日本語版『林語堂全集』を目指して

彼女は赤ん坊が欲しい


從來、子供が授からなかつた多くの夫婦が、亞熱帶の島に住むやうになつてから子供を授かつたといふことを聞いた李夫妻は、まさにこの理由から、一九四八年に台灣(Formosa)に移り住んだ。彼らは多くを期待してゐたわけではなく、ただ自分たちの娘が一人ゐれば滿足だつた。だが、李夫人はすでに四十近くになつてをり、その小さな希望を叶へることができるやうには見えなかつた。
李夫人にとつて、子供をもつことはこの上ない切望となつてゐた。ある時、彼女は夫にかう言つた、「私たちは子供に惠まれない運命のやうだわ。養子をとる決心をした方がよいと思ひませんか」と。
李氏は容易に同意した。彼はしばらくの間、頭の中であれこれ考へてゐたが、彼女の感情を傷つけないやうに、それに言及しなかつた。彼は友達や隣人のあちこちに話し、さらには何人かの專門家に、彼らが養子にする子供を搜してをり、それに正規の對價を拂ふだらうことも傳へた。もちろん、支援してくれるチャリティー機關もあるが、苦しい状況下にある場合を除いて、別の機關から養子をとる親はほとんどゐない。
彼らは無駄に待つた。李夫人は、日々、意氣消沈の度合ひを増していつた。ある日、彼女は、家の周りの子供たちに對する彼女の切望を滿たす方法について考へた。「あなた、多くの子供連れの家族にあの家を貸しませう。それを魅力的にするために、賃貸料を特別安くするのがいいわ。さうすれば少なくとも、家を子供たちの聲で滿たすことができるわ」。
家は良い立地で、中流家庭にとつて非常に魅力的であつた。通常であれば、月五百ドル(現地通貨)で賃貸に出してゐたことだらう。李氏は、「賃貸」ポスターを作成し、近隣の裏通りの壁や街燈柱に貼つたりした。たちまちに、多くのカップルが家を見に來た。
入居豫定者が賃貸料を訊ねて興味を示すたびに、夫人は問ひ返した、「子供はゐますか」と。多くが誤解し、即座にゐないと答へた。一組か二組のカップルは、結婚の約束をしたばかりなので、「私たちは結婚する豫定です」と誓つた。
「では、あなたに貸すことはできません」と、李夫人は答へた。
「なぜですか?」と、驚くやうな質問だつた。
「なぜなら、あなたには子供がゐないからです!」
「そんな馬鹿な!」 失望した入居豫定者は立ち去つた。
ある午後、みすぼらしい格好をした三十代の若者が來た。彼は、家を借りたいと言つた。さうした後、彼は強ひて微笑み、首を振り、その場を立ち去るために振り返つた。李夫人は驚いた。
「家がお氣に召しませんでしたか?」
「大變氣に入りました。多くの子供がゐる私の家族にぴつたりです。でも、それを考慮することはできません。私たちには良すぎるのです」
「家族は何人ですか?」
「八人です」
「お子さんは?」
「六人です」
「あなたに合ふやうに賃貸料を調整することができると思ひます」
「そんなことができるとは思ひませんが――いくらですか?」
「月に百ドルです。敷金は要りません」
その人はしばらくの間、茫然とした。「冗談を言つてゐるのではないですよね、本當ですか?」
「心配要りません。正直に言ふと、あなたにお貸しするのはお金のためではありません。あなたに子供がゐるからなのです」
「子供がゐるから!」 彼は今までそんなことを聞いたことがはなかつた。
李夫人は、このやうな借家人を逃さないやう、説明に最善を盡した。彼は最終的には理解し、期待以上に幸福であつた。彼は、それなら二、三日で引越してくるだらうと言つた。
彼は自己紹介した。彼の姓は「左」だつた。彼は元々、台灣南部の教師で、最近臺北に移り、なかなか適當な家を見つけることができずに困つてゐた。彼の妻は台灣生まれの人であつた。十年間の結婚で、彼らには六人の子供(すべて娘)ができた。學校教師の給料で、八人家族に便宜をはかることができる家を見つけることは、至難の業だつた。加へて、息子を授かる可能性を決して失つてゐなかつたので、左夫人は期待してゐた。
李夫人は魅了された。彼の感情を傷つけるつもりはなく、衝動的に彼女は言つた、「左さん、もし奧さんがまた女の子を授かつたら、私たちにいただくことはできないでせうか? 私たちは、彼女の全面的支援および教育に責任を負ふでせう」
「今は、それについて議論することはできません。また女の子なら、喜んで養子にあげるでせう。もちろん、妻に相談しなければなりませんが」
數日後、左夫妻は引越してきた。階段のやうに竝んだ子供たちはとても可愛かつた。彼らはとても良い顏をしてをり、清潔で愛らしかつた。特に、温温(Wenwen)と呼ばれる五歳の女の子がさうだつた。瓜實顏に非常に尖つた鼻、長い睫毛、大きくて光輝く瞳、そして可愛らしい小さな口。女の子は女主人の所にしばしば來て言つた、「してもいい?」「してくれる?」、李夫人がうなづくまで。
家の雰圍氣が變つた。この間、李夫人は孤獨ではなくなつたし、彼女の夫も、家に活氣が戻つたと感じた。それは、寒く苦しい冬の後に、春の到來を見るのに似てゐた。まだ生まれてゐない胎兒を、いつの日か養子にできる希望を抱きつつ、李夫人は彼らの好意を勝ち取り、滿足させるために最善を盡した。三ヵ月目に、賃貸料を拂ふ必要がないことを傳へ、さらに子供たちに衣服と食べ物を提供し續けた。左夫妻は、李夫人のこれらの好意に對して非常に感謝したが、にもかかはらず、明確な約束はしなかつた。當初、李夫人はそれが不公平であると考へた。しかし、その後、左夫人自身がかつて養子であり、自分の子供たちに彼女が過ごした幼年期を過ごさせるといふ考へに耐へることができなかつたことを知つた。
それにもかかはらず、李夫人は生まれてくる子供の母親といふ假定で、平穩に過ごした。彼女は乳母を搜し、ベビー服をつくつた。數ある玩具の中で彼女が買つたのは、温温ちゃんのための高價な人形だつた。彼女は、五歳の女の子にすぐにそれをあげませんでしたが、温温ちゃんがきつとそれを見るであらうティー・テーブルにそれを置いた。子供がそれを見て、贈り物として求めた時、李夫人は女の子を膝の上にのせ、「いいわよ、ママと呼んでくれたら!」と言つた。
「ママ」と、温温ちゃんは大きな聲で呼んだ。
「ああ、なんて良い子なの!」 李夫人は涙に溢れてゐた。その瞬間、左夫人は子供が彼女のことを呼んだと思つて、中へ入つてきた。李夫人を一瞥した彼女は、我に反り、嘆息して言つた、「李夫人、この子供が女の子であれば、あなたにあげませう」。
李夫人は壓倒された。彼女は妊婦を強く抱きしめ、ワッと泣き出した。彼女は、何をしてゐるのかわからなくなるくらゐに、強く抱きしめた。
その夜、李氏は妻によつて起こされた。陣痛が始まつたのだ。李夫人は、タクシーを呼んで病院に運ぶやうに夫に頼んだ。
「必要ありません」と左氏は抗議した。「私たちには大勢の子供がゐますが、醫者を必要としたことはありません」
「でも、この子供は私たちのために生まれるの」と李夫人は應へた。「萬全を期したいの」
彼女の夫と李夫妻が待合室で緊張しながら待つてゐる中、左夫人は病院に連れていかれた。彼らはすぐに赤ん坊の泣き聲を聞き、李夫人は手術室の方に急行した。彼女は、赤ん坊が男の子だつたといふことを傳へるために外に出ようとしてゐた看護婦と、扉の所でぶつかつた。
「おめでとうございます!」と看護婦は言つた。「男の子です!」
李夫人は氣絶した。精神的・肉體的衝撃により、彼女は床に崩れ落ちた。いくらかの動搖の後、彼女は檢査のために部屋の中に連れていかれ、夫は一緒に入ることを禁じられた。
しばらくして看護婦が現れ、咎めるやうな調子で李氏に話しかけた、「奧樣にもつと注意深くするように言つてください。妊婦がこのやうに急に駈けたりしてはいけません」
「何と? 何と言ひました? 本當ですか? 『妊婦』と言ひましたか?」
「はい。奧樣は妊娠してゐます」と、看護婦は冷たく返答した。

 

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