本卷は、『The Pleasures of a Nonconformist』(The World Publishing Company一九六二年)所收のエッセイのうち、『リトル・クリティック(甲)』および『リトル・クリティック(乙)』に重複して收録されてゐるものを除く二十三篇の邦譯である。
『リトル・クリティック(甲)』と重複してゐるために除外したのは以下の八篇である。
・「中國人の氣質」(「中國文化の精神」短縮版)
・「いかに文章を書くべきか」
・「私はどうして齒ブラシを買つたか」
・「政治家の病氣について」
・「もし私が匪賊だつたら」
・「中國の名前について」
・「面子とは何か」
・「孔子の一面」
また、『リトル・クリティック(乙)』と重複してゐるために除外したのは以下の五篇である。
・「いかに追伸を書くか」
・「サンタ・クロースの無意味」
・「避暑地の必要性」
・「藝術における箴言」
・「中國建築の原理に關する覺書」
「序」において林語堂自身が述べてゐるやうに、本書の中核を成してゐるのは一九六二年の南米巡遊時の講演である。これら一連の講演は、林の教へ子であり、中國國民黨機關紙「中央日報」社長を永らく務め、當時は中華民國駐パナマ特命全權大使であつた馬星野(一九〇九-一九九一)が企畫したものであり、林は夫人を伴つてベネズエラ、コロンビア、チリ、ウルグアイ、ペルー、アルゼンチンの六ヵ國を訪問した。これらスペイン語圈の中南米諸國においては、早くから林の代表作『人生をいかに生きるか』が翻譯され、すでに當時から廣く流通してゐた。林は訪れた各國のいたるところで熱烈な歡迎を受けた。ある時などは、聽衆があまりにも多く詰め寄せたため、警察が道路を封鎖するほどであつたといふ(陳亞聯編著『林語堂的才情人生』、東方出版社、二〇〇六年)。
林が米國での長い亡命生活に終はりを告げ、台灣に居住するやうになるのは一九六六年であり、この一連の講演は、海外著作時代の集大成であると言へる。同時に、祖國の政治的對立、また米國でのベストセラー作家といふ立場を離れ、旅の中で氣分轉換をするといふ意味もあつたのかもしれない。そのことを、林は「縛られることなく、自由に、ただ歩き囘る。このやうな感覺のもとにおいてのみ、・・・旅を藝術にすることができるのだ。・・・あなたのために時が止まる、ある最高の瞬間がある。・・・それは容易ではない。しかし、南アメリカへの最近の旅において、私は何囘か成功した」(「スパダヴェッキア」より)と述懷してゐる。この有意義な旅でなされた講演の大きな特徴の一つは、「不羈人の告白」「惡しき本能の善用」「直觀と論理的思考」「陰陽哲學と惡の問題」「中國の文化遺産」とタイトルを列擧すればわかるやうに、哲學・思想的命題の考察にある。そして、林が常に擁護するのは、個人の精神的自由である。
林は、個人の精神的自由といふ價値、それが失はれたのはなぜか、と問ふ。そして、その思想的淵源、言はば病毒を、オーギュスト・コントの機械論的、法則的な社會の捉へ方に見出してゐる。この「病原菌」はやがてモムゼンに感染し、歴史の經濟學的解釋を初めて導入した大著『ローマ史』が生まれ、さらには、歴史を法則として捉へたカール・マルクスの『資本論』へと發展していく。
林は、この歴史的潮流に反抗することができる唯一の存在こそは、「不羈人」であると言つてゐる。「不羈人」とは、「世間に迎合しない者」といふことだが、ただそれだけに留まらない。「不羈」は本書の中國語タイトルとして林自身が選んだ言葉であり、「Nonconformist」の中國語譯でもあるが、より深い意味がそこには含まれてゐるのだ。そのことを『人生をいかに生きるか』から讀み解くことができる。
『人生をいかに生きるか』には「理想としての自由人」といふ一節が設けられてゐる。日本語譯を擔當した阪本勝も述べてゐるやうに、林はこの「自由人」といふ概念を表現するのに苦勞し、樣々な英語をあててゐる。たとへば、「vagabond」「loafer」「scamp」「tramp」といつた言葉を使つてゐる。これらは、辭書的にはいづれも、浮浪人、無頼漢、放浪者、ならず者、無宿者などの意味を持つが、林の意圖がそこにないことは明らかである。では、「自由人」とは何か。林はかう述べてゐる。
「人間は、動物のやうに、機械的、畫一的に環境に反應しないで、進んで自分の反應を決定し、自己の意志で環境を變化せしめる能力と自由を持つてゐる。この最後の事實は、人間の個性は、ついに機械的法則に服從させることができないものだといふことを指してゐるものである。ともかく、人間の心といふものは、永久につかまへどころなく、捕捉しがたく、豫言しがたい代物であつて、氣の變になつた心理學者や獨身の經濟學者たちが、人間に押しつけようとする機械的法則や唯物辨證法から、どうにかかうにか拔け出てしまふものなのである」
ここに述べられてゐる内容こそが、林が理想とする「自由人」の概念であり、本書の主題である「不羈人」の概念でもある。林は、この「不羈人」の理想を守るためには、一切の妥協をしない。そこには、「鬪ふ哲人」の氣迫さへ感じられる。
一方、哲學・思想論の中には、行動的な「鬪ふ哲人」としての姿とは別に、あらゆる政治的な立場から離れた、人生を達觀した「思索する哲人」としての姿も垣間見られる。その代表作は「陰陽哲學と惡の問題」であらう。この中で林は、この世界における善惡の矛盾の問題について、單純な二元論の西洋哲學では解明できず、ただ中國の陰陽哲學によつてしか理解することはできないといふ。そのことは、歴史の展開においても同樣であるとして、最後にかう結論づけてゐる。
「すべての生命は善と惡の混合物である。すべては循環を繰り返す。強大であり續ける國家はない。富裕であり續ける一族はない。勢力を誇り續ける一族はない。不利な立場にあり續ける者はゐない。人類の進歩は決して眞つ直ぐに前に進むわけではない。それは天國へと續く道ではない。歴史は、前進と後退のジグザグ型に針路を取る。善と惡は、しばしば同じ運動の異なる樣相に過ぎない。受難、苦痛、逆境は、常に我々と共にあるだらう。ちやうど進化論が、神による人の創造といふ我々の概念を改めさせたやうに、我々は人間の進歩を、前進と後退といふ異なる力の運動から成るものとして考へなければならない。相反する流れの交替、支配的な力と劣勢な力との鬪爭を通じてこそ、人間性は常に前進し、向上するのだ」
この敍述から、我々は當時の林の心理状態を推察することができる。故郷である本土中國は共産化され、もはや戻ることはできない。自分が愛した自由中國を取り戻すことは、當分はできないかもしれない。しかし、それもまた陰陽哲學に照らして考へれば、決して悲しむべきことではない、と自分自身に言ひ聞かせていたのではないか、とさへ思つてしまふ。
そのことを傍證するやうなエピソードがある。林語堂の多くの英文著作を日本語譯した佐藤亮一(一九〇七-一九九四)は、しばしば晩年の林に接してゐる。高齡を迎へた林は、終生、古都北京への郷愁が強かつたが、「今やアジアには古き良さがない。ただ良さが殘つてゐるところは、日本の京都だ」と言つたといふ。世界が台灣を見捨て、北京政府と國交を結ぶようになる世界情勢の變化に對し、ある種の絶望を感じてゐた。さらには、敵對する蒋介石率ゐる臺北政府に對しても必ずしも一邊倒ではなく、「互ひに食み合ふ世界の會議には一切關心がない」と手紙に書いてゐたといふ。そんな林について、佐藤はかう述懷してゐる。
「彼はついに現在の世界に對して、どうしても心を解け合はすことができない心境になつてゐるやうに私には思はれる。しかし彼は、幻影にも似た理想郷を心のなかにえがきながら、超然と時の流れを眺めてゐるのであらう」(『北京好日』下卷「譯者あとがき」より)
かうした晩年の心境を支へた思想的支柱は、本書に述べられてゐる「陰陽哲學」であつたのではないだらうか。
中南米での一連の哲學・思想講演を除くと、本書で特筆すべきは、卷末に收められてゐる中國文學に關する三つのエッセイ「古代中國の男女同權思想」「纏足をめぐる中國諷刺文學」「文學革命以來の中國文學」である。
前二者は姉妹篇と言へるエッセイで、林が古代中國におけるただ三人の男女同權論者、兪正燮、袁枚、そして、李汝珍をそれぞれ取り上げたものである。男女同權とは言へ、その内容はもちろん、現代のそれとは趣を異にする。また、三人の主張もその文學的手法も三者三樣である。だが、いづれの場合にも、林が魅力を感じてゐるのは、その個人の自由な精神に他ならない。このやうな溌剌とした、自由な創作の精神が、かつての古代中國には存在した。而して、現在の中國はどうなのか。この視點の先に、掉尾を飾る「文學革命以來の中國文學」がある。
「文學革命以來の中國文學」については、合山究の邦譯「五四以來の中國文學」(『自由思想家・林語堂』明徳出版社、一九八二年所收)がある。だが、この合山譯は中國語版からの譯であり、『不羈』所收の英語原版と比べると、主な内容に變化はないものの、詳細な説明の多くが割愛されてゐる。そこで、譯出にあたつては、合山譯を參照しつつも、あくまで英語版を典據とした。
このエッセイの元になつた講演は、中南米巡遊の前年である一九六一年に米國議會圖書館の招聘を受けてワシントンで行つたものであり、のちに議會圖書館によつて出版された『ロシア・中國・イタリア・スペインの現代文學の考察』に收録された。この中においても、個別の作家たち、なかんづく友人であり論敵とも言へた魯迅に多くの紙幅を費やしながらも、林の主題はやはり「個人の精神」である。文學は、個人の精神の發露に他ならず、個人の精神の自由がないところには、いかなる創造的な文學活動も存在しないといふのが林の信念である。さうした林の信念からすれば、現在の大陸中國には、價値ある文學作品はない、といふことになる。今一度、林の次の言葉を噛みしめたい。
「一切の創造的活動はすべて、個人の精神に由來する。文學は公式によつて書くことはできない。個人の自發性が抑壓される時、創造的精神の源泉は枯渇する」
平成二十六年六月四日
華本 友和