日本語版『林語堂全集』を目指して

陰陽哲學と惡の問題


私は別のところで、論理的思考と直觀的思考の對比、また中國哲學と西洋哲學におけるその重要性のいくつかを指摘した。私は、純粹に論理的な思考と直觀的な思考の相對的な役割と限界を、また生命のあらゆる重要な疑問が、必ずしも論理的な方法に合ふとは限らないといふことを示さうとした。神、生命、そして宇宙の究極的な謎は、純粹な論理學者の知識の及ばないところに存在するやうに思へるが、直觀的な思考の、より素晴らしい道具によつて捉へられるかもしれない。我々は無と無限との中間に横たはつてをり、有限の知識が無限に及ぶことができないといふ絶望のあまり泣き叫ぶ。
ここでは、論理的な方法の適用例として、この世界における惡の問題を取上げようと思ふ。それは解明不可能なジレンマである。人間の論理的思考は、サタンをつくり出した。だが、もしサタンが神に由來するならば、神は完全ではないといふことになる。もしサタンが神から獨立したものであるならば、神はこの世のすべてではないといふことになる。それは絶對的善と絶對的惡との人爲的對照を設ける、鋭敏な論理的思考によつてつくり出された、哲學的な難問といふジレンマである。キリスト教の始まりから今日まで、この問題を解決することができた者は誰もゐなかつた。すべての生命とすべての現象を、陰と陽といふ相反する力のバランスに歸着させる、より高度な認識によるならば、この問題をより良く理解することができると私は信じてゐる。二つの補ひ合ふ相反する力の象徴は、韓國の國旗に見られる。そこには、黒と白の二つの魚があることがわかるだらう。黒い魚の頭は白い魚の尾に潛り、白い魚の頭は黒い魚の尾に潛つてゐる。二者は全體として完全な圓を形成してゐる。それは人間生命の全體哲學の象徴である。
 
陰陽哲學を理解してもらふためには、再び哲學上の方法論の差異について、少し詳述しなければならない。なぜなら、惡の問題は論理的思考によつて生み出されたものだからである。論理的思考には、分析と、異なる視點を捨象する習慣がある。直觀的、詩的思考は、状況を全體として捉へる。それは、物をあらゆる角度から見るやうなものであり、檢査し、評價し、その眞の姿を洞察する。直接的認識の才能は、しばしば常識と比較される。常識を訓練する人は鯨のやうなもので、呼吸するために水面に何度も顏を出し、海と空をぐるりと見廻さなくてはならない。論理的な考へ方をする人は、海底に潛水し、再び上がる必要を感じない人のやうなものである。
なぜそれがそのやうになつてゐるのかを説明することができず、たださうであることを知つてゐる人は幸福である。一部の人々は、人間の腦は思考のために、特に純粹な思考といふ機能のために發達してきたと考へてゐる。純粹な論理的思考は、非常に遲い起源を持つ。人間の腦は神經系の一部であり、その主要な機能は危險を感じ、生命を維持することにある。
英國の人々は、強固で健全な常識、經驗から獲得された現實に對處する方法を持つた民族の良い例を示してくれてゐる。中國人と同じやうに、彼らが非常に非論理的であるため、私は英國人を敬愛する。たとへば、英國國教會はどうだらうか? 英國國教會の教義とローマ・カトリック教會の神學との間に、違ひを見つけ出すことはできない。英國國教會は、政治的な必要性によつて生み出された、政治的信念の行爲であつた。前世紀において、英國人は常に適切な時に正しい側で正しい戰爭を行ひ、そしてこれを間違つた名で呼んだ。第一次世界大戰はベルギーのために、第二次世界大戰はポーランドのために戰つた、と彼らは我々に傳へる。そのやうなことはない。危險に對する彼らの動物的感覺が刺激された時に、彼らは戰つたのだ。彼らは、ナポレオン戰爭でナポレオンと戰ひ、クリミア戰爭でツァーリ(ロシア皇帝)と戰ひ、ボーア戰爭においてオランダ系ボーア人(アフリカーナー)と戰つた。彼らはただ、それを説明するのに最も非論理的な方法を選んだだけであつた。しかし、説明とは常に、不愉快な仕事である。何を行ふのか、またなぜ行ふのか、それを完全に説明することができる民族も個人もどこにもゐない。だが、その勇氣、危險に對するその健全なる本能、そして適切な時に適切に反應し、それをしなければならない時に仕事を適切に行ふこの民族に對しては、凄じいほどの賞讚の念を抱かざるを得ない。たとへ世界に破滅的變動が起きやうとも、英國人は常にそのままでゐる、といふ確信の念を持つことができるだらう。いつの日か、英國がすべての王と女王を玉座に戴く眞の社會主義國家になつたとしても、なほそれを君主制と呼ぶことだらう。彼らは惱まされるだらうか? 否、である。
中國人は本能的に論理を嫌ふために、それを發達させてこなかつた。彼らの心は女性のものに似てゐる。彼らが知つてゐるのはただ漸進と徐行だけであり、彼らは物事を全方位から、そして全體として見ることを好む。ともかくも、墨家においては論理の萌芽があつたが、中國人の心には不人氣であつたため、それらはすぐに廢れた。その後、インドの論理學が佛教と共に入つてきたが、そのまま等閑に付された。古代の中國哲學を讀む時、すべての「故に」には不合理な推論が伴つてゐることを知るだらう。そこにこそ、中國人の思考の根底がある。原因と結果は、同じ事物の同時に生起する諸相である。多くの場合、中國語の「これが故に(是故)」といふ單語は、「一方で」あるいは「換言すれば」として翻譯するのが正しい。もしその單語を「故に」として英語に翻譯した場合には、そこに論理的な繋がりを見出すことは全くないだらう。否、中國人は分析には興味を持つてをらず、ものがどのやうに見え、どのやうな香りがあり、どのやうな味がするのかに興味を持つてゐるのだ。中國人は花がどのやうに香るのかだけに興味があるために、植物學を發達させてこなかつた。また、赤ん坊の雄豚や熊の足がどんな味なのかを單に調べることを切望するがために、彼らは動物學を發達させてこなかつた。肝臟を患つた場合に私が中國人の外科醫を信頼しない理由は、私の肝臟を切除した後に最もあり得ることは、彼がそれをフライパンに入れることだらうと心配するからである。
アリストテレス論理學は、過去二千年にわたつて西洋の思考を支配してきた。論理的思考は、分割と冷徹な區別によつて行はれる。Aが正しい場合、Aと對立するBは間違つてゐる。もし中國人に「Aは正しい」と言へば、彼は「あなたは正しい」と言ふだらう。だが、「Bが正しいかもしれない」と言つても、中國人は「あなたは正しい」と言ふだらう。あなたはかう言ふだらう、「明らかに、AとBが雙方とも正しいといふことはあり得ない。ミスター林、あなたは矛盾してゐます」と。そしてまた中國人は「あなたは正しい」と言ふだらう。キケロは首尾一貫してゐることは小さな美徳であると言つたが、政治家はこの眞理に容易に贊同してくれることだらう。人間生命は分割することも乾燥させて保存することもできない。一つの視點によつて排他的に各々の側面に對處するには、それは複雜すぎる。首尾一貫することによつて、我々は人生で最良のものの多くを失つてゐる。論理的ではあるが、論理的であり過ぎないやうにする。首尾一貫してゐるが、いくつかの矛盾を許容する。中國人に「あなたは佛教徒ですか、儒教徒ですか、それとも道教徒ですか」と訊ねたなら、彼はどう返答したらいいかわからないだらう。西洋諸國では、カトリックはプロテスタントたりえず、プロテスタントはカトリックたりえない。中國人には、なぜさうなのか理解できない。我々は、區別を強調し過ぎてゐないだらうか? 彼らの神々はどれだけ違ふといふのだらうか? 違ひは論理にではなく、人間にある。
神學の領域において我々は、絶えずこの學問的思考が、生きた眞實を冷めた定式に變へてしまふのを見る。精神的なものを話すのに、我々は永遠にあたかもそれが物質的なものであるかのやうに話さなければならない。學問的思考は、神がその定義に合致しない限り、神を受け容れることを拒絶する。最も驚くべき例は、アタナシウスの信條である。初期のキリスト教の教父たちは、三位一體の神を定義する能力に對して、尊大な自信を抱いてゐた。それは、三つの位格の神は一つの實體であると斷言する――なぜ一つの實體なのか?――だが、三つの異なる位格といふのは、「實體」(substance)と「位格」(persons)が完全に人間の現世の概念であることを忘れてゐる。それは、創られず、生れず、不滅なるものとして父なる神を、創られず、不滅にして、生れるものものとして子なる神を定義する。三つ目の「位格」の關係に來た時、彼らは困り果てた。そして、聖靈は創られず、「生れず」、神から流れ出るものであると決めた。驚くべきことは、言葉によつてそれを行ふことができると學者たちが考へたことである。聖靈は流れ出るのではなく、生れると信じた者は誰もが、地獄の底まで非難された。しかし、それらの問題は終はらなかつた。聖靈は父から直接に流れ出たのか、それとも子を通じて流れ出たのか? 適切な書類整理棚に神を入れ込むといふこの傲慢な努力の微細な區別を巡つて、ローマカトリック教會とギリシャ正教會は十一世紀に分割された。
我々は、死んだ干乾びた方法で、精神的な眞理を機械的に解釋しがちである。眞理の詩は、冷徹な論理の死者の手に落ちることになる。はじめに、我々は詩的眞理を記述するために言葉を使ひ、我々自身の言葉を文字通りそのままに受け取る。學者は、すべてを切斷してそれを食べようとするが、しばしばその過程で阻まれる。我々にとつてサタンとは、二つの角と、そしておそらくは六フィートの高さを持つ物理的な形状として想定されるだらう。最近、英國國教會では、祈祷書を改訂すべきか、それとも改訂すべきでないかを巡る討論が起きてゐる。信仰を確認する儀式において、對象者は「洗禮を受けた時、兩親はあなたに何を約束しましたか?」と訊ねられる。祈祷書によれば、「私は神に從ひ、惡魔を捨てます」と約束したといふ囘答であるべきである。「惡魔を捨てる」といふ言葉遣ひは、現代人の意識にとつては餘りにも生々し過ぎるために、それを改訂すべきかどうかについて、議論が生じてゐるのだ。イギリス人として、彼らはそれをそのままにしておくことを決定した。
これは、聖書の眞理を文字通りに受け取り過ぎる危險が常にあるといふことを、私に想起させる。アダムとイヴの義理の娘は誰であつたか? カインとセトは誰と結婚したか? 物事を常に論理的な結論へと持つて行かうとしない方がいいだらう、それはそれらを殺すことになる。
そこで、この世の殘忍さと無用な苦痛、過ちと不正といふ惡の問題がある。その問題は、ヨブによつて罪と誘惑の問題として提起された。惡はサタンの仕業か、それとも神自身の仕業なのか? 確實なことは、餘りにも多くの個人の悲劇や悲哀、病と死を目にしたり、隔離と追放の中で苦痛に喘ぐ人間や殘忍な行爲をする人を目にしたりする場合、それはキリスト教信仰者をしばしば當惑させる現實の問題であるといふことである。なぜ神はそれをお許しになられたのか? ユダヤ人の男女および子供をガス室へ送り込んだヒトラーへの罪の宣告として、なぜ神は雷電でヒトラーを打ちのめさなかつたのか? ヒトラーが單に心臟發作で死の坂を下つていつたとしても、何百萬人もの罪なき女性と子供の命を救ふことができたことだらう。なぜ神はそれをなさらなかつたのか? これは正當で心からの眞の問ひである。
この問ひへの最良の助けは、聖書ではなくフロイトからもたらされる。サタンのキリスト教的概念では、彼はほとんど惡魔的な力を持つてをり、人を魅了し、誘惑し、魂に取り憑く。フロイトは、我々の無意識の本能の力もまた、自律的で、強制的で、專制的であると説明する。フロイトは、パンツの座席の心理を辿り、探し出すが、キリスト教徒もまた、「罪」を熟考する時に同じことを意味してゐる。したがつて、ヘブライの思想家とジーグムント・フロイトは、おそらく同じことに言及してゐたのだ。キリスト教神學は、我々の中から生れるもののやうに、罪を先天的なものとして見なしてゐる。フロイトもまた、無意識は人の性、飢ゑ、恐れ、野心、慾望の根源的な本能によつて動機づけられ、規定されると示してゐる。これらの本能は遺傳し、我々の中から生れる。また、それらはサタンに勝るほどの壓倒的な力を持つてゐる。しかし、我々はそれらが、自然があらゆる動物に與へた、種の存續に必要な本能であると理解することができる。もし若い鹿に恐れの本能がなければ、危險を感知して囘避することができないだらう。もし動物に怒りがなければ、反撃することができないだらう。もしすべての動物に繁殖に對する本能があるのでなければ、種は絶滅するだらう。我々は、これら本能の過剩を檢閲する傾向にある理性、良心、あるいは超自我と呼ばれる精神的な遺産と同樣に、肉體的、動物的な遺産も受け繼いでゐるのだ。
いづれにせよ、惡の問題は存在する。我々は、この世界の善惡の矛盾を完全に説明し得る、より良い哲學的理解を探し出さなければならない。これこそは、中國の陰陽哲學に他ならない。それは、宇宙の物理的構造から人の個人的、社會的、政治的生活に至るまで、生命のあらゆる面に觸れる。
簡潔に述べるなら、陰は女性の原理であり、陽は男性の原理である。陰は消極的で、受動的で、受容性に富み、靜的である。陽は積極的で、活動的で、攻撃的である。陰と陽は「氣」あるいは「力」として語られる。近代の用語では、陽はプラス(+)であり、陰はマイナス(-)である。生命はすべて運動である。すべての生命は、男性と女性の力の融合と調和に由來する。すべての對立、鬪爭、混亂、失望、そして戰爭と動亂は、自然界と人間本性における肯定的な力と否定的な力の均衡の亂れに由來する。さらに、これが重要な點なのだが、陰と陽は交互に循環を繰り返し、一方が優勢である時、他方は劣勢になる。一方または他方が一定の間、支配的になるが、決して永久ではない。動的な力と潛在的な力は同一のものであるが、道教は運動の原理ではなく、靜的なもの、女性の原理、蓄積の原理に壓倒的な重點を置く。エネルギーを貯へることは、強くなることなのだ。
これが、古代中國の陰陽家の哲學である。興味深いことに、陰陽家のこの哲學は、儒家でも道家でもなく、その雙方の學派よりも以前に生れた、民間に普及した土着の宇宙解釋であつた。この信仰の潮流は非常に強く、また持續性があつたので、兩派の思想に影響を及ぼし、その一部となつた。それは、儒教の五つの經典の一つである『易經』をまとめあげる基礎となつた。これは、人間事象の變化の原理、つまり、常に人々の好奇心を魅了してきた、歴史における盛衰の祕密を取り扱ふ。それは、孔子自身を魅了した。彼は、五十歳になつた時が易經を學ぶに相應しい歳であり、もしそれをよく究めるならば、大きな過ちを犯すことを囘避することができるだらう、と言つた。この世における變轉の原理への理解から、國家の興隆と沒落、運命の變遷をより良く理解できる。清澄な哲學から、成長と衰微、權力の衰退と新勢力の擡頭を沈思默考し、理解することができるかもしれない。十一世紀および十二世紀の新儒教では、佛陀のより系統的な思考の影響を受けた儒學者は、原初の統一體から陰と陽の二つの相互補完的な力への分化に基づいた、公式の宇宙起源論を構築した。つまり、儒教は陰陽哲學を受容し、吸收したのだ。道教では、この二つの力と五つの元素の哲學(陰陽五行思想)は完全に引き繼がれ、老子の教へを幻術、魔術、呪術、不可思議な力を扱ふ民間宗教へと變化させた。中國の民衆の想像力と強い民間の多神教の底流は、民間宗教が好むあらゆる神、惡魔、妖精、邪教によつてそれを滿たした。
この哲學の第一の概念は、宇宙の物理的構造は、二つの相反する極性、正と負、プラスとマイナスから成るといふことである。どちらかの排除によつてではなく、兩極の相互補完と統合とによつて物質がつくられる。それはまさに物質の本來の姿に即してゐる。正と負の統合においては、物質は滿たされてをり、強固である。一方は他方を引きつけ、どちらも必ず他方を必要とする。正の力だけでは存在できず、負の力だけでも存在できない。正と負の同じ力は、互ひに打ち負かしながら、雙方とも他方を求めて引きつけ、他方によつて引きつけられる。
第二の概念は、優勢と劣勢の周期の交替といふ變動の法則である。韓國の國旗に見るやうに、「天國への道は到るところにある」。老子曰く、道の原理とは、周期的な囘歸の原理である。永遠なものは何もなく、不朽なものは何もない。活動は靜かに元へと囘歸し、暴風に搖られる波立つ海はその平靜さを取り戻し、花を咲かせた樹木は再び生き返るためにその葉と種子を落とす。道は活動へと上昇し、再び靜止へと下降する。これは「陰と陽の上昇と下降」(陰陽互濟)として知られる。夏は秋へと續き、光と闇は交互に入れ替り、潮には滿ち引きがある。これらの周期は、四季の三百六十五日の周期、あるいは夜と晝の二十四時間の周期のやうに、多樣な頻度を持つてゐる。老子曰く、「嵐もまた、朝まで續くことはない」と。「自然でさへ、永遠ではない」。我々は毆りかかるために筋肉を曲げ、動物は飛び跳ねる前にうずくまる。我々は再び上昇するために屈服し、讓歩する。注目すべき重要なことは、夏は眞冬に始まり、冬は眞夏に始まるといふことである。日中が最短となる冬至では、陽の原理が自己主張し、この日から日中は長くなり始める。日中が最長となる夏至には、それは再び短くなり始める。下降する陰はその傾向を反轉させ、冬が微かに、しかし持續的に忍び寄り、それが完全に支配的になるまで成長する。この變化と交替は自然の法則である。
人間事象の變遷もまた同樣である。ギリシャは繁榮し、征服された。ローマは興隆し、沒落した。ヴェネツィアとフィレンツェは互ひに後を繼いだ。アテネはスパルタに取つて代られた。大英帝國は二十世紀に衰退した。常なるものは何もない。世界は流れによつて、相反する流れと目に見えない底流によつて構成される。すべての變化、すべての戰爭と騷擾は陰陽の均衡の亂れに起因する。中國人は、人間事象における異常(社會的不正、壓迫、大虐殺)は、この力の均衡が狂ひ、元素の中に異常が生じ、その結果として洪水、飢饉、そして彗星の訪れをもたらすと信じた。人間社會に正義と平和があつた時には、風と水の要素は調和へと向つた。したがつて、我々は元素に影響を及ぼし、元素もまた我々に影響を及ぼすのだ。
この意味から我々は、女性、消極的、靜止、力の温存、謙虚であることの強さ、謙遜ることの利點に對する老子の絶大なる強調を理解することができる。老子にとつて水は、謙虚であることの強さの象徴である。

「海や河はいかにして溪谷の王となつたか。それは優れて自らを低い地位に置くことによつてである。このやうにして、彼らは溪谷の王となつた」

「最善の人は水のやうなものだ。水はあらゆるものに惠みを施し…それは、誰もが蔑む低い場所に住む」
老子の中に、私は山上の垂訓の最初の哲學的根據を見出す。
第三の概念は、五つの元素(木、火、土、金、水)の互ひを引きつける作用と反撥する作用である。古典的見解では、これらは事物のある特質を代表する自然界の根源的な力であるとする。そしてさらに、ある組合せでは相反するか、もしくは互ひに利する――それらは互ひに「勝つ」か「害する」(相克)か、あるいは「生成する」か「化育する」(相生)。木と火は擴大と上昇への原動力(陽)を、金と水は縮小と下降への原動力(陰)を表す。土は陽と陰の平衡を表す。陽(+)と陰(-)に基づき、それらは以下のやうに分類される。

木(小陽)  +
火(大陽)  ++
土(平衡)  +- または0
金(小陰)  -
水(大陰)  --

上昇と下降の傾向に基づいて配置すると、それらは圓を形成する。

  
明確な順序に從つて、ある元素は隣合ふ次の元素にとつては有益であるが、後の元素にとつては有害である。便利な象徴として、それらは、なぜ木が火を育て、火が土(灰)を生成し、土が金屬を生成し、金屬が水を、もしくは水によつて育てられ、水が木を育てるのかを示す。またそれらは、なぜ火が金屬を破壞し、土が水を吸收し、金屬が木に打ち勝ち、水が火を消し、木が土に打ち勝つのかを容易に示してくれる。
しかしながら、その理論はプラスとマイナスのエネルギーの關連においてのみ理解することができる。同時代の解釋によれば、プラスのエネルギーは互ひに増大させるが、プラスとマイナスとでは互ひに相殺する傾向にある。それらは、上昇擴大の動きおよび縮小下降の動きとして説明することができる。たとへば、小陽(+)から大陽(++)への増大が、なぜ火を育てる木として象徴化されるのか、また大陰(--)が大陽(++)を相殺する傾向が、なぜ火を打ち消す水として象徴化されるのかを容易に理解することができる。土は中性で不活性であり、もし大量に存在するならば、火と水の兩方を抑へ込むことができる。だが、これらは自然の普遍的な運動のみを象徴してゐる。
これら陰と陽および五つの元素の用語は、占星術から醫學、そして人體の部位のすべてについて説明するために使用された。そして、それらの意味を知らずして、中國文學または醫學を理解することはできない。
人においては、一つの元素もしくはそれらのある組合せが個人の性格を支配する。火は癇癪持ち、水は移り氣、土は無氣力、金は拔け目がなく切れ者、そして木は陽氣な氣質に相當すると我々は言ふだらう。結婚においては、「火」男に「火」女を嫁がせることは危險だらう。中國の諺に曰く、「妻が悲しみに沈み、落ち込んでゐる時には、夫もまた悲しまなければならない。だが、妻が腹を立てた時には、決して同じやうに腹を立てやうとしてはならない」と。頭が切れ、決斷力のある「金」女の場合には、陽氣な理想主義者である「木」男をいとも容易く巧みに操ることだらう。「土」男なら、氣まぐれな「水」女を抑へることができる。さうしたものは、人間の性格の調和と不和に他ならない。
惡の問題についてのより良い理解に戻ることにしよう。それは、まさにこの世における交はる交はるの幸運と不運、善と惡の相互補完といふ性質を帶びてゐる。すべての生命は善と惡の混合物である。すべては循環を繰り返す。強大であり續ける國家はない。富裕であり續ける一族はない。勢力を誇り續ける一族はない。不利な立場にあり續ける者はゐない。人類の進歩は決して眞つ直ぐに前に進むわけではない。それは天國へと續く道ではない。歴史は、前進と後退のジグザグ型に針路を取る。善と惡は、しばしば同じ運動の異なる樣相に過ぎない。受難、苦痛、逆境は、常に我々と共にあるだらう。ちやうど進化論が、神による人の創造といふ我々の概念を改めさせたやうに、我々は人間の進歩を、前進と後退といふ異なる力の運動から成るものとして考へなければならない。相反する流れの交替、支配的な力と劣勢な力との鬪爭を通じてこそ、人間性は常に前進し、向上するのだ。

© 2012 All rights reserved.| Webnode AGは無断で加工・転送する事を禁じます。

無料でホームページを作成しよう Webnode