最も奇妙な現象のいくつかが中國本土に現れた。上海と廣東の通りから、猫と犬が完全に姿を消した。最近、ミグ(MIG)航空機で台灣に逃走したパイロットの劉成子は、何年も耳にすることのなかつた、朝のコケコッコーを聞いて、非常に驚いた。雀のチーチーは、奇妙な感覺を喚起した。本土の我が同胞たちは、周圍にあるそれら全てを食べ盡したのだ。完全な飢ゑに驅り立てられてゐたならば、通りを彷徨し、猫に石を投げ、罠を仕掛け、傷つけ、打ちつけるだらうことを私は誓ふ。あるいは、私はさうしないだらうか? 飢ゑの理由が何であるかを知るまでは、私にはわからない。
鼠はどうなつたか? 猫がゐないため、今は鼠が戻つてきた。太つた鼠と痩せた人は常に、戰爭と飢饉の時に、戰爭の傷跡のある町に、戰場で荒廢した通りに、そして横行する腐敗の中に現れる。自然界には、不可解なバランスがあるのだ。
自然災害は、必ずしも自然に起因するとは限らない。本土の同胞の場合には、嚴密には人爲的な二種類の害蟲がある。雜草害蟲(草荒)と昆蟲害蟲である。雜草害蟲といふ單語は、未だ嘗て中國語には存在しなかつた。雜草はあつたが、雜草害蟲は決してなかつた。雜草害蟲が意味してゐるのは、農作物を傷つけるといふ災難を引き起こすまでに成長した雜草のことである。それは、小隊で働く、廢嫡された「農業勞働者」に轉換された中國の農夫が、稻の苗が植ゑられた後に、適切に除去することを拒絶するといふ、單純な事實に起因する。彼らはもちろん、どのやうにするかを知つてゐる。彼らは何世紀にもわたつてそれをしてきた。彼らは單にしないだけである。彼らは水を蓄へた水田にしやがみ込む。見ようとすれば、稻の苗と共に現れる雜草は目に見えるし、見ようとしなければ見えない。馬に水を飮ませるといふ直喩に囘歸する……。
昆蟲害蟲の起源は、それ自體が最も奇妙な人間ドラマの一つである。これらの害蟲は、東南海岸の福建から西北の陝西までの中國を蔽つた。それは一九五六年のどこかで始まつた。フランスの特派員は、フィガロ紙に物語を公表した。彼は北京で國際會議に出席してゐた。ある夜の一時に、ホテルのベッドでの睡眠から、彼は擴聲器によつて起こされた、「皆さん、起きて雀を殺しなさい!」。くそっ! 一體誰が、そんなことを聞いたことがあるだらうか? 都市全體が起きた。全北京が起きた。路地は人でごつた返した。雀を根絶する全國キャンペーンが行はれた。それらが農作物を食ひ荒らすので、貧弱な雀が生きることは望まれなかつた。それらは社會主義の改造を妨げる。脅された雀たちは眠りから醒めた。ゴング、ブリキ罐、洗面器、ドラムなどを叩きながら、それらを脅す。騷音はそれだつた。それらが止むことは決して認められない。翼の上で、それらを維持し、抵抗する彼らを打つける。心理的に、彼らを消耗と敗北とに慣らした。二時間、翼の上でそれを維持し、彼らは死の坂を下つていつた。これは北京で、天津で、蘇州で、廣東で行はれた。それは大陸のありとあらゆる町、部落、村で行はれた。「雀を殺しなさい」と毛澤東は言つた、「媽的屄Madebi! 奴らを殺せ!」。それほどに單純なものである。
さうして、彼らはそれらを殺した。誰かが怒つてゐた。彼らがそれらを殺すことを私は知つてゐた。彼らは、それら――中國奧地のトルキスタンのチベット高原の深い森の難民――の全てを殺すことはできなかつた。媽的屄、彼らはそれらを殺した。しかし、雀は戻つてくることを私は知つてゐた。だが、戻る前に、彼らを虐殺した人類を傷つけるために、昆蟲害蟲を派遣した。彼らは物理的な形として戻り、増殖し、再び町と國を滿たすだらう、そして、帝國の崩壞以來、愛國心を鼓吹する多くの軍閥たちが住み、支配してきた皇宮にまで、ピヨピトと鳴く聲が響くことだらう。だが、それらが戻る前に、何かを待つかのやうに、知つてゐた、と言ふ。彼らは今、それを言つた。
「害蟲は汝と共にあれ!」と、雀王は言つた。「害蟲! 害蟲! 害蟲! 無遠慮な小さなヒヨコの愚か者、愚か者、愚か者。チーチー、チーチー、胃袋なき、胃袋なき、胃袋なき汝。見るがよい、見るがよい。お前は私の寢床を襲つた。私はお前の胃袋を打ち碎かう、馬鹿者、馬鹿者、馬鹿者。愚か者、馬鹿者のお前のもとに昆蟲を送らう! 昆蟲を送らう! 昆蟲を送らう! 私はお前の農作物を食べる昆蟲を食べる。私が昆蟲を食べなければ、昆蟲はお前の農作物を食べる、お前の農作物を食べる、馬鹿者め。チーチー、チーチー! 解るだらう、解るだらう、のろま兵士。我々は戻るだらう、我々は戻るだらう、のろま兵士! 見るがよい、見るがよい、我々は戻るだらう。慘めな向う見ずな汝――慘めな、慘めな、輕蔑すべき小さな馬鹿者ののろま兵士。チーチー、チーチー。我々はいつか戻るだらう!」
これが、私が雀王から聞いた全てである。