中國哲學と西洋哲學の最も著しい差異の一つは、思考樣式それ自體の差異であり、探求の射程と範圍に歸着する哲學上の方法の差異である。心がどうあるかによつて、その哲學のあり樣が決まる。西洋諸國の間でさへ、我々は心にこの違ひを見出す。アメリカ人は廣範だが深遠ではない。ドイツ人は廣範で深遠だが、シンプルではない。イギリス人はシンプルで深遠だが、廣範ではない。この點においては、中國人はイギリス人に似てゐる。複雜な状況を全體として理解するその才能は、私が象徴的あるいは直觀的な思考と呼ぶものである。強い常識に對する信頼、アプローチの現實的で大雜把なやり方といふ點では、中國人の心がイギリス人に似てゐる。中國人は、私が知つてゐるどの文化的國民よりも、論理的な罪を犯してきた。
大學時代にギリシャ思想を學んでゐた時、私はアリストテレスの思考形式に惹かれた。思考と表現の形式に關する限り、二十世紀の著者を讀んでゐるのと變らなかつた。もちろんそれには、アリストテレス論理學が二千年間、西洋哲學を支配してきたといふことがある。中國哲學を理解するためには、アリストテレスを飛び越えなければならない。西洋的訓練を受けた後に中國哲學に取り組んだ時に、私の心を打つたものは、理路整然とした論理的な推論の缺如、判斷と意見の單刀直入な提示、抽象的な言葉に對する憎惡、そしていはゆる哲學的「體系」の完全な缺如であつた。西洋では、哲學者の名に値する者であれば誰もが、宇宙全體を包含する一種の抽象的な定式である、體系を持つてゐるものである。彼は、人生がそれなしでも充分にやつていけることを忘れて、自己辯護しなければならないその定式の抽象的な言葉に戀をしてゐるに違ひない。
中國の哲學者は、エマーソンのやうに、概して警句風に語る。エゴン・フリーデルは、エマーソンの文體についてよくかう言つてゐる、「彼の主張は即席で、爭ふ餘地がなく、水夫の信號のやうにはつきりとしない神祕的なものとして立ち現れる……彼にとつては、『内容の順序』『序論』『話題の轉換』のやうなものは存在しない。彼はこちらの觀點、あるいはあちらの觀點を進展させていく。我々は、彼がそれを系統的に組立てていくものと考へる……ところが、全く相容れない敍述や直喩、警句や短い要點に出くはす……そして、彼は新しい軸の上から前進していく」。論理的な思考體系と、直觀的な洞察の閃きとの間に、相當な差異があることがお解り頂けるだらう。エマーソンの文章は、完璧に鑿で彫られたやうな寶石に似てゐる。それらは、自らの光によつて輝きを放つてゐる。
常識および直觀的な洞察を擁護しなければならないことがある。知識には二つの層、つまり演繹的論理的思考と、洞察とが存在する。洞察に基づくより深い知識の伴はない論理的思考は、時間の浪費である。人生の眞理に對處するのに自ら制限を課してゐる、冷徹な論理的思考の代りに、我々は親しみのある、温もりのある、個性的な、そして現實により身近な直觀的思考の形式を持つてゐる。論理は、現實を切り取つて個別の側面に入りがちであり、その過程で現實を抹殺しがちである。直觀的、象徴的思考は、状況を全體として捉へる。我々は、常に論理的すぎる夫を疑ふ。彼は常に正しいため、獨善的で、冷徹で、非人間的でありがちである。離婚の場合、法律家はいつでも、三つか四つか五つの、完全に法律を尊重する有效な理由を示すことができる。しかし、人間の缺點の脆さとその認識によつて、我々は人間の心が論理を跡形もなく破壞してしまふことができることを知つてゐる。これこそは、私が意味するところの、温もりのある、親しみのある思考の類である。妻の口づけは、法律を尊重する理由をすべて無效にすることができる。といふのは、口づけは生理的で即時的なのに對して、論理は緩慢で面倒であり、現實から遠いからである。あらゆる寛容性は非論理的であり、我々は情容赦のない人を警戒しなければならない。「なぜこれをしてゐるのか、私は知らないのだ」と人が言ふ時、あらゆる理由に關係なく、彼が最良の衝動に基づいて行動してゐると、確信してよいだらう。それは、彼が善人であることを證明してゐる。
論理的思考の道具として言葉は不可缺であるやうに、論理は言葉や理屈と關係が深い。だが、重大な決定がなされる場合、言葉がいかに常に不適當であるか、我々は完全によく知つてゐる。たとへば、キューバを例に取らう。最近、カストロのキューバと何を行ふかを決定するために、ラテンアメリカの良心の幾人かによつて、プンタデルエステで會合が開催された。キューバの排除に贊成であらうと反對であらうと、そのために提示された理由は常に法律を尊重したものであるといふことを、我々は確信することができる。だが、自らの常識に頼る普通の人が、南アメリカにおけるカストロの活動の影響を感じることができることを我々は知つてゐる。我々は、その判斷の感覺が、國際的な法律學者と同じくらゐに優れてゐると確信することができる。彼は單にそれほど多く話さないだけである。
論理的思考と對比された、象徴的、直觀的思考は、イエスの譬へ話と神學者の教説の中において研究されるかもしれない。イエスは譬へ話によつて説き、決して議論しなかつた。彼はほとんどの場合、「あなたが理解しないのはどうしてですか?」と問うた。彼は、神についての知識と愛を注ぎ込んで話したため、その言葉には温もりがあり、示唆があり、個性的であつた。神學者が神について話し始めると、往々にして三つの點を持つた三角形のやうな三位一體について話すものである。彼らは議論し、鬪爭し、そして多數決によつて決定する。混亂があるために議論するのだ。知る者は議論せず、議論する者は知らず。歸郷した放蕩息子の譬へ話では、イエスは目の當たりに見るやうな描寫、象徴を我々に提示した。そして、我々は、父親がどのやうに感じ、また兄がどのやうに感じるか、そして歸郷した放蕩息子がどのやうに感じるかを理解し始める。イエスが教へようとしたものは、人間の眞理、寛容性の眞理であり、いかなる種類の抽象的な推論によつても獲得することのできない眞理であつた。息子の歸宅による父親の幸福を超えて、言葉によつては表現できない人間の感情の周邊がある。現代の物質主義的な哲學者の言葉の中に、私は九十九匹の羊と失はれた一匹の子羊の譬へ話を見出すかもしれない。イエスはかう説かれた、「あなた方の中に、百匹の羊を持つている人がゐて、その一匹を見失つたとすれば、九十九匹を野原に殘して、見失つた一匹を見つけ出すまで搜し囘らないだらうか」と。現代の哲學者はおそらくかう書くだらう、「地主資本家は、九十九パーセントの一致(服從者)はさておき、一パーセントの偏差(離脱者)を追求しないだらうか」と。それは、現代の專門用語となるだらう。人間の感覺が、その文脈からは取り出されてしまつてゐる。離脱者(おそらくは貧しい子羊)が撃たれることになるだらう。
言葉に對する不信は、中國的思考に先天的なものである。我々はなぜ、常に官僚を愚か呼ばはりし、また時々激怒して官廳から歩き去るのか。ルールに從ふ限りにおいて、官僚は決して愚かではなく、ルールと規則は言葉から構成される。彼らの人生と生活はそれに依存してゐる。私はいつも、フランスの査證事務所の女性の鳥のやうな聲を思ひ出す――彼女はルールと規則をすべて知つてをり、愚かで獨善的であつた――これは、その耐へがたい部分である。ルールと規則は、與へられた状況をカバーしようとする法律家によつて、誤解を囘避するために、人間として可能な限り最も正確な用語にまで引き上げられる。さうするために、彼らは言葉を使用しなければならない。不運にも、言葉は現實の状況をカバーできない。最高裁判所は、常に法の條文ではなく、法の「合理的な」解釋に頼る。最近、私はロンドンの賣春婦に關する雜誌の報告書を讀んでゐる。通りで客に聲をかけるのを禁ずるイギリスの法がある。その結果、女性は皆、棧橋に行つた。棧橋は「通り」ではないため、法はそれを禁じてゐない。したがつて、警察は拱手傍觀しなければならず、それらを阻止することはできない。所與の具體的な人間の状況は、法の言葉によつては適切にカバーできない、それは明瞭な實例である。哲學的思考に對處する際に、我々はどれだけより少なく、用語と定義に頼らずに濟むだらうか? 當事者がそれを壞したい時に破ることができないやうな契約を、いまだかつて書いた法律家はゐない。あなたは言葉に逆つて進むのだ。中國人はこの世界で、最良の契約を持つた不正直な人よりも、契約のない正直者とむしろ取引をしたい。
科學における論理的方法の價値は疑問の餘地がない。それは、自然についての我々の知識を開くための最も素晴らしい武器である。しかしながら、人間生命のあらゆる重要な問題は、論理的な方法に從ふわけではない。嚴密に哲學上の方法としての論理的思考の適用には、哲學自體の領域への重大かつ廣範圍にわたる影響がある。實驗室で科學的立證の感覺で神の存在を證明することはできないし、またそれを論駁することもできない。不滅を證明することはできない。客觀的に、自然に關する研究から、神が愛であるといふことを證明することはできないし、愛はそれ自體、決して理性によつてコントロールすることはできない。「心は、理性の知らない、それ自身の理性を持つてゐる」と、偉大なパスカルは言つてゐる。宇宙には、高度な知能、直接的・即時的な洞察の才能によつてのみ理解できる祕密がある。人間生命に意義づけを與へるこれらの問題はすべて、デカルトの方法によつて近代哲學から除外されるに違ひない。哲學は、論理的思考にとつて、外見上より從順な問題を取り扱はなければならない。今日、倫理哲學はほとんど不毛である。あなたは美學によつて、美と笑ひを別々に、また現實に關する理論を別々に分析しようとするだらうか? 今日、西洋哲學は普通の人々に言ふべきことをほとんど何も持つてゐない。あなた方にはバートランド・ラッセル、それにアルフレッド・ホワイトヘッドがゐる。だが、バートランド・ラッセルの哲學は我々の間に行はれてゐるだらうか? 現實に關する理論は、現實と知識の關係(認識論)であるため、それは言葉による遊びに特に向いてゐる。過去三百年間、哲學はその問題の役立たない探求に從事してきた。認識論におけるこの三世紀の探求は、我々を解決に導かなかつた。
「近代」哲學はデカルトから、あるいは既知のものから未知のものへと用心深く移行する實證主義者の方法から始まる。無限を知らうとする有限の心の弱みを認識したパスカルは、「私はデカルトを許すことができない」と言つた。私も許すことができない。私は、デカルトの佛教的視點を取上げようと思ふ。それは、「我思ふ、故に我あり」と言ふデカルトの立派な姿勢である。彼は、彼が存在するといふ基礎的な(かつ明白な)事實を證明しようとしてゐた。しかしながら、實際には、デカルトが考へた基礎は、純粹に任意の假定であつた。彼は既知のものから始め、落ち着き拂つてその考へるといふことを假定した。考へるといふことが、まさに彼が存在するといふことを證明するものである、さう假定して何ら差し支へない。これは、自らに課した論理的思考の一種の幻覺である。近代哲學の父の最も有名な格言は、誤つた考へと共に始まつたのだ。佛陀はデカルトに簡潔にかう訊ねてゐたことだらう、「あなたが考へるといふことをどのやうに知りますか」と。もし存在が幻覺ならば、思考もまた幻覺であると言ふことができないだらうか? 存在と思考の二つの間で、私はおそらく思考をより疑ふだらう。會話の用途は何であらうか? 話すこととは、教授を滿足させる言葉の遊び、知性の鍛錬であり、どこでも我々がしてゐるやうなものではない。自ら課したこの心の制限は、西洋哲學の内容の衰弱に歸着した。バートランド・ラッセルにおいては、哲學は知識の王である代りに、ほとんど數學の一部門となつた。理由は、哲學は價値と結びつけられねばならず、價値はデカルトの方法の適用では奇妙にも捉へがたいからである。
何世紀にもわたつて、哲學者は言葉によつて造られた一種のリス籠の中に宇宙を入れようとし、生命や歴史がそれらの定義に當てはまらない場合には、腹を立ててきた。ヘーゲルは、歴史を專ら三段論法として見なしてゐた。ヘーゲルあるいはカール・マルクスは、常に自身を喜ばせるある種の莊嚴な概念に到達し、その中に宇宙を包み込み、自らの心をも包み込んだ。彼は矛盾も、例外も聞かうとはしなかつた。
否、宇宙は三段論法ではない。神は數學的な方程式ではない。生命は、あらゆるシステムに反抗する。あらゆる我々の問ひを飛び越え、我々の認識の及ばない、そして永遠に我々から逃れていく何かがある。宇宙は永遠の調和であり、我々はただ、その一節を耳にするか、あるいはいくらか記録として書き留めることができるだけである。我々の有限の知能によつて無限を理解することは、最も遠い星に出會ふために十六世紀の望遠鏡を使用するやうなものだ。美しい宇宙は默して語らず、四季、天空の星、人間の内なる心を生み出すために循環する。我々はその掌中にあり、何も知ることはできない。我々はそれを、卓絶した知能によつて、論理の道具よりも優れた何かによつて、精神および美學に基づく洞察の閃きによつて把握することができる。カントが純粹理性と實踐理性の範圍を批判的に考察して後も、何かがなほ我々の理解の埒外にある。心を支配する至上命令は、不可解で分析不能であり、既知の起源がなく、そして理性に從順でない。
論理的な議論を捨て置くならば、直觀的な洞察が、「知識人」の間ではあまり一般的ではない、常識に非常に似通つてゐるのを我々は知る。常識は、女性の不可思議な第六感のやうに經驗に基づく。我々がそれを第六と呼ぶのは、すべての複雜な人間經驗と同じやうに、多くの言葉によつて表現することができないからである。我々の多くは、經驗を總合する卓越した器官を持つてゐないため、それが不可思議に見える。それは輕蔑すべきだといふことを意味しない。「私はさう感じる」と妻が言ふ場合、夫は默るべきである。より多くの變數に對處するために微積分學が幾何學よりも緻密であるやうに、第六感は論理よりも緻密である。我々は皆、フランス人の顏あるいはオーストリア人の顏の正確な定義を全く與へることなくして、誰かがフランス人、スウェーデン人、あるいはオーストリア人のやうに見えるかと問ふ。フランス人の場合には、名状しがたい彼の眼の微妙さの中にすべてがある。それはすべて微積分學であり、過去の經驗に基づく無形固定資産をとらへて分類する變數の科學である。魅力的な脣、氣力のない眼、そして幾何學的な均整のとれてゐない不誠實な容貌について我々は話す。魅力的な脣について我々が言ふことができるのは、ただ魅力的な脣であるといふことだけである。ちやうどコウモリがレーダー電波を檢知するための器官を發達させたやうに、我々の心も、明瞭な言葉よりも速く、自身の言語によつて經驗を登録する能力を發達させてきた。
禪宗は、おそらく中國人の言葉に對する不信の、最良の實例であらう。本質的に禪は、「言葉なしに教へること」であり、論理の否定である。禪は經驗である。存在についての詩の多くは、分析的な思考によつて失はれる。インド人から教はつた佛教は、意識状態の心理分析に滿ちてゐる。ゴータマ自身は、最も偉大な辨證法の達人の一人であつた。しかしながら、禪は、インドの形而上學に中國の精神が加はつた作品である。獨自の形而上學を持たなかつた古代中國人は、佛陀の形而上の議論に非常に感動した。だが、佛教はすぐに中國の衣裳を纏つた。宗教が生命の神祕および現實の本質についての經驗的、直接的、直觀的な知識であるならば、論理的な説明と議論の用途は何であらうか? そこで禪宗は、我々が理解する上での邪魔物として佛教經典を廢棄し、言葉の通常の感覺としての聖職者意識を持たない。その繼承は、第六祖惠能によつて廢止された。それは言葉の裏切りを恥ぢる。「神」「超越的」「内在的」。神が超越的か内在的かをあなたが禪に問うても、答へないだらう。といふのは、話せば話すほど、説明すれば説明するほど、もつと混亂するだらうといふことを、彼は知つてゐるからである。言葉は常に、無限の中核的認識を教へるのに不適當である。重要なことは、面白く、そして啓蒙的であるといふことだ。何らかの主義あるいは原理を、言葉を使はずに誰かに説明することができる者はゐるだらうか? 面白い方法として、中國の禪師は解明するといふよりも示唆する詩あるいは偈を頼りにする。そして、多くの場合、難問や謎かけに訴へる。
この行爲の中に中國人の精神があつた。『異教徒からキリスト教徒へ』の中で私は、禪は中國のユーモアと、言葉の無益を説く道教的視點による佛教の變形であつたといふことを示さうとした。「語ることのできる道(タオ)は不變の道ではない。名づけることができる名は不變の名ではない」。すべての議論は役立たない。「大知は寛大であり、小知は議論を好む。偉大なる演説は情熱的であり、詰まらない演説は喧嘩腰である」。莊子の齊物論篇全體は、言葉によつて構築された人爲的な區別を否定するといふ基本的な視點から生れてゐる。「道は我々の不適當な理解によつて不明瞭となり、言葉は華麗なる表現によつて不明瞭となる。だからこそ儒家と墨家との是非の對立があり、互ひに他方が否定するものを支持し、他方が支持するものを否定する。互ひに他方が支持するものを否定し、他方が否定するものを支持することは、我々を混亂に陷れるだけである」「そもそも道といふものは、始めから限界のないもの、限定できないものである。それに對し、言葉といふものはそもそも始めから、絶對的なものを表現することができない」
莊子はこれを明らかにしてゐる。「もしあなたと私が議論をしたとしよう。あなたが私に勝ち、私があなたに勝てなかつたとすれば、あなたが正しく、私が間違つてゐたといふことになるのだらうか。あるいは、私があなたに勝つたとすれば、私が正しく、あなたが間違つてゐたといふことになるのだらうか。誰かに仲裁を頼めばよいのであらうか。もしあなたの立場をとる誰かに私が訊ねたならば、彼はあなたの側につくだらう。そのやうな人が、どうして我々の間を仲裁することができるだらうか。もし私の立場をとる誰かに私が訊ねたならば、彼は私の側につくだらう。そのやうな人が、どうして我々の間を仲裁することができるだらうか。もし我々雙方と異なる意見を持つ誰かに訊ねたならば、我々雙方と異なるために、彼は等しくどちらにも決めることができないだらう。また、我々雙方と意見が一致する誰かに訊ねたならば、我々雙方と意見が一致するために、彼は等しく我々のどちらかに決めることができないだらう…」
この直觀的な洞察、禪の教へが目指した悟りは、時として「神祕的」と呼ばれる。それは現代英語において、不明瞭になつたものの直接的認識の「止めの一突き」と呼ばれるものである。我々は、「神祕的」といふ言葉に脅える必要はない。祈る人は誰でも、神に直接話しかけてゐるし、神祕さを實踐してゐる。生きてゐることに對する感謝、それが禪宗の教へを要約する最良の表現である。生きてゐることに對する直接的な驚きの感覺、最も地味な家事に示される神祕。人參を切ることや水を汲むことは何と神祕的ではないか! この人生には、あまりにも多くの愛すべきものと賞讚すべきものとがある。それは幸福でない恩知らずとこの生活に滿足する者との一場の劇である。