国事多難なり! 慣例を破って二言三言、発言することをお許し願いたい。政府はこれまで我々に平静であることを求めてきた。我々もまた、努めて平静であろうとし、時の政治を評論することを控えてきた。政府はこれまで、我々に身の程をわきまえ、服従し、集会を開かず、デモを行わず、国事を語らず、外交を語らないことを求めてきた。我々もまた、身の程をわきまえ、服従し、集会を開かず、デモを行わず、国事を語らず、外交を語らなかった――その結果がこれである! 今日、国事がこのような危急を告げる状況に至って、誰が真に救国の重任を担うことができるか。焼香をして死者を弔う暇もない中で、およそ中国の父母が生んだ者で、命令に従って服従しない理などあろうか? 今、私が言いたいこともまた、二言、三言に過ぎない。一つは、今日の亡国への近道は、民の口を塞ぐことに如くはない、ということである。国難に対応するのは、二、三の立派な士大夫が白い手袋をはめてシャンパンの杯を掲げて対応できるものではなく、全国が朝野一体となり、心を一つにして国難に共に赴くことではじめて救いがあるというものである。国難に共に赴くとは、必ずしも宣戦の後に一斉に敵前に赴くことを指しているわけではない。つまり、一人ひとりが国家のことに対して一分の責任感を持っているということであり、国家を語る一分の資格が自分にはあるということである。国家が隣国と協定を結べば、私もまた内容がいかなるものであるかを問うことができ、国家が何か新政を行おうとすれば、何が良くて何が良くないのかについても、私は語ったり、意見を発表することができる、ということである。今は、少しでも動きがあれば言論が禁止されるが、これは全国の国民をして自ら非国民の地位に居らしむものであり、国事を語らないことをもって相戒めている。母は子を戒めるのにこれをもってし、兄は弟を戒めるのにこれをもってし、意気投合した友人も相戒めるにこれをもってする。国を挙げて相戒めるのに、国事を語るなかれをもってする国民が、果たしてどのような「国難」に「共に赴く」ことができるのか、誰が信じることができようか? 故に曰く、言論の自由を禁止する政策は、政府が自殺する政策である、と。嗚呼、痛ましいかな! 我が国民は果たして先天的に意気消沈したバラバラな砂なのだろうか? あるいは、人権の保障がないもとにおいては、意気消沈したバラバラな砂にならざるを得ないのだろうか? 私は三民主義の民権主義の立場から少し問うてみたい。五・三〇時代の民衆は意気消沈していたか? 意気消沈してなどいなかった! 五四時代の民衆は意気消沈していたか? 意気消沈などしていなかった! 天安門でデモ大会を行い、曹汝霖宅を焼き討ちにした民衆は意気消沈していたか? 意気消沈などしていなかった! 北伐革命の民衆は意気消沈していたか? 意気消沈などしていなかった! 八年前の民衆は彼のごとく、今日の民衆はかくのごとし。いったい誰の過失か? 私はあえて大胆にこう言おう、民権の低下、民の志の消沈は、現在が最低を記録することだろう。嗚呼、痛ましいかな! 久しいかな、提灯の大会の国慶を見なくなって久しいかな。哈徳門の大通りで雨を冒してのデモを見なくなった! 民衆が国事について語ることができなくても、国事が健全であれば、もとより話すことはない。国事が健全であるわけでもないのに、なおかつ一言も発するを許されないならば、その腹の中に溜まった憤懣はどうすればよいのか! 平静なのは良いことだが、あまりにも長く平静であり続ければ、酔生夢死に近づいていくことになる。一人の酔生夢死の国民に国難に共に赴くことを望んだとしても、これを得ることができるだろうか? 総理の遺嘱を読んで「民衆喚起」の四字に至った時、我々は大いに自らを恥じないだろうか? あるいは、党国政府の樹立初期においては、奸党が横行し、内を安んずることなくして外を攘うことはできなかった。ゆえに、断固として武力をもってこれを処したと言う者もいる。文王有りて武王無くば周室を建てることはできず、武王が戎衣をまとって天下を有することができたのは、文王の徳によるものであろう。文王の徳もまた、戎衣をまとわなければ、必ずしも天下を有し、殷をついに討伐することができたとは限らない。これもまた一つの説である。だが、同じく肝に銘じておかなければならないのは、馬上をもって天下を得ることはできても、馬上をもってこれを守ることはできない、ということである。君の民を視ること塵芥のごとければ、民の君を視ること仇敵のごとく、民に臨むに威をもってするは、民に臨むに徳をもってするに如かずというのは、昔の言葉だが、封建がいまだ滅びていない中国においては、なお応用できるものである。今の国勢は、とりわけ民に臨むに威をもってして奮い起こすことができるものではない。動くなと国民を脅し、国民はそれに従って動かないという状況で、国はいったいどうやって興隆するというのか? 今日、国民は我が民を水火の中から救い出してくれる指導者を待っており、果たして指導者が現れて国民を率いて国際上の自由平等を追求してくれるなら、その徳に感嘆して神様女神様と呼ぶに違いなく、三跪三拝を求められても喜んで受け入れるだろう。またどうして、威を用いる必要があろうか? 当局者は常に民衆を無知と考える。私も一民衆だが、たとえ無知であっても、酔生夢死の贅沢三昧の腐敗した生活を送る一部の官僚ほどではない。彼にどんな知があるというのか? なおかつ、仲間の中には、私と比べて無知の程度が同じ者は決して少なくない。私の母も国事を語れば心を痛めるし、十歳の小学生も国事を聞いて心を痛める。知があるかないかは、官職にあるか在野であるかによって論じることはできない。今日、国勢は危急を告げており、皆の心を一つにし、誠をもって相待することで対外的に自然と団結できるのであって、対外的に自然と団結できないのは、威光があるかどうかに存するのではない。上が下を信じることができなければ、下もまた上を信じることはできず、上下が互いに欺き、互いに疑い、亡国の情勢が形成されることになる。北平の学校はしばしば学生を使って奸計をなして同級生を密告し、それによって同級生が逮捕され、青年たる国民たちが相互に猜疑する情勢が形成された。まさに十割の確率で亡国に至る必要条件である。宋の滅亡にせよ、明の滅亡にせよ、いずれも大臣の猜忌により、まともな士大夫を攻撃し殺害したことから始まった。ゆえに、この種の法術は今日においては断じて用いてはならず、万が一にも関わってはならない。第三に、今日誰もが、中国は万が一にも戦うことはできないと言っているが、戦うか戦わないかは重要ではなく、問題はその態度にあると私は考えている。今日の国難は、無脊椎の下男が顔を伏せ、下女が腰をかがめるように、いつもぺこぺこと、卑屈な態度を取る者が対応できるものではない。無脊椎の人間は、国民に平静を呼びかけ、下男や下女のように卑屈になることをもって自慢しないでもらいたい。国難が去った時、太平の宰相になるのがよいだろう。外交の何が難しいことがあろうか、我が家の母親でさえ外交を担うことができる。今、局面はしばしば転換し、中央委員が新しく選出され、人材は多士済々である。指導者が現れ、再び無脊椎外交を見ることがないことを望む。そうなれば、私は以後、喜んで国事を語ることなく、口を閉ざすことだろう。