日本語版『林語堂全集』を目指して

型破りな芸術家

それは忘れがたい日であつた。私の妻には、州立精神病院で女醫として働いてゐた從姉妹がゐた。私は「精神病院」と即座に言ふことができない。それは少し不親切である。その上、我々普通の人々と施設の收容者との間にきちんとした區分があると假定することも任意である。それは素晴らしい四月のある日だつた。我々はそこに自動車で行つてをり、Y博士が彼女自身の平地とトマト園を持つてゐたため、一晩留まる覺悟をしてゐた。Y博士は健全な常識家で、物事に關する慣習的な見解を共有してゐた。したがつて、私には普通の訪問者よりも施設の内部をより良く見る特權があつた。
この州立病院は非常によく經營されてゐた。それは、緑の芝生、赤い煉瓦の家、適當に植ゑられた立派な樹々からつくられてゐた。私を最も心打つたのは、私が期待した鐵のゲートがなかつたといふ事實であつた。大多數の患者がとても自由に町に行くことができると、Y博士は我々に知らせてくれた。醫者の寮に到着してすぐに、中年女性が皺がよつた手で身振りで表現しながら、空中に大聲で話しかけるを見た以外は、他の病院と似てゐた。我々は、彼女が誰に話しかけてゐるのかわからなかつた。彼女の顏は生き生きとしてゐた。彼女は何分間か空中に熱辯を奮ひ、次に首を振り、不信の微笑みをした。
「彼女はいつもさうします」と、我々の從姉妹は言つた。「彼女は全く無害です」
「彼女は目に見えない對話者に話しかけてゐるのですか?」
「はい。精神病のあらゆる類型と段階がここにはあります」
これは眞實であつた。その證據に、晝食時に會つた患者は、それらのうちの一つを私に示してくれた。彼は陽氣で親しみがあり、料理の配膳と食卓の掃除を手傳ひ、非常に分別良く話した。
「彼は患者ですか?」
「はい。彼は今、二、三年ここにゐます」
「彼はどこが惡いのですか?」
「彼は、一つのことを除けば、すべての點で完全に健全です。彼がベルトに着用してゐるメダルに關して、彼に訊ねてみてください」
それは、どんな骨董屋でも買ふことができる、安い銅メダルであつた。私がメダルを見せてくれるよう頼んだ時の、彼の誇りに滿ちた表情と燦めく眼の光を見るべきだ。彼は人格的に、皇帝ナポレオンによつて彩られてゐた。そのやうな人が、普通の家で、普通の生活を送り、普通の人々がゐる都市に出向くことが許されない理由が、私にはわからない。
「譯がわからないのですね」と、私達の從姉妹が言つた。「それらのうちの多くは、確かに行ひます。おそらく多くの健全な人々も奇妙な考へ、完全に正氣でない考へを持つてゐます。教育を受けた人々も同樣です」
私は、その病院の精神病患者に關する報告書をつくつてゐるわけではないが、紙ドーナツ(中心の圓形の穴をもつた紙の小さなかけら)を切り取つて、行く先々で「殘り香」としてそれらを殘していつた人の事例について言及することにしよう。私の從姉妹は、芝生の上で紙ドーナツの破片を見て、彼がその道を通つたことを知つた。さらには、いつかそれを公開するつもりで、鉛筆で日記を何頁も綴つた人の事例もあつた。彼の拙文の例を提示することは不要である。彼がそれに適してゐるといふことに疑ひの餘地はない。その精神病院には、かなり多くの挫折した才能ある文學者、藝術家がゐた。
私が最も興味をそそられた人、その者の教養ある言語と、批評的表現法を驅使する非凡な力に、私は完全に不意を襲はれた。彼はベッドの上によぢれた警官バッジ、頭がよぢれた四つあるいは五つのマッチ棒、そして排水管の一部を吊るしてゐた。彼自身がそこにそれを置いて賞讚してをり、誰もそれに觸れることを許さない、と私は推測した。私の從姉妹は、それが誰にも害をもたらさなかつたため、彼がそののままにすることが許された、と言つた。しかし、もし誰かがそれに觸れれば、彼は直ちに飛んでくるだらう。
彼の顏は幸福に輝いてゐた。私が彼を見過ごすと共に、彼は私を見て、女性よりも高い調子で熱心に叫んだ、「おお、あなたは中國人ですね。私は陶磁器を愛してゐます。その技巧、光澤、優美さ、青磁器の名状しがたいものを愛してゐます」
彼は素晴らしいアクセントでフランス語を話した。彼の發音は完璧だつた。かえ彼が言つた「delicacy優美さ」といふ單語のやうに、彼は頭を横に甘美に傾けた。私は魅了されたやうに固まつた。Y博士は氣短になつてゐた。
「行きませうか。あなたに他のいくつかの事例を紹介したいのです」
「いいえ。私はこの人に魅了されました。ここにゐるのは天才です」
Y博士と私の妻は前に進んで行つた。私は好んで殘る方を選んだ。
「私が思ふに、あなたは藝術家ですね」と、會話を始めようとして私はさう言つた。
「彫刻家と呼んでくれ。あなたはそれが好きなのですか」
「その警官バッジをつくるのに、あなたは金槌や鑿を使はなかつたと私は確信してゐます」
彼の顏は眞劍で、その表情は豫言的であつた。「眞の彫刻家は鑿を拒絶し、眞の畫家は筆を拒絶する」、と彼は返答した。
「私はあなたに魅了されました」
「座つてください」、彼はベッドで起き、大きな男性的な手は獨斷的な一撃をなした。
「私にそれらのマッチ棒の意味を教へて下さい」
彼は再び沈思默考して、頭を横に傾けた。
「嗚呼! それらは何と美しいではありませんか」。私が注意深い、明らかに興味を抱いてゐる聞き手とわかつて、彼はかう言つた。「それらの四つあるいは五つの白い線が空中でぶつかるのを見てごらん。言ふなれば、それらが警官バッジの圓形の輪郭をどのくらゐ微細に取り除き、それを完成するかを確かめるのです。そして、藝術的な抑制、情緒的な謙遜、凄じい訓練が痕跡として殘される」
「棒のうちの一つは、他のもの以上にぐつたりする」、私は躊躇ひながら試みてみた。私は、その歪んだ置き換へられたマッチ棒の批判として、それを意味したのではない。この私の些細な無害な發言は、彼の全構造中の何かを燃やすやうに見えた。
彼は聲を震はせながらかう言つた、「嗚呼、あなたは理解してゐない。私自身はそのやうには言つてゐない。私は告白しなければならない。私は、最適な調和を滿たす配置について考へようとして、空間的關係と先端の分配の問題と苦惱する七日間を過ごした。悲しいかな! 少年老い易く、學成り難し。私にはそれをすることができない。二日前、蠅がやつてきた。それが何をもたらしたのか、私は知らない。だが、それが去つた時、そこにあつたのは…」
「あなたが言ひたいのは…」
「私は、それが完璧であると言つてゐるのです。それに觸れないでもらひたい!」
私は、ベッドの隅に座る身振りをした。
「嗚呼、どうか」
私は手前で止まつた。私が何をしたといふのか。
その男は、あたかも世界的名作が殺されるかのやうに見えた。
「どうか」と彼は請うた。
「何を?」
「どうかベッドのシーツに觸れないでほしい」
シーツは上に向けられ、ベッドの隅へ投じられてゐた。私の見る限り、ねぢれたシーツに、特別な天才畫家の片鱗を示すいかなるパターンもなかつた。しかしながら、私は判斷を保留した。私は、サンパウロにおいて二年ごとに開催される有名な萬國博覽會において、主要な現代イタリア人藝術家の一人によつて描かれた入賞展示作品を見た。それは古いシーツで、中心部は生地が汚く不潔なおむつ、あるいは女性のパンティのいづれかであらう三角形の一片が縫はれてゐた。そこには、超一級のアルゼンチンの藝術家によつてつくられた三つのナイフの切り傷(その他にはなにもない)がある、全くの無の別のシーツがあつた。
「私は狂つてゐるのか?」と、私は半分聞えるやうに自分自身に訊ねた。
彼は、私を安心させようとかう言つた、「いいえ、あなたは狂つてなんかゐません。あなたが必要としてゐるのは洗練された審美眼だ。光の發生率、情緒を喚起する力、そして、ベッドの隅の黒く固い練鐵の表面と對照をなすやうに調整された卓越した綿の配置を考慮することなく、私がそこにシーツを投出したとあなたは思ふだらうか」
「思ひもしません」と、私は謙虚に言つた。「警官バッジはどうですか?」「嗚呼、警官バッジ! 圓形であることに氣づいてゐますね」
「はい」
「圓形はあなたに何を示唆してゐますか?」
「無限」
「やはり。宇宙の無限のそのやうな力、暗示は、青い天國へと變る、光輝く小さな星のやうに、その上の小さなマッチ棒によつて突かれた」
「推測が當つてゐて嬉しい」、と私はホッとした。
「すごいぞ! よくぞ理解した! どうか…あなたは、この私の創造物を理解することができるかもしれない、私が出會つたたつた一人の人間だ。どうか、私を忘れないでほしい。私の名前はジョージ・ニスベット・オズボーンです。ニスベットは私の母の名前です。藝術は、そのやうに壞れやすく脆いものなのです。私が生きてゐる限り、誰にもそれに觸れさせないでゐるつもりです。しかし、私が去つた時、メトロポリタンがそれに十萬ドル、おそらくはそれ以上拂ふだらうことを知つてゐる。ジョージ・ニスベット・オズボーン。それが私の名前です」
「オズボーンさん、私は覺えてゐることでせう。あなたと知り合ふことができて嬉しいです」
彼の顏には純眞な滿足の表情が示された。彼は少年のやうな微笑みを示した。「今や、あなたは理解した。もちろん、私は壞れた蓋によつて示唆された幸福な驚きをあなたに指摘する必要はありません。さう、バッジは無限を示唆してゐるが、繼續的な無限は藝術的に耐へられない。開かれた蓋のギザギザのある端は、必要不可缺な對照と起伏を提供する。それはかう言ふ、『私はあなたにその方法を示す――不可解な内部の暗闇の隅からの出口を示す』と。そこには笑ひ(解放)がある、境界は破壞されてゐる! それは排水管を手にして上にあげてかう言ふ、「止まれ! そこに留まりなさい」と。ギザギザのあるその蓋なしでは、それは無意味になる。私が意味してゐるのは、排水管の均衡ある形状に、述べるべきメッセージは藝術的にはないといふことだ。解つていただけますか?」
「私は、それは單純に素晴らしいと思ひます。どこでその排水管を拾ひ上げたのですか?」
「もちろん、裏庭で。多くのコカ・コーラのボトルに埋もれてゐました。しかしながら、警官バッジはY博士の裏庭からです。あなたには檢討がつかないでせう。そこには二つの仕切られば場所があり、一方は直線、他方はやや灣曲してゐる。情緒的により滿足するものとして、私は灣曲した方を好む。それは、言はば空間的關係を拘束するのを助けてゐる。しかし、それらはすべて、幸福で藝術的な思考および識別力の問題です。あなたは灣曲にほとんど氣づきません。しかし、いづれにせよそれは全體として、私が整へたやうに、調和した謙遜、精巧な目的、最上の「名状しがたいものje-ne-sais-quoi」の感覺を傳へる…フランス語は解りますか? 何だつて…私はパリのレフト・バンク(セーヌ川南岸の地區)の聖ジェルマン通りの知覺で藝術を勉強しました――」
ここで小休止があつた。彼の眼は潤んでゐた。「Ma pauvre tante! 猫が死にました。ムッソリーニと一緒にスパゲッティを食べたいとは思はないでせう。オリベッティと一緒に、それもトゥッティフルッティ(刻んだ砂糖づけ果物入りアイスクリーム)と共に食べたいはずだ。英國憲法は間違つてゐる、間違つてゐる、間違つてゐる――」
彼の正氣な一時は過ぎ去つた。氣づかれないであらうと知りつつ、私は靜かに立ち去つた。
これは十年か十二年前のことである。私は、その藝術家の身に何が降かかつた知らない。妻の從姉妹はその間に亡くなり、私は再びその州立病院を訪れることはなかつた。私は、ジョージ・ニスベット・オズボーンは、最近になつて頭角を現はすやうになつた型破り藝術派の眞の先驅者だつたかもしれないといふ確信の中で、これを書いてゐる。我々自身と狂氣を識別するのは誰か? マディソン通りの畫廊のうちの一つが、オズボーンの作品によつて占められることは考へられることである。それは全くもつてあり得ることである。そのため、私はしばしば五十七番街と上方のマディソン通りの畫廊に立ち寄る――何年も前に出會つたあの警官バッジを見つける希望を抱きながら

© 2012 All rights reserved.| Webnode AGは無断で加工・転送する事を禁じます。

無料でホームページを作成しようWebnode