私は東洋に戻つてゐるところである。その理由を皆さんにお傳へしようと思ふ。それは、怠惰な私の本性にとつて、持續的な魅力を持つてゐる。それこそは東洋の「魅力」である。
私は最近、G夫人が東洋に戻つてゐると聞いた。私が彼女のことを知つてから、十二年は經つてゐるに違ひない。G夫人は七十歳である。彼女は常に一人の女性であつた。サロン、あるいは任意のディナーパーティにおいて、靜かで、控へ目で、上品な外觀によつて、彼女は皆の心を勝ち取る。彼女は英語と廣東語、そして廣東語訛りの北京官話を上手に話す。彼女に求められてゐることと言へば、ただそこに座ることだけである。そして、彼女の存在によつて、この世界がより良くなることを我々は知つてゐる。
彼女の夫が約十年前に亡くなつて以來、G夫人は一人で生活してゐる。彼女は裕福であるか、さもなければ貯蓄があるかのどちらかである。彼女には既婚の三人の息子と二人の娘がゐる。中國人として彼女は、子供のうちの一人と、全員が彼女を敬愛するその家族と共に生活してゐると思ふだらうが、彼女は有名な夫と成年期を外國で過ごしてをり、この國を完全に我が家としてゐる。彼女の夫もしくは彼らの家との生活の記憶は、長年共に生きてきた都市を去ることを躊躇させるのだらう。しかしながら、家族と別れて一人で暮らす祖母は、中國にはないものである。祕密は何か? それは、この「自分でやる」文明の魅力である。自分で自分の皿を洗ふことができるのだ。
それは、彼女の忠實な中國人の使用人がゐないことを意味してゐるわけではない。彼女は自分で料理をつくらない――それとも、つくるのだらうか? それは現代アメリカの全生活樣式である――自分で自分の皿を洗ふといふこと。あなたは自分自身で皿を洗ふか、機械にそれをさせるために自ら皿を入れるのであり、そのことを愛してゐる。自分で自分の自動車を運轉し、自分の靴を磨き、自分でコーヒーを淹れ、自分で給仕盆をとり、自分でメニューを選び、自分でウェイターとなり、自分でスーツケースを運び、自分で手紙をタイプし、自分で電話に應對し、自分でアイスボックスを開き、自分で氷を割り、自分で飮み物をつくり、自分で流しをきれいにし、自分でトーストを作り、自分で洗濯物を出し、自分で洗濯物をチェックし、自分でごみ箱を片付ける。中國人のお婆さんであるG夫人は、少なくともこれらのうちの半分はすると、私は思ふ。東洋では、誰か他の人が、喜んで彼女のためにそれをする。
東洋では、電話に出る必要はなく、あなたの完璧な家僕(ハウス・ボーイ)が電話を取り次いでくれる。外出をする時にはコートを持つてき、歸つてきたら下履きを持つてくる。洗濯物を發送し、洗濯物をチェックし、靴をピカピカに磨いてくれる。氷を準備し、グラスをきれいにしてテーブルの上に置き、五チャンネルをつけてくれる――これら全てを、月二十あるいは三十ドルでやつてくれる――それでゐて、彼はあなたを敬愛してくれる。追加料金の十ドルを拂へば、おそらく彼は十ドルかかる制服を着て、あなたのために自動車を運轉してくれるかもしれない。
私は生來、怠惰ではない。私は、同世代の中で最も熱心な勞働者の一人である。朝の五時または五時半といふ、とんでもなく早い時間に起きるので、私は自分でコーヒーを淹れる。私は家では最良の雜役夫であり、「未婚の令孃」である。私は喜んで靴を美しく磨くが、他の家族全員がそれを嫌がる。私の眼は、革の閃光に應じて燦めく。それは光澤ではなく洗淨液であり、懸命に、そして執拗に磨いて光らせることに私は誇りを感じてゐる。私の妻もまた、自分で何もかもする――自分で服をつくり、自分で魚を買ひ、自分で肉を切り、自分で夕食を準備する。彼女は花を換へ、電話を取り次いでくれるが、しないことが一つだけある。それは自分の靴を磨くことである。「これ」と彼女は手に二足の靴を握りしめ、「パーティに出かけるわ」と言ふ。二つのキスによつて、私はボールペンを擱き、思考の連續を中斷し、それをすることだらう。
私は自分で灰皿をきれいにし、自分で衣裳部屋にスーツを掛け、自分でベッドを整へ、自分で風呂を準備する。私は電球を交換し、カーテンを降ろし(メードでさへそれをすることはできない)、ランプの笠に穴を開け、電氣の接續を行ひ、スイッチを修理し、流しをいじり、鍋の汚れを洗ひ落とし(私がそれを終へた後にそれらがどれだけピカピカかを見てほしい)、グラス、磁器、木材、紙を修理する。私は貴金屬を修理する。故障した腕輪を繋げ、緩んだ寶石をくつつけ、ハンドバッグの締め金をとめる。私は木材とプラスチックを加工する。私は人工的な貝殼を埋め込む。私は、ドライバー(時計屋のドライバーを含む)の完全セットを持つてゐる。擴大鏡、磁石、釘拔き、杭打ちハンマー、レンチ、靴の鋲、カーペットの鋲、畫鋲、石膏、接着劑、セラック、變性アルコール、ベンジン、ペンキ、そしてドレメル電動工具。私は見て、修理し、削り、切り揃へ、減らし、磨き、光澤を出し、接着劑でくつつける。さうして、ものを書くのと同じやうに、毎日修繕を行ふ。私はそれらの全てが好きだ。私は自分自身でそれをする。メードが周りにゐない時には、私は臺所の床を拭き、掃除機をかける。神よ、アメリカを祝福し給へ!
西洋のより奇妙な光景のうちの一つは、夕食が終はると、友人の紳士淑女の誰もが、臺所へ食器を移し、テーブルの上を片付けることを申し出るといふことである。東洋でこんなことを想像することができるだらうか。それは全く行はれてゐない。ある中國人學生は、彼がこの國に最初に來た時の新しい經驗を私に傳へてくれた。彼は教授の家に立ち寄つてゐた。教授は、階上にスーツケースを運ぶことを申し出、實際に運んだ。彼は大いに心動かされた。事實はかうだ、アメリカ人の教授には使用人さへゐなかつたのだ。これはどのやうな種類の國なのだらうか? ペンシルヴェニア驛を見るがよい。誰もが自分のスーツケースを運ぶ。誰もが好んでさうする。
この國が多くの中國人女性に慕はれてゐるのは、「自分でやる」「自分で皿を洗ふ」といふことにあると私は確信してゐる。彼らは單にそれが好きなのだ。アメリカには使用人問題はない、と彼らは言ふ。使用人がゐなければ、使用人問題を抱へることはできない。私の友人の非常に多くが、全くの怠惰となるために東洋へと戻ることを熱望し、實際にそれを行つた。しかし、妻は一人ぼつちでここに殘つたままである。彼らはそれを愛してをり、私にはその理由がわかる。この「自分で皿を洗ふ」といふのは、獨立心を示すのではないか? 自分自身で何もかもする。誰にも依存しない。躾をされた多くの中國人女性が、アメリカで料理できること、あるいは外國に來てからそのやうに行ふのを學ぶことができるといふのは、驚くべきことである。最初にそれを學ぶのは、臺所でダラダラやることに魅了されることからである。自分の服をつくることができるのはより少數である。でも、彼らには囘轉塗布式の脱臭劑、手に優しい洗劑、非常に便利なホーム・パーマネント、角を曲つた所にあるランドリー、セルフ・サービスのエレベーター、セルフ・サービスのカフェテリア、スーパーマーケットでのセルフ・サービス・カート、ミニッツ・ライス、キャンディ・スイーツ・石鹸・齒ブラシ・クリネックス(ティッシュペーパー)の自動販賣機があり、彼らはそれを愛してゐる。自ら努力し、自ら奉仕する、これこそはまさに民主主義の精神である。
この「自分でやる」精神は、自動洗濯機に徹底的に魅惑される若い主婦に非常に向いてゐる。當初、私に東洋を熱望させたものは、私の本性において非民主的なものではないかと疑つた。しかし、私は自分で床に掃除機をかけ、學生時代にさうしたやうに自分でベッドを整へることで、さうではないことを證明した。すでに述べたやうに、私は洋服屋であつたことはないが、修繕屋であり、蝋燭立てをつくる者である。私は、四半世紀にわたつてごみ箱の世話をしてきた。今なら、私は喜んでそれら全てを誰か他の人にやらせるだらう。
それは、いつも傳へられ聞かされてきた私の中國の祖父の概念と合致するものではない。我々は孫と「遊ぶ」といふことに對して、中國語の中に特別に供された語句を持つてゐる。その特別な言葉「弄」(弄孫)は、特に注意を拂つてゐない時に、娯樂として何かで遊ぶといふことである。祖父でありながら臺所の床を洗ふことは良くないし、祖父らしく話しながら自分でお茶を淹れてはならない。尊嚴、落ち着き、神々しい智慧はどこにあるのか? それは中國の祖父の概念全體に衝撃を與へる。否、孫と手を繋いで市場へ行き、金魚、チョコレートを買ひ、決してそのことを母親に傳へないこと約束する。だが、私の妻もまた、もう一度女性であらうとする。我々は保守的である。我々は、料理人に夕食を準備させ、皿を洗はせるのが好きだ。我々は役割を果たした。私は運轉手が運轉する車に乘り、私が行くところながどこでも、若いハウス・ボーイが私のブリーフ・ケースまたは小包をを運ぶことだらう。換言すれば、私は追加の十ドルを拂ひ、ニューヨークの市長のやうにより良く生きてゐるやうなものである。若い少年は私と買物に行き、私が買ふ物の代價を拂ふことだらう。私はそれに關して何もしない。それは流儀である。私がクリーニング屋を望む時、誰も私に「自分でやりなさい!」と言はないだらう。アメリカの「物質的」快適さのことだつて!