日本語版『林語堂全集』を目指して

ヒトラーと魏忠賢――世界ペンクラブ大会での講演


 

大会は一九三九年五月九日に米国ニューヨークで開催された。会長はヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン。講演者にはトーマス・マンやアンドレ・モーロワなど。


 

 我々は今日、一つの恐怖世界の中に身を置いている。世間の人はよく、今回の世界危機の元凶が誰かと問う。大会に同席している皆さんが一通り考えた後に、もし我々がその咎めを受けるべきだと思ったとすれば、ヒトラーとムッソリーニを間違いなく喜ばせることになるだろう。少なくとも私個人としては、このように独裁者の思い通りになることは望まない。ほんの数日前、ヒトラーは諸君を招待し、諸君に戦争の責任を負わせようとした。ドイツの国会において彼が語ったことによれば、戦争の恐怖は民主新聞出版界の戦争鼓吹者によってつくられたものであるという。我らは、すでにして輿論総意を叫ぶ者であるからには、記者であるか否かにかかわらず、等しく招待名簿に名を連ねることになる。ただ、少なくとも私個人としては、鄭重に招待を謝絶するのみである。実のところ、この重大な局面の罪人は、ただ二人の作家だけである。一人は、『Cardinal's Mistress』の作者(編者注:ムッソリーニ)であり、もう一人は『Mein Kampf(我が闘争)』の作者である。ところが、この二人は、民主政体を唾棄し、自らを民主新聞出版界の一部に属さないと見なしているがため、ヒトラーとムッソリーニの両氏は彼ら自身にこの罪の責任を負わせようとしなかった。この二人のうち、一人は二流のロマンス小説を書く者であり、もう一人は真相をすり替えて事実を歪曲する作家である。彼ら二人もまた著作に従事する者であるが、我らペンクラブ大会は、彼らを我々の同業者として認めないと指弾したとしても、決して不当にはあらたないと私は思う。


 いわゆる著作界に属する者ということで、私が意味しているのは、一般に饒舌の才器を持った者である。国家に対する彼らの主要な貢献は、美点ではなく、人々にひどく嫌われることである。中国と西洋との違いなく、およそ心と言葉が一致し、言いたいことを言う作家は、いつでも政府に嫌われるものである。言いたいことを言えば言うほど、貢献はさらに大きくなるが、人に憎まれることも多くなる。トーマス・マンがヒトラーの眼にどれほど憎たらしく映っていたことか、彼自身に知ってほしい。もしこの世にトーマス・マンその人がいなかったならば、ヒトラーにとってはとても都合がいい。だが、我々は忘れてはならないのは、もしこの世にヒトラーその人がいなければ、トーマス・マンにとっても都合がよいということである。全くもって、ヒトラーが都合がよいか悪いかなどということは、我らと何の関係があるというのか? 世界は、トーマス・マンのような人が心地よさを感じるように改善すべきであって、ヒトラー流の人にとって都合がよいようにすべきではない。文明と野蛮の違いは、まさにここにある。


 私は平素より、著作家は国家を統治すべきであって、他人から嫌われるべきではないと主張してきた。一つの理想の国家の中においては、著作家は同時に統治者である。この理想の一部は、かつて古代の中国で実現されたことがある。もし著作界が少しでも政治に影響を与えることができるなら、彼らに対する世間の人の意見も比較的尊重したものとなり、世界もまた、必ずや気楽になると私は深く信じている。もし我らが英仏独間の紛争をプリーストリー(Priestlev)、アンドレ・モーロワ(Andre Maurois)、トーマス・マン(Thomas Mann)、一般人の手に渡したなら、一つとして、三日以内に公平で理に適った解決を得られない問題はないと、私は断言することができる。不幸にして、この世界はそうなっていない。世界は我らによって管理されるべきだが、事実は決してそうなっていない。著作家は、ただ反対党の地位に甘んじるしかない。著作界は永久に反対党であるべきである。永久反対党の立場としての彼らが、執政者にとっていよいよ目障りに感じられれば感じられるほど、国家と世界に対する彼らの貢献はいよいよ大きくなる。


 ただ、政府に眼をつけられることを自ら担うことは、これまでも現在も、常に危険この上ない職業である。中国の古の文人の境遇は、まさに今日の著作家たちと同じである。天上のことは、昔も今も変わりがないと断言することができる。目の前のヨーロッパの情勢を見るにつけ、いよいよ我らの境遇と中国古代の文人とは全く異なるところがないと感じる。中国の古においては、国王の措置に誤りがある場合、儒者には諫言を奏上する責任を有した。古の中国ではまた、検査を専門に司る官員も設けられた。ただ、これは新聞による検査ではない。なぜなら、あの時代にはまだ新聞がなかったからだ。彼らは帝王を審査する役であり、その役割は皇帝の面前で皇帝自身あるいは朝廷の処置の誤りを指摘することであった。彼らには法律の保障がなかったが、このようにしなければならなかった。彼らには倫理上の言論の自由があったが、法律上の言論の自由はなかった。もし、御史の実態がその名に相応しいもので、よく職責を全うしたならば、彼による公に向けた開かれた非難は、往々にして巨大な政治的な波を引き起こすことになる。ただし、皇帝が彼を心底憎み、本当に我慢ならない時には、自ずから彼の俸禄を罰し、頭を切り、二度と口を挟めないようにしてしまう。これが、我らの当時の情況である。私は一時期、西洋の著作家には憲法上の保障があるため、状況は比較的良いと思っていた。しかし現在では、ヨーロッパという一つのいわゆる文化の国の中においてさえ、あなた方は決して何ら保障などされてはいないことがわかった。なぜなら、あなた方には「異分子犯の監獄」があるからだ。どうやら我らは今日、同じ船に乗っているようである。


 然るに、我らの対策は何であろうか? ドイツの詩人であるハイネは、「私が死んだ時には、葬るのにペンではなく、剣をもってしてくれ」と言ったという。象牙の塔もまた、諸君の熟知するところのものである。我々は皆、一人の作者は戦士ではなく、頭脳が冷静な観察者であることを知っている。この二者の間から、我々は誰もが必ずや取捨するところがある。ただ、戦士の作者と象牙の塔の中の観察者の作者との間に区別をつけることは、決して易しいことではない。当今の人類文化の危急存亡の秋にあたり、文明を進歩させようとする任務は、新式の砲隊の運用と同じである。新式の砲台では、ある者は射撃を専門に司り、またある者は見張りを専門に司るが、砲撃の時における観察の任務の重要性は、決して砲兵に劣らない。偵察は眼差しが鋭敏で、心にいかなる雑念もないという状態でなければならず、銃弾の雨あられに降られ、砲撃音が天に轟く中で、冷静さを保たなければならない。これこそは、今日と未来の世界に対する作家の唯一の職責であると私は思う。今日、思想、芸術、文学が至るところで統制を受けている時にあたり、作家の最も大きな重任は、彼の思想・信仰の自由を守ることに他ならない。


 換言すれば、世界に対する作家の職責もまた、自己に対する職責に他ならない。職責とは何かと言えば、この愛国狂時代において、物事に対する理解が他人よりも明晰であり、物事を論じるのが他人よりも情理に適っており、必要な時にはこの異常な愛国狂ブームに反抗することである。要するに、自己の個性を守るということである。独裁国において、もし個性が埋没してしまえば、すべてが埋没してしまうことになる。ただ自己を救うことによってのみ、はじめて世界を救うことができる。まさに中国の道家が説いているように、真を守り一に抱くことによってのみ、禍や患いに侵されないで済むことができるのだ。今日、左派であれ右派であれ、単線思想の脅威を受け、特有の個性を失う危険にされされていない者はない。左翼作家であれ、右翼作家であれ、すでに自己を喪失してしまえば、どうして主義の勝利を謀ることができるだろうか。


 ここで孔子の言葉をいくつか引用してもよいだろう。作家の重要任務の第一は、「義」とは何を指すのかをはっきりと理解することにあるのだということを我々は知るべきである。


 孔子曰く、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」。「和」の字に対する孔子の見解もまた、喜ばしいものである。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。孔子の言葉は、往々にして逆説的で味わい深いものであり、一見すると矛盾を感じるが、実際は至極最も道理を含んでいる。たとえば彼は、「君子は群して党せず、小人は党して群せず」と言っているが、これ以上に適切な言葉は他にないだろう。つまり、私の意味するところは、およそ君子たる者、物事にこだわらない広い心を持ち、政治の汚れた垢にまみれず、党争の外に超然としていなければならない、ということである。


 今日の世界では、正義は払底し、国際情勢は漆黒の闇である。文化はすでに破壊に遭い、我々はまさに断崖に追いつめられているようなもので、大禍は目前に迫っている。我々の時代は、冷酷な時代である。我々の個人の尊厳に対する重視、人道の観念、思想の自由に対する尊重は、十八世紀のフランス百科全書の編纂者と比べると遜色があるようだ。ディドロやダランベールの文化的後裔として、我々は恥じ入るばかりである。欧州大陸がここまで堕落したのは、空前のことであると言えるだろう。前途には、無数の嫉妬や憎悪、流血に迫害、不平不満が必ずや待ち受けている。将来、歴史家は間違いなく筆をとってこう書くだろう、「恥知らずな一九三〇――三九年の時代の人こそが巨魁である」と。ここから我々の職責が見えてくる。それは、第一に誠実にして何も畏れることなく、個性を保つことによって、人間の自由を維持し、個人の思想・信仰の権利を守り、決して奪い取られないようにするということに他ならない。


 ファシスト政府は人間の自由を蔑視し、人民の権利を剥奪する。およそこのようなことは、決して永続することはできないと私は信じる。何ゆえにか? それは情理に適わないからである。ある人が私に、独裁が持続できない理由はどこにあるのか、と問うたことがある。私は、我々は結局のところ猿の末裔なのだ、と答えた。この言葉はどういう意味かとその人に問われたので、私はこう答えた。牛と独裁者はいっしょにいても問題が起こらないが、猿と独裁者とでは状況は一変する。人類は猿から進化してきたのであって、決して牛の末裔ではない。そうであるからには、我々は独裁政治のでたらめな行為にいつまでも耐え忍ぶことはできず、遠からずして両者は決裂する運命にあると私は信じている。なぜなら、耐え忍ぶことは猿の天性でもなければ、人間の天性でもないからだ。

 試みに中国の歴史を見てみよう。ヨーロッパには暴君がいるが、我々の暴君を見てみると、なお遜色があるようだ。ヒトラーを例にとれば、我らが十六世紀の魏忠賢と比較するなら、やはり三舎を避けて譲らざるを得ない。魏忠賢はアジアで最も著名な宦官として知られるが、宦官が東洋の特産であることを考えれば、実際は、古今東西で最も著名な宦官でもある。なぜかはわからないが、宦官は往々にして政治をほしいままに独裁することに長じている。宦官による執政のもとで、文人儒者が迫害を被り、権勢を笠に着る者のでたらめな行為による恐怖の暗黒は、まさに今日のヨーロッパと同じである。ナチス詩人やナチス総長の類は、ヒトラーをイエスに喩えている。中国では、ある儒者はこの大宦官は孔子と同じ尊敬を受けるべきだと提唱した。魏忠賢に対する讃歌は、「徳は尭舜に斉しい。大賢大智にして......」というものであった。ただこのように功績を歌い、徳を讃美することによってのみ、職を保つことができたのだ。彼に反対する者はすべて惨殺されたため、国を挙げて、すべての官吏がこのようであった。ここにおいて、生祠を建て、魏氏の像を彫って、人民や学生たちに崇拝させた。魏氏の義児・義孫はとても多く、魏氏を「乾爸(義父)」と呼び、皇帝の乳母でもあった彼の恋人(客氏)を「乾媽(義母)」と呼んだ。皇帝が通る時は「万歳」と呼ぶ習わしだが、魏氏が通る時には、官吏は跪いて「九千歳!」と呼び、魏氏は一瞥もせずに昂然として過ぎ去っていき、決して礼を返さなかった。ただ、彼の名声や権勢は赫々たるものであったとはいえ、畢竟、人民の面従腹背を免れることはできなかった。その情況は今日のドイツと軌を一にしている。我々は魏氏の一味を嘲笑して、彼らを「五虎五豹十子四十孫」と綽名している。これは猿性の演出でなくてなんであろうか? 人間はその性質上、結局のところ議論を愛好するがゆえに、魏氏政権はついに滅亡した。最後には彼は自殺せざるを得なくなり、自殺したのだ。自殺は独裁的暴君がよく行うことである。中国は魏氏の滅亡を目にしたが、中国は今に至るもなお中国のままである。そのため、我々はそれほど意気消沈することはないのだ。

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