H・G・ウェルズは一九三五年の太平洋における戰爭について豫言したと、一ヵ月前の新聞は報じてゐます。それは、一九三八年の島帝國への日本軍の悲慘な後退と、帝國の共産國家への轉換で終つてゐます。一九三五年かその後であるかに關係なく、次の戰爭は來るでせう。
現在、私たちにとつて重大な問題は、特にその戰爭が我々の玄關先まで迫つてゐる時に、次の戰爭がいつ起るのか、そしてどのやうに起るかといふことです。その戰爭が到來した時、それは地球全體を變へ、前大戰より大きな範圍に擴大するでせう。そこで、我々は戰爭に通じる世界情勢の状態を調査するように驅り立てられる。戰爭に反對するのは一つのことであり、反對の努力が絶對的に水泡に歸する状態にあることを知的に理解することはまた別のことであります。
極東戰爭の危機について議論を展開する前に、戰爭を不可避にさせる現代文明の適應障害について振り返つてみたいと思ひます。今日の顯著な事實は、現代世界が平和のためには不充分にしか組織化されてゐないのもかかはらず、戰爭と相互殲滅のためには立派に組織化されてゐるといふことであります。これは何世紀も昔から發達してきた一連の適應障害に由來してゐます。煎じ詰めれば、適應障害とは、人類の科學的發明と工業發展が、人類の道徳的進歩を追ひ越してしまひ、品行方正な人間が科學者と足竝を揃へることができなくなつたものと提起することができるでせう。
第一に、世界はすでに經濟的には密接に結合されてゐますが、感情的には切り離されたままであります。我々は國際主義者として賣買しますが、國家主義者として考へ、感じます。生産過剰とその結果としての世界市場の必要性、ならびに原料と製品の交換の必要性は、異國間の經濟的利權を密接に結びつけます。それにもかかはらず、人間は國際的に思考することはできないし、私が思ふにこれからもさうならないでせう。各國は防衞しなければならず、必要な場合には自國の利益を守るために爭はなければなりません。政治上の表現では、自らの生存を確保するために爭ふ各國の權利と呼ばれます。これは新しい産業環境からもたらされた政治的適應障害なのです。
第二に、我々は一國民としては文明化されてゐますが、國際的にはなほ野蠻な状態に置かれてゐます。國家のヒロイズムと戰爭の讚美は、數世紀にわたつて培はれ、ヨーロッパにおいてナショナリズムが擡頭する一九世紀に際立つやうになりました。そのため、それは現在の我々の考へ方の奧深くに埋め込まれてしまつてゐるのです。個人としては、我々は殺人と放火を法で罰することができる犯罪と見なしますが、國際的には勳章に値する英雄的行爲と見なします。あなたは隣國に宣戰布告し、次に進攻して相手方の家に火をつけ、彼らの息子を殺害し、彼らの娘を強姦し、そしてあらゆる殘忍な行爲の中に身を置き、それらを祖國愛と呼ばなければならないのです。個人としての匪賊は社會の除け者であるが、國際的な匪賊は名譽ある軍勢としての資格を與へられ、彼らの子供の母親は人間の完全性のモデルとして注目されます。これは、一朝一夕には修正できない倫理的な適應障害なのです。
第三に、世界が非常に組織化されてゐるために、外交官も政治家も戰爭を止めることはできません。もしある外交官がさうしようと思ひ、自國の利益よりも正義と世界共通の利益を擁護するなら、おそらく反逆者となるでせう。これは非常に纖細な點であり、國際聯盟の眞の失敗の原因でもあります。代表使節たちは世界の利益を代表する者として世界會議に來るのではなく、それぞれの國益を代表する者として來るのです。少なくとも、さうすべきであると彼らは考へてゐます。彼らは頭の中でかう信じてゐるのです、つまり、自國の利益に關はる論爭において、彼らが正義よりもナショナリズムを重要だと考へなければ、選擧人の得票を失ふ、と。したがつて、我々は各國の指導者であるのみならず、世界の指導者と呼ばれ得る政治家を見出すことができません。今日の世界は、さうした指導者を輩出できないのです。これに反して、すべての戰爭は彼ら白手袋をはめた紳士によつて企てられます。ラムゼイ・マクドナルドは、英國の利益を守るためにゐます。ポール・ボンクールはフランスの利益を守るためにゐます。フランクリン・ルーズベルトの代表團は米國の利益などを守るためにゐます。彼らは懸命に同盟づくりに奔走し、關税牆壁の準備に餘念がありません。そして、結局はこれによつて戰爭が引き起されます。さうすることが、彼ら自身の國益に資すると彼らは正直に信じてゐるのです。ただその際に、彼らの誰もが皆、戰爭ができるだけ早く訪れるやうに助長します。現在、殘念ながらさうなつてゐます。ラムゼイ・マクドナルドとポール・ボンクールは兩人とも良い人で、平和を愛する紳士であり、あなたや私と同じかもしれません。しかし、彼らは自分たちではどうしようもない状況に囚へられてゐるやうです。彼らは實際に、世界的觀點からは罪とされる活動にすべて從事してゐます。これは、政治指導者層に對する我々の傳統的訓練によつてもたらされた適應障害であります。
要するに、ロマン・ロランやアルバート・アインシュタイン、バートランド・ラッセルのやうな、より優しい人間によつて實踐されるやうな、異なつたタイプの國際的な指導力が必要なのです。今日の世界においては、世界の共通利益を擁護する指導者が求められてゐます。世界の知識人がそのことを支持しないといふのは本當だらうか? ギルバート・マレーが指摘したやうに、ブランティングといふ偉大なスウェーデンの首相がゐました。フィンランドとスウェーデンの紛爭が國際聯盟に持ち込まれた時、ブランティングはスウェーデンのためといふよりは平和と公平のために立ち上がりました。すべてのジュネーブのジャーナリストが、ブランティングの政治經歴は臺無しになり、彼が次の總選擧を乘り切ることはできないと豫測しました。しかし實際には、ブランティングはそれまでスウェーデンで知られてゐたよりも偉大な多數派となつて返り咲きました。これは我々が考ふるに供すべき事例です。ウッドロー・ウィルソンが、ロイド・ジョージやクレマンソーのやうな老犬の企みに屈服するよりも、むしろ世界の利益のためにベルサイユの庭で自殺することを表明した方がよかつたのは間違ひありません。彼には米國人だけでなく、フランス人と英國人の支持もあつたであらうし、そして、世界的な政治家の最初の例として登場することになつただらう。
そして第四に、今日我々は、巨大な社會の激變に伴ふ世界産業危機に直面してゐます。今日のヨーロッパは、共産主義とファシズムに分斷されてゐます。一九世紀のヨーロッパを支配した資本主義は、それ自身の首を絞める繩を與へられ、そして今まさに自らを縛り上げようとしてゐます。戰爭直後には完全に流行遲れであつた國王と獨裁者が、今彼らの墓場から蘇らうとしてゐます。ハプスブルク王朝は最後の業火の灰から頭を擡げてをり、我々はメッテルニヒとウィーン會議が我々を殘した地點に着陸してゐるやうに思へます。したがつて、産業危機は民主主義の危機に直結してゐます。民主主義への我々の信頼は衰へてゐます。我々は、人間が國内的においては鞭にによつて、國際的には劍によつて統治されるといふ古い觀念に立ち返らうとしてゐるのです。これは非常に不愉快な形勢のやうに思へますが、それは現實に他なりません。世界大戰では、共産主義とファシズムといふ二つの潮流が明確に現れ、ヨーロッパの地圖を再形成するでせう。つまり、ヨーロッパは三つの危機、産業の危機、民主主義の危機、そして平和の危機の中を通過してをり、それは眞に文明の危機であります。それらの危機の中において、ヨーロッパは突然、炎に燒かれるでせう。
結局のところ、世界は考へ得る限り最惡の状態にあります。次の戰爭はやつて來ます、それもすぐそこまで迫つてをり、ほんの數年先です。一般に、ヨーロッパに適用されることは、明確に極東の状況にも適用されます。誰もその戰爭を止めようとしてゐませんし、將來的にも誰もしようとしないでせう。それは間違ひなくやつて來ます。私は豫言者ではありませんが、日本が二、三年のうちに戰備を整へるだらうことを見通すのに豫言者は必要ありません。
戰爭がどのやうに生み出されるか、皆さんは知つてゐるでせう。戰爭對話とは、相互不安と相互不信が戰爭準備へと繋がり、戰爭準備がさらなる相互不安と相互不信をもたらし、このことがさらに、敵がより巨大な海軍や大量の彈藥を蓄へる前に、より厖大で徹底的な戰爭準備をするべきだと一政黨が確信するまでに繋がります。準備ができてゐる國がいつ何時戰爭を強ひるかわからないのに對し、準備ができてゐない國はそれを防ぐことができません。誰もが知つてゐるやうに、戰爭は問題に決着をつける全く虚しい方法であり、愚かで不公平で殘酷で冷酷なものであります。しかしながら、人類はヨーロッパの戰爭を止めるための指導者を輩出できませんし、人類は極東の戰爭を止めるための指導者を輩出できません。我々の知性的で高潔な外交官は戰爭の用意をしてをり、陸軍と海軍は我々をその身近に導かうとしてをり、誰も彼らを止めないでせう。これは遺憾なことであります。誰もが戰爭を憎みながらも、誰もが戰備を整へてゐます。ここに、我々は人智が自らのためにつくり出した状況に對處できない場面にでくはしてゐるのです。
戰爭に先行する時期のあらゆる要素が現在の極東の状況に存在してゐます。特に、急速に軍事獨裁に傾斜してゐる日本の軍指導部は、最も危險な要素であります。日本軍はいつ何時でも戰爭を引き起すことができるわけですから、滿洲を盜つたやうに、東京政府は足下に付きまとふことでせう。日本軍の背後にはその民衆がをり、國民全體が戰爭氣分に浸つてゐます。一方には、日本の大陸帝國といふ榮光の夢があり、他方では、彼らと對立する全世界から自らの存在を守るために戰はなければならないと人々は信じてゐます。年間十二億圓以上の陸海軍軍事豫算の増加は、必ずや大衆の支持と共に通過するでせう。日本は準備ができてゐるのです。だが、ロシアもさうであり、ゆつくりではるが米國もさうです。この數年間、紛爭を避けるのがロシアの一貫した方針でしたが、それにもかかはらず、ロシアは用心深くちやんと戰備を整へてゐます。愼重に新聞報道を拾つてゐれば、皆さんはこのことを知つてゐたはずです。不和の種は東清鐵道になるでせう。ロシアに戰爭の準備ができてゐないなら、日本は準備ができてゐることを確信させるために、ロシア人勞働者を捕へ、より獨斷的な判斷を採用することができます。一方でロシアと戰ひ、他方で米國と戰ふといふ政策を採用するほど、日本は頑固です。日本は陸上でロシアと戰ひ、海上で米國と戰ふ用意が完全にできてをり、そして日本はさうするでせう。おそらく、日本に豫定通りに一戰を交へさせないほど、米國は賢明になるでせう。ロシアと米國が戰ひに參加する時、ヨーロッパの憎しみと力の高感度天秤は、ヨーロッパ自體がそれ自身の全般的な大量殺戮に引き摺られるほどに、引つ繰り返されるやうになるでせう。
戰はず、またそれに關する一切のことをしない唯一の國、それは中國です。それこそは、中國がそのやうに偉大な國である理由に他なりません。中國は自分以外の誰とも戰はないでせう。日本はロシアとも戰ひ、米國とも戰ふでせうが、しかし、中國とは戰はないでせう。日本はさうしようとは考へず、單に中國を占領するでせう。しかし、何が起らうとも、中國は途中で落ち着きを取り戻すでせう。中國には建築上の莊重體があり、國際政治上においても莊重體を備へてゐます。これらのことが中國を混亂させることはなく、中國は夢想し續けるでせう。我々の政治指導者は戰爭を考へてゐません。彼らは戰爭に對してあまりに洗練され過ぎて快適な状態にあります。彼らは自分たちの夕食に供される鮫のヒレと鳩の巣を考へてゐます。彼らはそれに關して、壯大な熱河の世界記録に對したのと同じくらゐに多くのことをするでせう。眞に考へ、中國のある種の外交政策を眞に考へ出すことができる唯一の人物は、宋子文であると私は信じてゐます。それは、彼が歸國留學生であり、精神的な習慣においていくらか非國有化されてゐるからです。彼こそは我々の外相であるべきです。彼がなぜさうでないのか、私には解りません。
さて、お膳立てはできてゐます。その手痛い代償を我々は拂はうとしてゐますが、しかし我々はこの状況を治癒しなければなりません。このやうな悲喜劇的な状況で、事態を收拾して極東で戰爭を囘避できるのは、ただ(一)常識とユーモア、(二)道教、(三)そして普遍的な腐敗だけであります。常識は、戰爭が非常に無意味であるとして、これを止めるでせう。だが、我々には充分な常識が備つてゐません。日本人にも、ロシア人にも、米國人にも備つてゐません。彼らは皆、互ひに殺し合ひ、戰後に今日よりも惡い状況を形成することによつて、自分たちのそれぞれの國を讚美するでせう。また、道教も同樣に、戰爭を止めるでせう。しかし、日本、あるいはロシア、あるいは米國の靜脈に道教を注ぐことはできません。好戰的な愛國心に對する最良の解毒劑は、あらゆる行爲によつて眞に達成されるものは何もなく、すべての行爲は愚かであり、進歩に對する錯覺であるといふ知識です。道教の最良の證は中國です。良き道教信奉者であるゆゑに、中國は戰はないでせう。事實、中國は決して戰ひません。たとへば、彈丸を空氣中で交換し、多くの雜音を出した上で價格を決めるとして、大佐は百萬、中佐は五十萬になるのでせうか。我々中國人には、戰ひが非常に愚かであることが解るだけの充分な常識があり、その信念に從つて行動します。私は、約一マイル離れたところから、四隻か五隻の砲艦と砦との間の、アモイ港における海戰を見たことがあります。多くの雜音と轟音があつたにもかかはらず、誰も傷つきませんでした。我々は空中に一齊射撃を打たせて、それを戰ひと呼びます。それは、我々が戰爭を信じない世界一の平和主義者であるからです。
また、もし日本の軍隊が普遍的に腐敗してゐれば、同樣に戰爭を止めることができるでせう。問題は、さうでないといふことです。中國の司令官がさうする方法で、日本の將校が彼らの兵卒を見捨てる姿を私はぜひ見てみたいものです。そこには、戰ひはありません。いつくかの鷄と犬がいくつかの流れ彈にによつて撃たれる時までには、戰ひは太平洋の集團全體への本當の天惠となるでせう。私は、戰爭が繼續し集團が苦しむよりは、むしろ數人の將校が道徳的に墮落する方を好みます。もし日本の將校を道徳的に墮落させるのに成功するなら、陣太鼓、警報器、巡檢はあるかもしれませんが、ドイツ人が一九一四年から一九一八年に世界に對して繰り廣げたやうな、殘酷な生死を賭けた鬪爭はないでせう。陣太鼓が止み、人間の心から憎惡と報復の毒が一掃される時、塘沽交渉の時にしたやうに、我々中國人は靜かに分別よく集まり、その件について論議できるやうになります。誰もが我らが黄郛司令官と同じくらゐ冷靜であるなら、我々は太平洋における次の戰爭を恐れる必要はありません。華北の戰爭は何によつて止まつたのか? 黄郛司令官に代表されるやうな平和の精神によつてです。
しかしながら、この情勢に對して私は眞面目な希望を抱いてはをりません。日本人、ロシア人、そして米國人の誰にも中國人の常識はなく、いづれも道徳的に腐敗してゐるわけでもありません。ゆゑに、本當の戰爭が起きるでせう。
その時に、中國では何が起きるのでせうか。側から見る中國は綺麗に見えるでせう。日本とフランスが、鳥の廢物層が大量に中國沖のどこかにばらまかれた、いくつかの島について論爭した時、そばにゐた中國が綺麗に見えたやうに。しかしそれは、次の戰爭で中國が影響を受けないことを意味しません。中國は影響は受けるでせうし、大いに受けることでせう。廣域のどんな長期戰の場合でも、必要な食糧と原料物資を入手しようと考へるならば、日本は中國の沿岸(たとへば山東、河北)を占領していくでせう。實際に、食物と綿を栽培して東京か大阪に送ることにおいて、中國は次の戰爭における日本の最も偉大な同盟國になるでせう。もしかすると、南京政府は日本の飛行機が屆かない甘肅省のどこかに自らの居場所を見出すかもしれません。日本人の女性と子供を救援する委員會の長として、我々の中から偉大な中國人のフーバーが現れ、日本の勝利後に人爲的な中國の大統領になるでせう。それが起こるなら、中國の共産主義者がソ聯軍の兵卒として戰はされる間、中國當局は事實上、日本側として戰ふことになるでせう。次の戰爭の中から、日本が勝つた場合にはファシスト獨裁者と共に、ロシアが勝つた場合には共産主義政府と共に、中國は出現するでせう。ロシアが勝てば、ロシアは日本國内の共産革命に勝利し、日本自身は共産國に變るでせう。
結果を描いてみてください、結果は明白です。あなたは占領された中國沿岸に留まることもできますし、逃れることもできます。今からでも、その準備をすることができます。樣々な方法でさうすることができます。あなたは臺車に乘つて山を交差するやうな苦難によつて、體を鍛へなければなりません。國内において良い給水を得られさうにないため、一九三五年春の腸チフスに對して、あなたは豫防注射すべきです。あなたは應急處置、キャンプ、携帶ナップサック、そしてトマト罐で自分のご飯を炊く方法を學ばなければなりません。あなたは床屋に頼らずに自分で髯を剃ることを學ぶべきです。また、安全なカミソリ刃が制限されるため、髯を剃ることを學ぶ際には、安全なカミソリではなく良質な古いカミソリを使用すべきです。あなたは紙幣の代りにいつくかの土瓶を買ひ、それらで銀と金を買ひ溜めすべきです。あなたは蛇の噛みつきに對して一般的な解毒を學び、石油から輕快な動きをつくるための公式を學ぶべきです。あなたは、アフリカのジャングル以外で唯一住むのに賢明で人間的な場所であるチベットにおいて、チベット方言でどう一、二、三を數へるのかを學ぶべきです。そして、ヨーロッパとアジアの文明が次の業火で長い脚と短い脚の外國人によつて完全に滅ぼされる時、あなた方生き殘つた中國人(充分な常識を失はずに持つてゐる唯一の人々)がチベットの平野から子供たちと共に地球人として現れ、新たな、より人間的な文明を立て直すために、強い決意、自立心、優れた人格を持つことを學ぶべきです。
(一九三三年十月十三日、上海、セント・ジョンズ大學國關係協會での講演)