日本語版『林語堂全集』を目指して

ネジ談義その三


 朱:水道の栓は取り替えましたか。


 柳夫人:あなたはお話にいらしたんですか、それとも水道栓を見にいらしたんですか。ご自分でご覧になればいいのに。


 朱:そのご様子では見るまでもないでしょう。水道栓はご全快のこととお察し申し上げます。


 柳夫人:そうなんですよ。水道栓は異状なし。


 朱:するとまたあなたが異人さんを恨むわけですな。


 柳夫人:ご冗談おっしゃい。もし本気で恨み出したら、それこそきりがありませんわ。


 朱:こないだは外国のネジの方が中国のより良いと言いましたね。あれで恨みが一つ。礼儀作法も中国より良いと言ったから、恨みが二つ。信義を守ることも中国より良いととかで......。


 柳:(寝ぼけた口調で)恨みが三つか。君子も三つの恨みがあればたくさんだろう。


 柳夫人:いえ、まだダメ。その他に廉、恥があり、ネジと礼と義といっしょで五つの恨みになるじゃありませんか?


 柳:まだ忘れているぞ。それから異人の法律は中国より良いというので、恨みが六つになるだろう。


 柳夫人:六つの恨みなら六つの恨みにしておきましょうよ。君子には三楽ありとか、君子には三畏ありなんて、あれはみんな口から出まかせなんです。袁子才は、『論語』の後半が専らそうした形式主義の文章ばかりで、三楽、三畏、三戒、三愆、三友、三変などとあるのを見て、『論語』の後半はあまり信用できないものと考えました。袁氏は『論語』の前半はよい、そのまま口から出るようで、言葉が自然的であると申しました。『論語』の前半は小品文ですが、後半は八股文で、まず一、二、三と勘定してから書いたものです。全く、三楽にせよ三畏にせよ、いずれも文人口調です。いくら君子でも本当に三楽や三畏しかないってことはありますまい。孟子のいわゆる「父母倶に存して兄弟故無く、仰いで天に愧じず、俯して人に怍じず、天下の英才を得て之を教育する」のはもとより楽しむべきことですが、(論語の)「泝(き)に浴し舞雩(ぶう)に風す」(自然を楽しむ)となると四楽じゃありますまいか。「人の歌うを聞き、之をして之に和せしむ」となると五楽でしょう。「過ち有らば人必ず之に告ぐ」となると六楽じゃありませんか。「栗を食べ、南京豆を齧る」となると七楽になりますよ。


 柳:おいおい、お前、気でも狂ったか......。


 柳夫人:「過ち有りて夫より罵らる」となると八楽だわ。「朱さんとネジの話をす」となれば九楽でしょう。


 朱:君子にはまた「九畏」もありますかね?


 柳夫人:天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏れ、女房を畏れ、プロレタリアートを畏れ、藪医者を畏れ、貧乏学究を畏れ、役所の門番を畏れ、軍人の愛国通電を畏る。ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、や、ここのつと、「九畏」がそろいましたよ。


 朱:すると、あなたにも「九恨」があるわけですよね。


 柳夫人:九九八十一でも平気ですわ。もともと君子には「九思」ありと言いますから、三三が九、さらにそれを自乗すると九九八十一です。論語の後半のような形式主義の文章をつくるつもりなら、三恨が九恨、八十一恨になっても平気でしょう。ほんとに西洋人の憎たらしくまた感心すべき点を数え立てるとなると、恐らく百恨どころではなく、「百恨歌」などたちどころにできるでしょう。


 柳:お前のような論法だと、西洋人はおならも中国人よりは上等、便所も中国人より上等というわけで、「千恨歌」でも造作はないだろう。


 柳夫人:「聖人の人を教うるや微を見て著を知る」とか、つまり人間はいきなり大きなことを考えずに、小より大に及ぼし、近きより遠きに及ぼせと言うんでしょう。誰もみな何かと言えば仁義とか礼智とかを口にし、中国の方がよいと言ってみたり、外国の方がよいと言ってみたりしていますが、仮に卑近な例をとって、単に便所のことぢゃけを取り上げてみましても、その優劣はたちどころに知られ、もはや弁明の余地はありません。文明といったような問題は、範囲が極めて広く、しっかりと把握しにくいものですが、しかし実地に立脚して一つまた一つと数えていけば、優劣はただちに判明するものです。


 柳:だがあまり煩瑣に失するようでも困るね。


 柳夫人:「百恨」とは何と何のことだか、即座に唱えあげてみましょうか......。


 柳:お前のその口にかかっちゃ、全く国家も台無しだな。俺も五十年間学問をしたが、今日になってやっと、女のいわゆる四徳は三徳だけでたくさんだということがわかったよ――つまり「婦言」などは教えなくてもいいことで、自分ひとりで覚えるというわけだね。


 柳夫人:慮外千万! 四徳のいわゆる「婦言」とは、婦人の口を封じる意味であって、おしゃべりをせよと言うんじゃありません。ですから、「婦徳、婦容、婦工」は私もみな心得ていますが、「婦言」だけは私には何としてもできません。


 柳:ところが古今中外、一人としておしゃべりでない女があったかな?


 柳夫人:あんなひどいことを。なぜ「夫言」は戒めなくてただ「婦言」だけを戒めるんでしょう? 「百恨」を私が述べ立ててはいかんとおっしゃれば述べません。男の人たちにお任せします。


 柳:お前が述べてはいかんというんじゃないが、同じようなことをくどくど言うなというんだ。一つ笑い話があるから聞かしてあげよう。ある米国人が英国でお茶の会に行くと、女の給仕が出てきて、「お紅茶ですか、コーヒーですか、ココアですか」と言う。「お茶」と答えると、給仕はさらに「セイロン(茶)ですか、ジャマイカ(茶)ですか、中国(茶)ですか」と問う。「セイロン」だと答えると、女給仕はまた「レモンですか、ミルクですか、クリームですか」と来た。「レモン」だと答えると、女給仕は今度は「温かいのですか、冷たいのですか、アイスですか」と聞くのである。これには米国人もうーんとうなってしまった。この勘定で行くと、お茶一杯飲むにも九九八十一通りのやり方があるわけだ。


 柳夫人:それくらい何でもありませんわ。揚州の茶館などには二十四色のお茶菓子があるそうです。あたしが茶館をやるとしたら、まず七十二色の「春巻」をつくりますわ。


第一、鶏肉、キノコ、筍。


第二、鶏肉、エビのむき身、筍。


第三、鶏肉、エビのむき身、きのこ。


第四、蟹、エビのむき身、きのこ。


柳:第五、蟹、鶏肉、エビのむき身。


第六、蟹、鶏肉、筍。


第七、蟹、鶏肉、筍、きのこ。


朱:舌を噛むよ。鶏肉に筍か。


柳夫人:朱肉、朱蹄、朱鼻、筍〔訳注:朱と猪は同音〕。


朱:牛母肉、朱母の舌、筍〔柳と牛も方言では同音〕。


柳夫人:牛肉は豚肉ほどおいしくありませんわ。


朱:そうでもないですよ。柳の舌は有名なものです。西洋料理には柳の舌のスープがありますよ。


柳夫人:もういけませんわ。


朱:牛の舌の味はまた格別、お次をどうぞ。


柳:同じようなことを言うなとあればそれもよろしい。広げれば百恨千恨でも述べ立てられるが、つめて言うこともわけはないよ。中国人はもう五十年も前から西洋の軍艦や大砲が中国より優れていることを知っていたが、西洋の政治機構が中国よりよいことを知ったのはやっと三十年前で、また西洋の文学、哲学、学術が中国よりよいことを知ってから二十年にしかならない。西洋人が礼義廉恥や社会秩序においても中国よりよいということを人々が認めてきたのはようやく最近のことだ。この内幕をさらけ出したら、百恨でも千恨でもすぐに見つかるだろう。誰もが中国は偉大だと言うが、中国民族がもし本当に偉大であるならば、自分の欠点は潔く承認し、率直誠実に人にあやかろうとし、人に教えを乞い、人を容れる雅量を持ち、西洋人の長所を学ぶべだ。さしあたり一、二の例を挙げよう。たとえば中国の音楽には楽調(メロディ)はあっても和音(ハーモニー)のないことは誰しも否定できないところだ。これを旧来のままにしておいた方がよいか、それとも他山の石を借りて自己発展をなし、中国音楽に和音をつくり出して、これを旧来の楽調に配し、また西洋の楽器、たとえばチェロのごときを利用して、その音階の範囲を拡大した方がよいか? ただ創造的精神さえあれば、何事にもあれ道は開け、伝統的文明をいよいよ発揚することができるのだ。さらにここにいくつかの例をあげてみよう。〔以上を①とす〕


②西洋の典籍批判学は中国のより進んでいる。」


③外国の書物は校正が中国より厳密である。


④外国の新聞は報道を主とし、広告は従としているが、中国の新聞は広告を主とし、報道を従としている。


⑤西洋の伝記文学は中国の伝記文学よりもよい。ボズウェル、モーレー、ストレーチーのごとき流派は中国には全くない。


⑥外国の百科全書のごとき形の書物は、中国ではまだ夢想もできない。


⑦外国の鶏には年に三百もの産卵をする品種がある。


⑧外国人には人を容れる雅量があり、偉い人にはあやかろうとするが、中国人は強情で、偉い人を見ると妬む(これは工業文明とは無関係である)。


⑨外国の文化は比較的に児童心理を理解してやっている。


⑩外国人は時間を守る


⑪外国人は中国人より清潔である(手工文明に携わる者も、清潔を重んじなくてよいというはずはない)。


⑫外国では強欲の役人でも社会のためになることをするが、中国の「貪官」はそうではない。


⑬外国人は黒人解放をやったが、中国人の間には僕婢の売買が行われている。


⑭外国の第五流の政治屋でも、その手腕、学識、精力は中国の第一流の政客に対抗し得る。


⑮外国人は率直であるが、中国人は虚勢を張る。その結果――


⑯外国では事務の処理が速いが、中国では遅い。


⑰外国の現代文明は人間性に近いが、中国の文明は道学者流の形式主義である。


⑱外国では老人でも進取の気性があるが、中国では青年からして老衰現象がある。


⑲外国の病院は中国よりもよく経営されている。


⑳外国には博物館があるが、中国にはまだそれがない。


㉑外国には民衆の図書館があるが、中国にはまだそれがない。


㉒外国では書籍の出版数が中国より多く、範囲も広ければ内容も豊富である。


㉓外国では船車の中の秩序も中国よりよい。


㉔外国の葬式は簡素で厳粛であるが、中国の葬式は繁雑滑稽である。


㉕外国の兵隊には給料が渡るが、中国兵には渡らない。


㉖中国人の巡査は外国人の訓練を受けないと一人前になれない。


㉗外国人は戦争において中国人より勇敢である。


㉘外国人は植民地に何十人か集まるともう市役所を組織するが、中国の学生や華僑が同じ町に何十人かいると必ず二つの対立した「学生会」などをつくっているといってよい。


㉙中国の刊行物では匿名で人の悪口を言うことが流行るが、外国の編集者はそのような原稿は載せない。


㉚外国の乞食は地べたに字を書き、その文句も人の発奮を促し、楽天的にし、何等かの役に立つような格言であるが、中国の乞食は腐った腫物を人に見せつけている。


㉛上海で人力車夫の生活改善に最も熱心になり盛んに論議するのは外人で、中国人は団体を組織してそのことを妨害し、また世間ではそんなことには無頓着である。


㉜外国人は災害救助事業を良心的にやるが、中国の当局の役人はこれを金儲けの早道にしている。


㉝日本の汽船はロンドンやハンブルグのような港にまで行っているが、中国にはただ(沿岸航路の)招商局があるだけだ。


㉞市と商太古輪船会社の貨物積卸は中国汽船よりも速く、発着時間も中国汽船より正確である(これは精神方面の問題であって、機械とは無関係である)。


㉟外国の領事は居留民の利益を保護するが、中国の華僑は領事の世話になることが少ない。


㊱船の火事でも劇場の火事でも、外国せは中国のように混乱しない。


㊲外国の消防隊は中国の消防隊よりもよくできている。


㊳外国の店員は中国の店員よりも丁寧である。


㊴外国の電報は中国の電報よりも速い。


㊵外国の学校では俸給の不渡りがないが、中国の学校では不渡りになる。外国の学生は中国の学生よりも師長を尊敬する。外国の教員は中国の教員よりも勉強する。外国の学校にはピストルなど隠していない。外国の学校長はたいだいからいって人格、学識ともに優れた人物である。


㊶外国の門番は中国の門番のように権勢ぶらない。


㊷外国では電灯も、水道も、自動車も立派だ。


㊸外人の監督する海関の塩税から中国政府の収入として送られる額は莫大である。


㊹外人管理の税関や郵便局では職員の待遇がよく、割合に実績を重んじて情実にとらわれないから、従業員もまず安心しておられる。


㊺中国の皮革業者のつくった靴は外国人のに及ばない。


㊻外国の化粧品の方が中国の化粧品よりよい。


㊼外国の学界が創造的精神に富み、伝統を重んじ、思想の豊富な点は、いずれも遥かに中国を凌いでいる。


㊽外国の軍人は単なる武官であるが、中国の軍人は田舎天子である。


㊾外国では治安が中国よりよい。


㊿外国の司法は中国より優っている。


 これでもう五十になった。とても言い尽くせそうもない。要するにだ、外国は強く中国は弱い。これを単に機械がいいから、ネジがいいからと言えるか。単なる物質文明であり、工業文明であると言えるか。現今の世の中で、古人の聞かなかったことを聞き、古人の見なかったことを見る以上、好学の士はもちろん深く考えるべきだが、たとえ好学の士でなくても深く考えてその原因を究明すべきだ。もしこれでもなお中国の道徳文明が西洋に優ると考え、大いに前非を改めて発奮自彊を図ることがなかったならば、それこそ中国は全く救われないわけだ。


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