日本語版『林語堂全集』を目指して

帽子なき復活祭

一九六二年の復活祭(イースター)である。歴史的に重要な出來事がアメリカで起きた――帽子なき復活祭。復活祭なき帽子は慘めだが、帽子なき復活祭はアメリカ女性の好みにおける著しい進化を示してゐる。アメリカ女性、特に若い女性は、髮が女性の榮光であることを理解してゐる。髮型は、いかなるスタイルであれ、最も女らしい訴へのうちの一つである。帽子は、十中八九それを損なふ。
なるほど、五番街の行列には、白、紫、濃い青の帽子がちらほら見える。これらは他所者が所有するものであり、ロックフェラー・プラザ・ビルを見上げるために彼らの頭を上げるといふことを確信することができる。彼らは何が良いのかよく知らない。復活祭の行進は、春が來たら冬コートを捨て、美裝で行進することができるといふ考へに基づいてゐる。目的は引き立てることである。素晴らしい。他方で、徹底的に女性の顏を變へてしまふ頭に何を載せるかについて、良識のある女性は三度考へ直す。それを引き立てるために、あなたは新しい帽子を持つてきて、手の中に開く。だが、それを被る時には、色においては髮と一致し(赤褐色の髮に茶色の帽子、黒髮にブラック・ベルベットといふやうに)、形においては髮の輪郭の一部を形成することをかなりの程度確信する必要がある。黒髮に白いパンケーキをぱつと被り、「見て、驚くほどではない?」と言ふことはできない。それは、あなた以外の全員を茫然とさせる。滿洲人の女性が行なつたやうに、頬の紅として明るい朱色は塗らない。そこには美しい刺青が溶け込む。何人かの野蠻人は、脣に輪を通してゐる。なぜ駄目なのか? 私は、實際の人參、株、牡蠣のスフレ、點滅、ナイチンゲール、アメリカ・インディアン・ビーズ、女性の頭につける貝殼のリングを刺繍する刺青といふ贅澤品(魅力のための魅力)に言及する必要はない。これらはすべて、實際に行なはれた。私は刺青派、あるいはサーカスの餘興について話してゐるわけではない。私は文明化した美的感覺、女性の魅力のアピールについて話してゐるのだ。
いつ、いかなる場所、いかなる樣式においても、髮は女性の榮光である。いくつかのパンケーキのやうに、それを隱したり、覆つたり、分けたり、圖を描いたりしない。パリの人の帽子を見たことがあるだらうか? 帽子は女性の髮と全體の輪郭に關係してゐるため、アピールのポイントになる。それらの微妙な點は、我々の注意を逃れる。だが、髮が女性の榮光であることは、フランス人女性も知つてゐる。それは最も亂暴に髮を毛ばだてて見せびらかす方法である。アメリカ人女性はフランス人女性よりも髮をより良く手入れしてをり、その髮型は審美眼と識別力の雙方を示してゐる。ではなぜ、それと何ら關係がないであらうものを載せた髮の輪郭部を破壞するのか? なぜ百合をメッキ加工するのか? 劇的な印象を形づくるトーク(婦人帽)、フード、ベールを含む頭飾りがある。身長が高ければ、大きく廣いつばの帽子もある。リボンを備へたボンネットは、若い女性にとつては失敗がない。ヒンドゥー女性のベールも失敗することがない。スペインのマンティラ、ベールもまた、體の輪郭全體を覆ふ。蜜蜂の巣箱のやうな髮型は、非常に女性の魅力に滿ちてゐる。女性が、トルコ石あるいはけばけばしい紫か派手な青の三角形の島を備へた彼女の金色の蜜蜂の巣箱を短く切つてしまふことを想像してほしい。あるいは、完璧な髮型をランプの影か紙屑籠の下に隱すことを想像してほしい。
女性の自然の皮膚および髮に代ることができるものは、人によつて發明されてゐない。女性は、常にそれを使つて何かをしたい。カールさせる、眞つ直ぐにする、毛ばだてる、壓搾する、縛る、押し上げる、落とす、染める、色をつける、しかし覆ふことはしない。帽子は秋と冬をしのいでくれる。しかし、復活祭が來ると、女性は美的感覺を全て喪失してしまふ。彼らは、けばけばしい青、眞鍮の赤、可笑しな緑、そして虹色の中から急に現れる。そして、頭には羽毛、ストロー、葡萄の房、アボガド、バナナ、鳥の巣、煙突、アラビア人のテント、そして紙屑籠を載せてゐる。彼らはそれらを貼付ける。これは野蠻人の原始的本能や發情期の動物への囘歸なのだらうか? 私にはわからない。イースターエッグと同じやうに、イースター帽子には何か生殖本能の側面を持つてゐると私は思ふ。男性を引きつけるといふこと。我々の野蠻で、種族的な本能は、文明化された審美的な感覺に打ち勝つ。
 

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