日本語版『林語堂全集』を目指して

九つの疑問


戴季陶氏は民国二十一年の国慶(建国記念)に関する述懐を発表し、古来の建国の重要事には九つあることを論じている。一に城郭の修築、二に官庁の建設、三に道路の敷設、四に倉庫の設置、五に学校を興すこと、六に貧民の救済、七に農業の奨励、八に祭祀を置くこと、九に礼楽を正すこと。私は非常に奇妙に感じてならない。


 この九箇条の治国の重要事のうち、道路を敷設することと学校を興すことの二箇条を除けば、およそ戊戌の政変以前に李鴻章や康有為らがすでに議論されたこと(あの時は大方が「学堂をつくる」と言っていた)であり、もはや語られなくなって久しい。拝読して、九つの疑問が浮かんだ。(一)城郭の修築については、至るところで城壁を撤去したり、環濠を埋め立てている今日では、すでに意味を失っている。もし蚊を恐れているのであれば、引き続き水路を埋め立てて、電車道に改めることが重要である。(二)官庁の建設についても、大禹の宮殿軽視主義に完全に違反するものであり、なおかつ官庁の大門にいくつかの巨象を描くことは、国家の興亡と大きな関係がなく、「治国の重要事」に数えることはできない。(三)道路の敷設の要不要は、自動車を持っているか否かを見て判断すべきである。(四)倉庫を設置するにしても、貯えるべき粟がなくてならない。たとえば、アヘンを栽培することを強いられている地域であれば、空っぽの倉庫を立てたところで利点は何もない。また、民の財産は搾り取らない方が良いだろう。もし、民の財産まできれいに搾り取ったならば、いくつかの立派な倉庫を立てて「年貢が大いに納められている」と外に書いたところで、馬鹿々々しさを免れない。(五)学校を興すと言うが、すでに学校は大いに盛んに興っているのではないのか?(六)貧民の救済についても、ヘンリー・ジョージの書を読んで、もっと貧民の由来を研究すべきである。(七)農業の奨励については、男が耕し、女が織るという手工業時代ではすでにない今日には相応しくない。五畝の田んぼに桑を植えたところで、八人家族の着るものができるとは限らない。(八)(九)祭祀を置くことと礼楽を正すことについては、ナンセンスにもほどがある。現今は人間でさえ食べる物に事欠く有り様だというのに、どうして神に供える余裕などあろうか?


 これを詳しく論じよう。古においては、天子が名山大川を祭るのに、五岳は三公にならい、四大河川は諸侯にならった。そして、諸侯はその領内の名山大川を祭り、大夫は門、戸、井、竈、中溜(土地と住宅)の五祀を祭り、士と庶人は祖先のみを祭った。平等、自由の説が興ってからは、誰が天子で、誰が庶人で、誰が三公で、誰が大夫なのか、その境界はすでに消滅した。一たび人々がこぞって季氏にならって泰山に行くようになれば、それは非礼であるばかりでなく、おそらく泰山の道端の草木でさえ、もはや気にしないだろう。もし、国府主席が名山大川を祭り、各省の主席らを諸侯とし、省の庁長を三公とすると言うならば、現在は古を去ることすでに遠く、古礼はすでに失われ、識者は極めて少なく、祭るのは鬼神ではない。あるいは、子牛と間違えて豚の頭を用い、鬼神は降臨せず、かえって侮辱されたと考えるかもしれない。巫祝は? 紙銭は? といった様々な難題が相継いで起こってくる。


 それにまた、さらに大きな経済上および礼法上の問題がある。郊祀について言えば、名山大川から雷公、風伯、雨神に至るまで、その数は数えきれないほどあり、一つ一つについて廟を立てることは、事実上不可能であり、経済上においても見込みが立たない。最も簡単な方法は、王莽のやり方を採用することである。その種類に応じて群神を分け、五つの「兆」を置く。その場合、五院以外に別途「郊祀院」を設け、国内外の専門家を招聘してその役を司らせる(郊祀院長は、時間を持て余しているであろう現在の考試院長の兼任とする)。すべては、郊祀院に任せてやらせればよい。東西南北中の五つの場所を選んで五つの時期を決め、院長にその時期に応じて祭祀に行かせる。(一)中央に帝、黄霊后土を祭る際には、日廟、北辰、北斗、塡星、中宿、中宮を合わせて漢口に立て、「天地兆」とする。(二)東方に帝太昊、清霊句芒を祭る際には、雷公風伯廟、歳星(木星)、東宿、東宮を合わせて南京北極閣(現在の中央気象台の地)に立て、「東郊兆」とする。(三)南方に炎帝、赤霊祝融を祭る際には、熒惑星(火星)、南宿、南宮を合わせて広州に立て、「南郊兆」とする。(四)西方に帝少皞、白霊蓐収を祭る際には、太白星(金星)、西宿、西宮を合わせて成都に立て、「西郊兆」とする。(五)北方に帝顓頊、黒霊玄冥を祭る際には、月廟、雨師廟、辰星(水星)、北宿、北宮を合わせて保定に立て、「北郊兆」とする。それで、お金はどうするのか?

「礼楽を正す」ことに暦の変更、九鼎の鋳造、服の色の改定が含まれているのかどうか、戴先生は詳しく語っていないため、我々には知る術がない。国を治めるのに、服の色ほど重要なものはないということを知るべきである。五帝にそれぞれ色があるように、これは古代からの明確な教えがあった。暦がすでに改められたからには、服の色もそれに従わなければならないことを戴先生は忘れてはならない。愚見によれば、民国は水徳であり、色は黒を尊ぶ。年来、東北漢口の河が赤い堤防を決壊させたのは、その証拠である。日本は赤を尊び、共産主義もまた赤であり、火徳である。水がこれに打ち勝つことができないはずはない。十月に月蝕があり、外側が黒く内側が赤いのは、水が火に打ち勝つ兆しであり、黒衣党をもって赤化の禍を打ち破り、中国の黒をもって日本の赤を攻め、日本は滅びる。大いに吉なり。

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