これは元々、英国人に対して講演したもので、大部分東洋文明の提灯持ちをしている。今度中国語に訳して発表するについては、自己保全の意味からしてもそれに越 したことはなく、同胞たちの歓心を買うにもそれが上策なのではあるが、しかし、筆をとってみるとまた限りない感想が湧き起ってきた。
(一)東洋文明というものを私は平素極度に攻撃し、今もなお国民の惰弱で萎縮した気持ちや、優柔不断の気風、ごまかしの哲学を根本から改革して、西洋の積極進取の精神と取り換えなければならぬことを主張している。ところがいったん国外に出ると、いつしか心境の変化を来たして、以前に攻撃した者がたちまちに宣伝家に早変わりし、さながら祖国の栄辱は自己の栄辱であるかのごとく、到るところでこの東亜の病夫中国のために弁護の役を買って出ることあたかも世間の外交官僚に堕した形で、後になって考えるとおかしくなってくる。
(二)東洋の文明、東洋の芸術、東洋の哲学は、元来極めて傑出した点があるために、欧州の学者は中国の文化に対して浪漫的な崇拝心を起すことさえあり、特に中国の美術において甚だしい。一般に学者たちが中国の書画や骨董を愛玩しつつ、画中の人物に対して思慕する気持ちは、西欧の学者が古代ギリシアの文明を懐かしむのにも等しいであろう。自分はロンドンでユーモーフォピュラス(Eumorphopulus)の個人収集にかかる中国磁器を参観したが、中に一基の(宋代)定州産の観音像があり、なかなかの神品であった。中国の観音は西洋のマドンナ(聖母)とともに、宗教芸術の一中心対象であり、民族の芸術的想像力の結晶したものでもある。しかし公平に見て、観音像の女らしい美しい姿、平和な態度、雅やかな気品、こころよい色つやは、西洋で一番貴ばれるマドンナ以上であると私は思う。もし欧州人に生まれたならば、私も中国の画中の人物に対して必ずや思慕の情を抱くことであろう。しかるに、いったん帰国すると、今度はまた別の感覚が起った。東洋の美人は元々あばたに過ぎなかった。遠く望めば柳腰、よくよく見れば孔だらけ、というのが帰国後の感想でもあった。
(三)中国の今日の政治、経済、工業、学術はいずれも落伍せざるはなく、しかも国民はみな無自覚を極め、連年の戦禍にも救済策が講じられず、強大な隣国から侮辱されているという時にも個人的な対立が解消できないのは、まさに亡国のしるしではあるまいか。それも民衆や官僚たちが徹底的に前非を改めて革新する決心を欠いているためで、党や国家の要人たちは、やれ仏教だ、それ儒教だと唱え、それに頭の悪い国粋主義者が付和雷同している。あたかも金持ちの家の坊ちゃんが、先祖の事業をますます発展させるだけの気概もなく、日がな一日家賃を数えては人にひけらかしているようなものである。そういう際に、自分がさらに東洋文明の太鼓を叩いたりしたら、かえって読む者に麻薬をかけ、国を亡ぼす者の手助けをすることになりはしないだろうか。中国の国民にはもちろん長所もあるが、弱点もまた多いのである。平和や忍耐などの美徳は、元々東洋精神の具現なのではあるが、しかし今日では情勢が違うのであるから、平和や忍耐で果たして国が救えるであろうか、あるいはかえって国を亡ぼすもとになりはしないであろうか。同胞が猛省一番、胸に手を当てて考えた上、平和をやめて抵抗をし、忍耐をやめて奮闘をしようとせず、いたずらに国粋主義者にたぶらかされていたならば、ついに眠りから醒めることがなくてそのまま往生となるは必定である。どうか読者は中国文化の弱点に思いを致し、いたずらに東洋文明の祖述者をもって自ら任じるようなことのないよう、それでこそ中国には前途があるのである。
講演を始める前に、まずこの演説の目的を明らかにしておきますが、私は決して東洋文明の布教師をもって自ら任じ、オックスフォードの学者たちを中国文化の崇拝者にしたいというのではありません。それだけの度胸、それだけの冒険心は、西洋の宣教師でなければ持ち合わせておりません。度胸や冒険心は、もちろん中国人の長所ではないのです。是が非でも自分の了見を貫いて、異民族を同化させようというのは、人情としてもまことに通りかねる話ですが、中国人の見解によれば、人情が通らないというのはつまりい無教育ということです。ですから私のこの演説も例によって中国人一流の冷ややかな本性を現わし、宣教師のような熱烈さは全然ありません。皆さんの魂を救おうという野心もなければ、軍艦や大砲で皆さんを天国へやってしまうこともないのです。皆さんはこれから述べる中国文化の精神を全部お聴きになった後で、この冷ややかさと熱情不足の原因がおわかりになるでしょう。
私たちにはそれよりももっと高尚な目的があるように思います。それは研究的な態度をもって中国人の心理および伝統的文化の精髄を明らかにすることです。カーライル氏の警句に、「およそ偉大な芸術品は、初めて見た時はたいしてよくも感じられないものだ」というのがあります。カーライル氏の尺度をもってすれば、中国の「偉大」なことはもちろん疑いがありません。私たちが誰それは偉いというのは、私たちがその人に対してまるきりわかっていないというのと同義で、あたかも黒人が宣教師の説教を聴いて、わからなければわからないほど宣教師の博学に感心するようなものです。中国の文化には、盲従し讃美する者もいれば一概に悪口を言う者もいますが、実はいずれもそれを得体の知れぬものと見て不得要領なのです。それは中国の文化が数千年の発展においてほとんど全く西洋から隔絶され、大小精粗の別なく多分に西洋とは反対の方向に走っているからです。それゆえ西洋人が中国を謎のごとく考えるのも決して不思議ではありません。しかし私の考えによれば、わからないがゆえにのみ偉大と言われるのだとしたら、いっそ中国を偉大と呼んでもらうよりは、外部の人に理解してもらった方がよさそうです。
私の考えでは、もし我々が中国文化の精神を理解するならば、中国は決して解しがたいものではありません。一方において、私どもは「支那崇拝者」たちの夢見るような理想の境地を見出すことはできませんが、また他方において、上海の外国商人たちが信じているように、中国民族は土匪やルンペンばかりで彼らの持ち込んできた西洋文化や鰯の缶詰のありがたみを感じないものだとも考えていません。これら二つの論評は、いずれもはっきりした認識のないところから起こっているのです。実際において中国民族は最も人間味のある民族であり、中国の哲学は最も人間的な哲学であることを認めねばなりません。中国の国民にはもちろん偉大なところもありますが、同時に弱点もあり、何ら高遠深玄で解しがたいようなところはないのです。中国民族の特徴は中庸を守って一方に偏しない点にあり、人情の自然に沿おうとはしても幽玄な思想に走ろうとはしないのです。中国民族はあたかも女のごとく、現実に根ざして自己の防衛に長じ、人情を重く見て理屈一点ばりを嫌い、何事も自然の成り行きに任せていい加減に片づけてしまいます。こうした点は英国の国民性とよく似通っています。キケロが「理屈が通っているというのは小人の美徳に過ぎない」と言っているように、中国や英国のような偉大な民族においては、理屈が通っているか否かは問題ではないのです。さればこそ、理屈を通した民族はとっくに滅亡しても、中国は四千年という歴史をともかくも生きてきました。英国民族がその有名な「有耶無耶主義」(somehow muddle through)の本性を持ち続けることができるならば、これまた将来四千年の輝く歴史を持ち得るであろうことは疑いありません。中国と英国の民族性が根本的に同じであることは後でまた申し上げます。今はただ、中国の文化がもともと人間味を前提とする文化であり、何ら解しがたいところのないことを指摘するに止めましょう。
中国民族のことを調べてみますと、次のような長所や短所が発見されます。短所としては、政治の腐敗、社会の無秩序、科学工業の落伍、思想や生活の方面に極めて幼稚野蛮な痕跡を残していること、団体組織および団体運営の能力を欠いていること、とかくおざなりで徹底性がないことなどが挙げられるでしょう。長所としては、歴史が代々連綿と続いていること、文化が統一し美術が発達していること(ことに詩詞、書画、建築、磁器)、民族の生活力の旺盛なこと、苦労に耐え、ユーモアに長け、抜け目がなく、学者を尊敬し、山水をはじめ一切の自然物に心を傾け、家庭的によく親和し、人生の目的をわりとしっかりと認識していることが挙げられましょう。また長短の中間として、保守性、寛容性、平和主義、および実際主義が挙げられるでしょう。この四つは本来いずれも健全さの証拠なのですが、しかし保守は落伍を招きやすく、寛容は妥協に陥りやすく、平和主義はもしかすると体力的に奮闘性の乏しいせいかもしれず、実際主義は何事にも理想を欠き熱意に乏しいことになります。以上を通観すれば、中国民族の特徴となる性格の大部分は陰性の、静的、消極的なもので、平和な守成的な文化には適合していても、進取的で外に伸びる文化には不向きなことがわかります。こうした民族性は、「老成温厚」の四字をもって概括することができましょう。
こういう複雑な民族性と文化的特徴のもとにおいて、いかにすればそれらを一貫する文化の精神が発見され、我々がこの民族性の根源および文化の精髄の所在を理解するのに役立つでしょうか。それには中国の人文主義に解釈を求めるのが何より好都合と考えます。何となれば、中国文化の精神はつまりこの人文主義の精神だからです。
人文主義(ヒューマニズム)は含蓄に富んだ言葉で、解釈も様々であります。しかし、中国的人文主義(この名称は私の創案)は、すこぶる明確な定義を持っています。第一には、人生の目的および真意に対して公正なる認識を持つこと。第二に、我々の行為はひとえにこの目的をもって中心とすべきこと。第三に、この目的を達する方法は道理を明らかにすること(「明理」)にあり、すなわちいわゆる物わかりのよいこと(「事理通達」)による安心の境地(spirit of human reasonableness)であって、儒家のいわゆる中庸の道であり、また「常識の崇拝」(religion of commonsense)とも言うことができましょう。
中国の人文主義者は、人生の真の意義なる問題についてはもはや解決を得たと信じております。中国人の目から見れば、人生の真の意義は死後の来世にあるのではありません。キリスト教で、この世は死ぬための準備だということは、中国人には理解できないからです。さればとて、仏教の涅槃とも違います。それはあまりに幽玄だからです。また、功名手柄を立てることでもありません。それはあまりに不安定だからです。また、「進歩のための進歩」でもありません。それは全く無意味なことだからです。ですから、人生の真の意義という問題は、西洋では長い間、哲学者や宗教家の未解決の問題であったにもかかわらず、中国人は現実一本槍の頭でもってすこぶる明快に解決しています。その答えはというに、純朴な生活、ことに家庭生活の楽しみ(たとえば、両親ともに健在で兄弟もそろっているなど)を享受することであり、また対人関係の円滑さにあるのです。「日暮れには山より下り、月影とともに家路へ」(「暮従碧山下、山月随人帰」)とか、あるいは「薄雲浮かぶ昼食時、花や柳の川越えて」(「雲淡風軽近午天、傍花随柳過前川」)などという質朴な楽しさは、中国人にとっては単に詩情をそそる一時の気分を代表するばかりでなく、この世において幸福を追求する上の目安でもあるのです。この境地に達すれば、すべてが安定してきます。こうした人生の理想は決して何ら高尚なものではなく(ルーズヴェルト氏のいわゆる「精力を出し切る人生」と対照)、また哲学者の深遠な探求を満足させるものでもありませんが、しかしその本質はすこぶる現実的です。これはことのほか単純な理想であると考えられますが、ことのほか単純であるがゆえにこそ、中国人のような実証主義の頭でなければ思いつけないし、時として私たちは、こんな単純な解答を西洋人がどうして思いつかなかったのかと不思議にさえ思います。私の見るところでは、中国と欧州はどう違うかと言えば、欧州人は享受すべき事物をたくさん発明したにもかかわらず、それを消費享受する能力がわりに少なく、中国人は単純な環境の中にありながら消費享受の能力や心構えがわりに大きいことです。
これは中国文化の一大奥義です。中国人は一定の限界内でいつも楽しむという道理をよくわきまえており、また「酒があるなら酔いましょう」(「今朝有酒今朝酔」)というふうに、始終暇を盗んでは享楽をしようという気持ちがありますために、彼らの生活は安定を求めても進歩を求めず、目の前に楽しみの当てがあれば、あやふやで確実性のない山仕事などに手を出そうとはしないのです。ですから中国の文化は静的であり、西洋人の勇往邁進、雄心勃々たるとは大きな隔たりがあります。静的なものはとかく頽廃落魄の恐れがあります。しかし、営々として立ち働くものもまた、とかく不眠症にかかる心配があります。人生、畢竟幾日もなし。不眠に値する何事があるでありましょうか。詩人も「歳月を誰と争い、ひげ面となり果てたる」(「共誰争歳月、嬴得鬢辺髯」)と言っております。伍廷芳が駐米外交官時代、一アメリカ人が伍氏に向かって、ある鉄道が完成するとフィラデルフィアからニューヨークまでに一分間の節約になると言って甚だ得意そうでしたが、伍氏が平然として、「で、その一分間を節約して何になさるのですか」と質問したので、そのアメリカ人は返す言葉もなかったそうです。この伍氏の返答ぶりは、何よりもよく中国的人文主義の要領を示しております。何となれば、人文主義は到るところで、「汝の目的は何か、何のためにそうするのか」と問いかけて、常に人の反省を促しているからです。英国人は常に戸外運動を心がけて「身体を快適に」(keeping fit)しようとしていますが、有名な英国の諷刺週刊誌『パンチ』はこれを皮肉って、「快適とは何用に適することか」(fit for what)と言っています(これはfitが二通りの意味を持つからです)。私の知る限りでは、この問題は今なお解答されておらず、また満足な解答を得るまでにはなお時がかかることでしょう。厭世家がかつて言いました、「仮に我々の誰もが自分のすることの目的を知ったとしたら、誰も何もしなくなるのではないだろうか」と。たとえば我々は婦人の解放と自由を説きますが、しかし得た自由で何をするのかということについては、また全く問題にしていませんでした。中国の老人が炉辺の安楽椅子で忌憚のない解答をしたとすれば、自由になったら嫁に行くだろうと言うでしょう。こうした人文主義の冷静な態度は、とかく愛想がなくて、女権運動の熱情に水をさすことにもなりがちです。同じようなことですが、私どもは教育の普及、平民の文字習得を始終提唱していながら、いわゆる教育の普及とは『デイリー・メール』やビーヴァーブルックの新聞のために幾人かの読者を増やしてやることかどうかという疑問を発したこともないのです。もちろん、こうした冷静な態度はとかく保守的になりがちですが、しかし中国と西洋の文化精神の相違は、確かにそういったところがあるのです。
次に、いわゆる人文主義は、もともと宗教と対立させることのできるものです。人文主義では、人生の目的を現世の幸福にありと認めていますから、これと関係のない一切の事柄をきっぱりと無視してしまうのです。宗教的信条だとか、哲学的真理探究だとかは一切捨てて顧みません。それは語り切れぬことと見なすからです。それゆえ、中国の哲学は常に行為の倫理という問題に限られています。霊魂のごときは有無不明で、全然研究の価値なしとされ、形而上学的な疑惑などはなおさら取り上げようともしません。孔子が早くも「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」という名言を吐いていますが、まことに生をだに知らずして死を論ずるのは愚かな行為であろう。私は先にニューヨークに住んでおりまして、オックスフォード出身のある牧師から質問をされましたが、それは最近の天文学説から推測すると何百万年かのちには太陽は衰弱し、地球上の生物も残らず滅びるでろう、してみれば我々はいよいよ霊魂不滅の重要さを悟らねばならないというのでした。私はその人に、正直な話だが私は少しも焦らないと答えました。もしも地球があと五十万年も存在するとしたら、私個人としてはそれで充分満足です。人類の生活がもう五十万年も続くようだったら、それで我々の楽しみには充分であり、それ以上のことはすべて形而上学的な取り越し苦労であります。まして人間一人の魂が五十万年も存続して、なおそれでも不足だというのでは、あまりにも身のほど知らずでありましょう。したがって、オックスフォード卒の氏の焦慮は、全くのところゲルマン民族の心情を代表するものであり、私が五十万年後の事柄を度外視するのは、これまた中国人の心情を代表するものであります。そこで断言することができますが、中国人はキリスト教徒にはうまくなれないのであって、もしキリスト教徒になるのだったらクエーカー教徒に加わるべきです。それはクエーカー教徒の教理が全く実践躬行を出発点とし、あらゆる形式的な教義を廃し、たとえば洗礼もやらず宣教師も設けないといった風だからです。仏教なども次第に中国に広まりましたが、結局一番大きかった影響と言えば宋代儒者の修身の理学ぐらいのものでありました。
人文主義の出発点は道理を明らかにすることにありますが、いわゆる「明理」とはただ単に理知理論の理ではなくて情理の理でもあり、情と理とを調和させることです。情理というものは理論とは違います。情理は寛容的、中庸的、常識的、実際的なもので、英語のcommonsenseと意味や働きがよく似ています。理論というものは徹底を求め、極端に走りやすく、専門家の学識を必要とし、理想を尊ぶものであります。この「庸」の字は「不易」の意味に解せられていますが、実はcommonsense(常識)のcommon(常)と、もともと同じ意味なのです。中庸の道とは、ですから普通人の道ということであり、学者や専門家には掴めなくても普通の人間は常に掴んでいるのです。理論を頼む者は必ず一方に偏して実際から遠ざかりますが、普通人はそうでなく、直感を頼りとして事の善悪を決定します。物事の道理はもともと連続した、まとまった一つのものでありますが、論理学者の分析にかかると断片的なものになってしまい、甲乙丙丁等の分野に分かたれて、事の善悪はもはやその本来の面目を失ってしまいます。ところが普通人は、一切のことを総合して批判を下すのですから、当らずといえども実際を去ること遠からずであります。
中庸の道は道理を明らかにすることをもって出発点としますから、神秘的な色彩は全然なく、西洋のキリスト教が道学的な神話の体系を基礎としているのとも違います(『創世記』の第一章には、人類の祖アダムが林檎を食べて罪を犯し、そのため人類は永遠の苦境に陥った、だからイエスが十字架に磔にされて罪を贖う必要があると記されています。もしもアダムがあの時、林檎を食べなかったとしたら、人類は堕落することがなく、罪もないわけですから、贖罪は無意味となり、イエスの降誕は根本から否定されるでしょう。つまり、キリスト教の教義の基礎はすべて一個の林檎の有無にかかっているわけです。パウロ神学の理論的基礎もこの点にあるのですが、頼りない話ではありますまいか)。人文主義の理想は、事理に通達した中堅人物を養成するにあります。何事にも人情と道理を持たせるのが目的ですから、中庸を尊んで極端になることを嫌い、頑固や独善、理屈一点ばりを憎みます。ラッセルもかつて申しました、「中国人は美術においては細緻ならんことを努め、生活においては人間味あらんことを努める」と("In art they aim at being exquisite, and in life at being reasonable”――『東西文明の比較』なる一文を参照)。英語でto be reasonableというのは「搾取しない」「難題を持ちかけない」ということです。人に向かって「少しは人間味を見せたらどうか」と言うのは、「ひどいわがままはよせ」ということです。ですから人間味というのは、つまり人間の常として弱点は多いけれども、我が身に代えて考えてやれば何事も容赦し堪忍することができ、妥協に到達しやすいということです。そして妥協とはつまり中庸のことです。帝尭が帝舜を訓戒して「まことに其の中を執れ」と言い、孟子が「湯王は中を執る」と言い、『礼記』に「其の両端を執り、其の中を民に用う」と言ってあるのも、平俗な言葉で言えば、「こっちの言い分も聞き、あっちの言い分も聞き、そしてその中をとる」ことで、こうすれば、およそ理屈一点ばりの議論は起らないというわけです。たとえば父親が息子を大学へ入れるのに、オックスフォードがいいかそれともケンブリッジがいいかわからないので、結局バーミンガムにやられたというわけで、息子はロンドンを出発して汽車がブレッチレーを通過しても、東の方のケンブリッジへも行かず西の方のオックスフォードへも行かず、ただまっすぐに北へ向かってバーミンガムへ行くほかありません。このバーミンガムへの道がすなわち中庸の大道であります。学校の内容はオックスフォードやケンブリッジに及ばなくても、オックスフォードとケンブリッジの双方の感情を害さなくて済むことになります。この中庸主義の効用がおわかりになれば、中国歴代の政治や一切の改革の歴史がおわかりになるでしょう。季文子が「三たび思うて而して後に行う」のを孔子が評して、「二度で結構じゃ」と言われたのも、まさにこの中庸主義であって、再三思案していたのでは分別がつかなくなってくるからです。してみると中国人は、頭を使うにも度を越さないということがわかります。西洋の著述家などは、何か一つの説を立てるとそれでもって一切の事柄を説き尽そうとそする風があります。たとえばヘンリー八世がスペインの姫カタリーナを娶った時、フルード(Froude)はこれを全く政治的理由によると述べ、クライトン僧正(Creighton)は全く色欲的動機に基づくものと説きましたが、しかし普通の人の批評ではその中をとって、いずれも動機になっていると考えました。その方が事実に近いでありましょう。また、犯罪人の凶行なあどにしても、西洋の学者のうち遺伝説を唱える人は全く先天的な欠陥であると言い、環境説を唱える人はすべて後天的な弊害であると言いますが、我々普通人の目から見れば、その中をとってあっさりと、先天的と後天的の責任半々ということになりはしますまいか。中国の学者にはそのような極端な議論は稀であります。ピカソのごときはセザンヌの一応ごもっともな説にしたがって、一切の物体は三角形、円錐形、立方形の合成によるとし、この理論を極端にまで推し進めて立体画の一派を創造しましたが、あんなのは中国人には決してあり得ないことです。このように究極まで推していくということは、つまり中庸を欠き、常識(commonsense)を欠くことになります。
中国人は中庸を説きますから、極端に走ることを嫌い、極端に走ることを嫌いますから、一切の機械的な法律制度に信を置きません。およそ制度はすべて機械的であり、私利や私情にかかわらないもので、もしこれが私利や私情にかかずらうと、もはや制度ではなくなります。ところで、そうした公平無私な制度というものは、中国人の気質に何よりも合わないのです。ですから、歴史を見ましても中国では法治は失敗しています。法治の学説は中国にも昔からありましたが、しかし、いつも民衆から歓迎されませんでした。商鞅の変法なども、人の怨みを買うことの方が多くて、ついには自らが車裂きの刑を受けました。秦の始皇帝は李斯の説を用いて、一種の厳正な法治制度をつくり出し、羌夷の勢力圏である秦の国にはそれが行われて軍事も政治も綱紀がよく保たれ、秦はそのため富強になりましたが、しかし秦が強くなって天下を領有するようになり、この法治制度を中国の一般庶民に行おうとしましたために僅か二、三十年のうちに全面的な失敗をしました。万里の長城は、始皇帝の法令によらなければ築き得なかったものでしょうが、しかし長城は築き得たとしても、すでにその亡国の種は蒔かれていたのです。それらはみな、中国人が法治を嫌い、法治が中国においては失敗することの明らかな証拠であります。それは、法律というものが私情を許さぬものであり、私情が加わればもはや法律の立場はなくなるからです。それゆえ儒家は「賢を尚ぶの道」というのを唱え、人治をもってこれに代えようとします。人治ならば情と理の両方を用い、恩と法を兼ねて施し、規範もあれば権勢もあり、何事も「融通」「話し合い」「手蔓」「いい加減」の余地がありますから、たとえ西洋の法治制度には遠く及ばないまでも、こうした人治は、放任自由と個人主義を好む中国民族には適している。なおかつ、中国的人文主義の理論にも合致しているところから、二千年来引き続いて用いられ、今日に及んでもなお、こうした「融通」「話し合い」「手蔓」「いい加減」ということが法治実行上の最大の障害となっています。
ところで、こうした人文主義は中国に西洋流の法治制度を展開させることはできないまでも、他の方面では一種の比較的平和で寛容的な文化を生み出しています。こうした文化のもとにおいては個性の発展が比較的自由であり、西洋文化の強引な発展と武力的侵略も中庸の原理によってある程度まで抑制されています。こういう文化が平和的であるのは、理性の発展と戦闘精神とは相容れないものだからです。道理を重んずる者は武力に訴えることを好まず、何事も妥協に傾くものです。ただその弊害は臆病なことでしょう。中国人同士で悶着が起きると「道理に合わない」ことをもって相手方を責めるのが常ですが、これはおよそ教養のある人ならば道理をわきまえるべきだという前提に基づいています。もっとも時には、道理を主張する方の腕力が弱いためでもあります。英国の公立学校では生徒の間に決闘の習わしがあり、勝利者は得意となり敗北者は以後譲歩を余儀なくされ、明らかに強権を公理として承認している形ですが、これは中国人には最も理解しがたいところです。また決闘の後始末にしても、中国と外国とでは違います。西洋人は概して純真ですからその平素の徹底主義を実行しますが、中国人はそうでなく、理性の発達が著しいために、負けた方の将軍は人民の前に晒し首にされるどころか、かえって勝った方が国庫から何十万円か支出して一等船室を予約し、敗者に外国漫遊をさせ、しかも立派に名目をつけて衛生調査だとか教育視察ということにしてやりますが、これは西欧諸国では決して見られないことでしょう。なぜそんなことをするのかと言えば、理性の発達した軍人ならば運命の輪廻、人生の転変ということをよく承知していますから、勝利者はこうすることによって後日妥協の余地を残し、敗北者もまた恥を忍んで自重し、ひとまず外遊してやがて帰って来たらまた手を握ろうという三段なのです。かくまでに道理が通り、かくまでに気持ちが和やかなのは、もちろん世界にも類例のないことであります。それゆえ、多少とも教育のある中国人は、およそ正面切って突っかかったり、あるいは敵方に対して「逃げ道を与えない」ようなものは修養が足りないと認め、縁起が良くないと申します。ですから、ヴェルサイユ条約などは中国の人士から見れば修養の足りない例になります。フランス国民が今日常に不安に駆られ悪夢にうなされているのは、他でもない、ヴェルサイユ条約を決める時に中国人のような道理の観念がなかったためです。
しかし断っておかねばなりませんが、中国人が理性を重んずるのはギリシア人の「温和明達」(sweetness and light)や、西洋のいずれの民族性とも違ったものです。中国人の理性は決してそれほど神秘的なものではなく、ただ常識の崇拝に過ぎません。もちろん、曾参のいわゆる中庸と、アリストテレスの中庸とは、その趣旨はだいたい似ています。しかしギリシア思想の精神が西欧思想の精神とよく似ているのに対し、中国の思想はギリシアの思想とは大いに異なっています。ギリシア人の思想は論証的、分析的ですが、中国人の思想は直観的、総合的です。常識を崇拝することは論理的な理論立てとは氷炭相容れず、その直観思想はすこぶる非科学性に似たものがあります。直観はこれまで婦人の特長と言われてきましたが、女が果たして論理的でないかどうかはわかりません。女の直観が当てになるかどうかも疑問です。さもなかったら、なぜに多数の年老いた貴婦人崩れが今もなおモンテカルロの賭博場で、嚢中の一、二フランを取り出しては幸運を張っているのでしょう。しかし、中国人の思想と女性とは、その他にもなお類似点があります。女は自己保衛に長じていますが、中国人もそうです。女は現実主義ですが、中国人もそうです。女にはその人を論じてそのことを論じないというロジックがありますが、中国人もまたそうです。たとえば、一人の考証学者を女が紹介する場合など、この人は考証学者ですなどとは言わないで、以前私がニューヨークにいた時分インドで亡くなったハリスン大佐の甥御さんですなどと言います。それと同じく、中国の判事さんの頭の中にある法律もまた、決して単なる抽象的な法律ではなくて、黄某大佐とかあるいは郭某軍長の未決事件に対して適用する法律なのです。ですから、たまたま法律が不幸にして黄大佐と衝突するような場合には、法律の方が負かされるに決まっています。女もまた、法律が自分の亭主と衝突する場合には、大抵法律の方を負かしてしまいます。
欧州各国のうち、英国の国民性が最も中国に近いことは、常識への信頼や現実の尊重によってもわかると思います。しかし英国人は中国人よりも組織的な制度に信頼し、かつその制度において卓越した成績を示しています。たとえば、英国の銀行制度、保険制度、郵便制度、さてはシャンペン競馬の制度がそうです。アイルランドのシャンペン大競馬など、中国人にはあの伝票を数えさせるだけでも、たとえ全部の賞金をくれてやるからと言っても計算ができないでしょう。なお政治や社会の方面でも、英国人は従来確かに論理を超越し常識を頼み、ただ現実のみを求めることによって有名です。英国人は空中に一本の虹を踏み台にしても平気でいられると言われています。たとえば肉をえぐって腫物の治療をしたような英国人一流の継ぎはぎ的傑作――英国憲法――は、誰しも感心しないではいられません。誰の目にもあれは頭隠して尻隠さずの間に合わせの継ぎはぎですが、しかし実際においてそれが英国人の生命や自由を保障し、また英国人にフランスやアメリカよりも一層着実な民治を享受させています。ここに皆さんと集まっている機会に、私も指摘することができますが、オックスフォードは一種の人間味のない寄り合い所帯から発展してきたものです。しかし同時にまた、それは世界で最も完璧な、最も理想的な学府の一つであると認めないわけにはいきません。ただこの点、中国と英国の国民性の差異が見出されます。すなわちしかるべき制度や組織があってのちはじめて、こういった偉大な施設が何百年と続いて発展し得るということです。中国人はそうした制度や組織に対する信念に欠けています。私は痛感するのですが、中国人がもし英国人から制度への信頼と組織の能力とを学ぶことができ、また英国人が中国人から常時享楽の心構えと山水を楽しむ風流さを学び得たならば、両方ともためになることが少なくないでありましょう。
(オックスフォード大学平和会講演原稿)