に對する不信を宣言する時、彼らは速やかに彼ら自身の必要のための神を創造し、彼らの神に對する同樣の輕率な崇拜、神の肖像のパレード、三位一體(父なるマルクス、子なるレーニン、聖靈なるスターリン)の同じ使用、同じ祈祷、通説に對する同じ主張、見解の違ひに對する同じ迫害を要求する。職業的無神論者よりも偉大な偶像崇拜者はなく、無神論の國家よりも、彼らの創造主に對して盲目的に讚美歌を歌ふ偶像崇拜の偉大な群集はゐない。