李汝珍(一七六三頃―一八三〇頃)の『鏡花縁』は、「中國王朝」との類似性を備へた奇妙な習慣と共に、異國を巡る旅行記といふ枠組に着想を得た物語である。たとへば、「君子國」(店で交渉するとき、お互ひに禮儀正しく讓り合ふやうに、商人はできるだけ値段を下げようとし、買ひ手はできるだけ上げようとする)、「女兒國」(そこでは男女の關係が完全に逆轉してゐる。女性が支配し、男性が白粉と紅をつけ、女性の快樂のために自らの足を縛る)のやうな國々があり、他にも「兩面國」「黒齒國」「岐舌國」などのやうな國々がある。
この冒險の主軸をなしてゐるのは、中國本土で起きるもう一つの物語である。それは、明らかに女權論的な目的を帶びてゐる。物語の要點はかうである。唐王朝の偉大な女帝・武則天が中國を支配してゐた時のこと、この強い女性は重度の誇大妄想に苦しめられてをり、ある日、酒の勢ひに任せて、翌朝に宮廷の庭の花がすべて咲き誇るように御旨を下した。異なる花の精たちは、どうしたらいいかわからなかつた。花の精たちの女王である百花仙子は、たまたま麻姑とどこかで碁を打つてゐた。彼女を見つけられない花の精たちは、問題を自らのものとして受け取り、強力な女帝を立腹させないように、それぞれの花を咲かせるように命じた。そして、牡丹を除いて、すべてが女帝の望んだやうになつた。牡丹の精(牡丹仙子)はその場を離れてをり、御旨に氣づかなかつたのだ。牡丹仙子は六時間も遲れて戻り、彼女の花たちは殘りの花と共に最後に咲いた。これらの花は、誇大妄想者の女帝によつて、以後、宮廷の庭から除かれ、罰の形式として洛陽から「追放」された。それがどうであれ、天界において起こつたことはかうであつた。百花仙子は職務怠慢のために罰せられ、彼女と他の九十九のすべての花の精は人間界に下され、ギルバートとサリヴァンの『アイオランシ(貴族と妖精)』のやうに、今一度、人間として生きることを強ひられた。もちろん彼女たちはすべて、才能ある少女として生まれ變つた。そして、物語が進むと共に、女帝は、科擧が男性のためだけではなく、女性のためにも開かれるべきであるとの布告を出した。結局、これらの生まれ變つた百人の妖精は科擧に及第し、異なる階層の官僚になつた。物語の後半部分は、主として優雅な會話や酒の遊戲、またこれらの才能ある女性たちの文學的娯樂によつて占められてゐる。まるでそれが、著者の主な關心事であるやうに見えるほどである。
この小説の中に、我々は纏足をめぐる面白い諷刺を見出す。小説の序盤(第十二章)で、「君子國」の二人の大臣との會話がある。彼らは、物語の主軸をなす中國王朝の途方もない習慣や迷信について議論してをり、それらを非難してゐた。たとへば、風水、豪華な結婚と葬式、埋葬前に棺のまま家に長い間安置しておくこと、占ひに對する信仰、犧牲としての血液の提供(「命を絶つたり、破壞したりすることで、神を喜ばせようとすること」)、貧しく無力な少女を尼寺に送ることであり、そして、最後に纏足である。最後の弊害に關して、大臣の呉之和は言つた。
尊處では女子に纏足といふことをするのださうですね。はじめて纏すると、その女子は痛いので足を撫でて哀泣し、ひどくなると、皮が腐つて肉がやぶれて血膿が出ます。かうなれば夜も寢られず、食事も喉を通らず、種々の病氣がこれによつて生じます。私はこの女子が不良であるため、その母がこれを殺すに忍びず、かういふ制裁を加へるのだと考へてゐたのですが、實は美觀のために設定したもので、もしこのやうにしなければ美でないといふのです。西施や王昭君のごときは皆、絶世の美女ですが、あの時また彼女らもそれをしたのでせうか。よく調べてみると、そんな古いものではなく、男子の變態的な好みを滿足させるため、近世になつて設定されたものです。これは聖人の必ず責め、賢者の採らざるところです。ただ世の君子が盡くその習慣を絶つたら、この風習は自づから息むことでありませう。
この考へは後に、第三十二章から第三十七章の中で、面白い諷刺の形に發展していく。物語の主要な男性登場人物の一人である林之洋が「女兒國」を訪れた時、女王の側室の一人として入内することを求められた。この王國では、男性は白粉と紅をつけられ、家事に從事させられた。若く見せて女性を喜ばせるために、顎髭を剃る男性もゐれば、また、若く見えるかもしれないといふことを望んで、顎髭を黒く染める老人もゐた。林は、耳飾りをつける目的で、彼の耳に穴が開けられる拷問を初めて經驗した。そして、その後のことである。
・・・ついで黒髭の女官(ところで、彼らは男性である)が、手に一疋の絹帶を持つてきて、林の前に跪いて、「お妃さまに申し上げます。命により纏足いたします」と言ふと、また別に來た二人の女官が竝んで跪いて、それぞれ片足をもつて靴下を脱がす。それが濟むと黒髭は、低い腰掛けを持つてきてそれに腰掛け、絹帶を眞ん中から引き裂いて、まづ林の右足を自分の膝の上に置き、粉末を足指の間にすり込み、五指をしつかりと一方に寄せ、また足の甲をぐいつと弓のやうに折り曲げて、手早く絹帶をぐるぐると二卷きにする。すると別の女官が針と絲を持つてきて、さらにきつく締めて密に綴ぢ目を縫ふ。林之洋の身邊には、四人の女官がぴつたりとくつついて離れない。また二人の女官がそれぞれ足を持つてゐて身動きもできない。纏足ができあがると、足が炭火で燒かれるやうにずきんずきんと痛む。急に胸がつまつてきて聲を放つて泣く。兩足の纏足が濟むと、女官たちはすぐ底の柔らかい赤い靴を履かせる。林は、悲しい苦境について色々と考へ、聲を出して泣いた、「私を殺す氣ですか!」。
さうして、喜劇はその夜まで續いた。激痛のために眠ることができない林は起きて、密かに絹帶を引き裂いた。その後、彼はつま先に格別の氣持ちよさを感じ、のびのびさつぱりして、そのままぐつすり寢込んでしまつた。翌朝見つかつた林は鞭打たれ、再び約束が嚴守されるべきことを命じられた。林が宮廷に相應しくなるまで、これは數日間續いた。彼は白粉と紅をつけられ、兩側を女官によつて支へられ、少女のやうに内氣になつていつた。女王は彼の足、次に手を注意深く見て、そして芳香で滿された髮から下方へと、さらには顏に向つて上方へと身體中至るところを一通り嗅ぎ始めた。林は恥かしさのあまり死にさうだつた。暫くの間、匂ひを嗅ぎ、撫でた後、女王は喜んで彼を見つめ、彼は女王に氣に入られた。女王は、林を赦免し、翌朝入内させるように命じた。「その夜、林は一晩中泣き明かした」。
後に、友人の助けを借りて逃げた時、林は妻に次のやうに語つた。「私は鞭打たれるわ、逆さ釣りになるわ、耳に穴は開けられるわ。しかしながら、これらの拷問はすべて、比較的耐へることが容易であつた。私が絶對的に耐へられなかつたのは、足の境目を骨まで割られ、薄皮によつて保護された骨以外は盡く裂かれたことであつた。また、晝間や夜に動き囘つた時には、苦痛で死んでしまはうと思ふほどにつま先が疼いた」
李汝珍は、間接的に女子教育の進展に寄與したとして、中國最初の女權論小説を書いた者といふことで賞讚されてゐるが、女性のための非人間的な性基準に對する攻撃といふ點では、決して兪や袁と懸け離れてゐるわけではない。第四十章の中で女帝武則天によつて布告された、特に女性の福祉に關する十二箇條の詔または制定法がある。たとへば、適齡期の宮女が解放されて結婚できるように仕度金を支給すること、女性のための養老院や少女のための孤兒院の設立、未亡人のための年金、女性のための無償醫療および診察、葬つてくれる親類や友人がゐない女性のための地方政府による無償埋葬などである。未亡人または婚約した未婚の少女で貞節を守つた者には特別の裝飾物が下賜され、この制定法の中で明らかに推獎されてゐることに注目することは興味深い。
しかしながら、著者が二重の性基準の問題を完全に囘避したといふのは公平ではない。我々は第五十一章に、蓄妾に對する抗議を見出す。兪も袁も、そのやうな勇氣はなかつたし、反對しようとも思はなかつた。林の仲間の教養ある三人の少女は、兩面國の大盜に捕まつた。大盜は彼女らを妾にするつもりだつたが、ひどく尻に敷かれた。大盜夫人の命令で、「矜持と頑固が盡く打ち碎かれる」まで鞭打たれた後、彼は慈悲を請うて辯明し始めた。「夫人よ、許して下さい。これ以上は耐へられません」。夫人は次のやうに返答した。
それなら、どうして一心にただ妾を持ちたいと思ふの。假にもし私が男妾が欲しくてお前さんに對して冷淡にしたら、お前さんは喜びますか。お前さんら男といふものは、貧乏な時はよいが、少し懷具合がよくなると、惡いことを考へ出して、今まで苦勞を共にした妻を裏切るやうなことをしでかす。そこには思ひやりの心といふものは微塵もありません。私はお前さんの別のものを打つのではありません。私はただお前さんの「ただ己有るを知つて、人有るを知らない」、それを打つのよ。お前さんを打つて驕慢の心が全くなくなり、心中に忠恕の心が出てきたら、私はそれで滿足よ。つづめて言へば、お前さんが妾を求めなければよいが、もし妾を求めるのであれば、必ず私のためにまづ男妾を求めるべきです」
事件全體に對する私の感想は、男女同權の試みを貫き通すには、常に女性の狂暴性のある手段が必要とされる、といふことである。この盜賊の妻は、西洋の女權論者のやり方に忠實に、ピカデリー(ロンドンの中心近くの大通り)でショーウィンドウを打ち壞すことができた。お人好しの女性は、往々にして子供たちを結婚に送り出すと沈默してしまふ。これこそは、今日、女性解放運動が死に瀕してゐる祕められた理由である。