日本語版『林語堂全集』を目指して

修養について

 中国には古くから「修養」(涵養)を目標とし、徳性の薫陶を重視する教育があり、学業の単位を重視する現代のいわゆる教育とは異なる。学業があるからといって、必ずしも学問があるとは限らず、学問があるからといって、必ずしも修養があるとは限らない。中国は学問と修養を一つのことと考えており、これが中国の伝統教育の大きな特徴であり、博識で緻密な研究を重視するドイツの教育、芸術の陶冶を重視するフランスの教育とも異なり、また性格の育成を重視するイギリスの教育とも大きく異なる。イギリスのいわゆる性格、原文のcharacterは、中国語に訳せないばかりでなく、フランス語やドイツ語のいずれにも訳すことができない。この言葉には特に、毅然、恒心、冷静、寛容、危機に臨んで懼れず、義を見て勇敢に立ち向かい、紀律に従い、儀礼を守るなどの意味が含まれており、とりわけ毅然、恒心、紀律への服従などはいずれも戸外運動によって得られるものである。ゆえにイギリス人は運動を命や宗教のように見なしている。これはイギリスの国民性を語る者が必ず知らなければならないことである。イギリス人はこの徳性を重視する「教育」のおかげで、南方や北方に身を寄せようと、遠い海外に渡ろうとも、たった七、八人、あるいは二、三十人を投入するだけで、アフリカにおいても、オーストラリアにおいて、インドにおいても、エジプトの一小都市においても、一種の自治団体をなし、多民族を統御することができるのだ。大英帝国形成の基礎、実にここにある。中国の教育も徳性の陶冶を前提としているが、それが目標としている修養とは大いに相違点がある。およそ英国式の陶冶は性格をますます剛くするが、中国式の陶冶は性格をますます柔らかくし、優柔不断の段階まで到達すれば、徳が高く人望があるということになる。儒家の学説は決してそのようなものではないが、歴史上においてそのような結果となった。「修養」の二字には、屈辱を忍んで重責を担うこと、平和達観、能ある鷹は爪を隠すこと、喜怒を表情に表さないこと、人の恨みを買わないこと、目の前の損をしないこと、賢い計算をすることなどを重視する意味が含まれている。ゆえに中国で教育を受けていない人は危険な崖、絶壁、青々と茂る松、古い柏の木、腹を空かせた狼、俊敏な鷹、雄々しい馬、ヤマアラシ、荊棘(けいきょく)、鋭い刃、(水滸伝の)李逵(りき)、武松(ぶしょう)、自由闊達な女性、すべての扱いに困るもののような存在である。一方、修養を受けた人は、麺、餡入り餅団子、肥え太った豚、ペット、飼い馴らされた羊、カタツムリ、西湖の風景、雨花石、刺繍された毬、風輪、柳絮、綿花、垂れ下がったイボ、譚延闓、黎元洪、お人よし、すべての角のない人当りのよいもののような存在である。

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