日本語版『林語堂全集』を目指して

尊禹論


「禹なかりせば、吾は其れ魚ならんか」。これは春秋時代の劉定公が小皇帝として、現在の幸福の淵源に思いを馳せて、禹の功徳を述べた言葉である。「科学上の宗教の意義を築き上げる」ために「尊禹学会」を樹立するというのは、現代の名士たる熊希齢、朱慶瀾、戴伝賢、許世英、王遵成らの尊禹の願いである。当学会の宗旨は、一つには禹の勤勉倹約の徳を尊ぶことであり、もう一つは、「水利の建設に努めたことに関して、大禹の治水の偉業を称える」ことである。すでに南京廊後街に設立事務所ができている。


 戴季陶の尊禹は、なお邦医が神農を尊ぶがごときものであり、本来なんでもないことである。武梁石室の画家は、早くから禹を伏羲と同じくらい神秘的な存在として祭り上げており、決して珍しいことではない。ただ、禹のことに話が及ぶと、我々はどうしても顧頡剛を想起する。特に、想起するのが、禹はトカゲであると顧頡剛が言っていることである。尊禹の先決問題は、禹は何者かということである。この問題については、多くの異なる意見がある。顧頡剛の禹はトカゲであるというのが一つの説である。禹は巨霊(山河の神)であるというのが、もう一つの説であり、「魯語」に「仲尼曰く、禹の群神を会稽の山に致すに、防風氏後に至る、禹これを殺して戮すに、その骨節、車に専らなり」とある。禹は天の神を集めることもできれば、骨のある神を殺戮することもできる。「神骨」は車をいっぱいにするほどに重いものであり、禹が巨霊の神であることは間違いない。この説は荒唐無稽で、『論語』「泰伯篇」の「禹は吾間然とすること無し(禹には非の打ち所がない)」の説と合致しない。禹は自作農(躬稼)とするのは、南宮适の持説である(『論語』「憲問篇」)。禹は美味い酒をにくみ、善言の儒生を好むというのは、孟子の説き方である。禹は鐘と太鼓を懸け、四方の士を配置する賢明な郡吏であるとするのは、淮南子の見方である。禹は天地開闢の人類の始祖であり、「洪水芒芒」の時、「土地を治めて国境を定め」、繁栄を創造したというのは、『詩経』「商頌」の詩人の見方である。禹は東西二万八千里にわたって河、江、淮の治水を導き、工事を一手に引き受けたというのは、『書経』「禹貢」の説き方である。要するに、禹の正体は不明であり、言及する者は、伝説の神あるいは人間、または動物に値するものとしてこれを語る。


 しかしながら、私が思うに、このことは尊禹と大きな関係はない。問われているのは、尊禹の目的がどこにあるのか、ということである。もし、尊禹の目的が、彼の道徳を学ぶことにあるというのなら、たとえ禹がトカゲであったとしても問題ないはずである。雄鶏には五徳があると言うではないか? 蜘蛛は失敗しても再び挑戦するというのは、スコットランドの伝説にあるではないか? 蟻は勤勉倹約を知り、貯蓄をすることができるというではないか? 蜜蜂には団体精神があるというではないか? 勤勉倹約を提唱するのに、トカゲやバッタをマスコットにしてはいけないということはないはずだ。


 だが、もし尊禹の目的が治水のためならば、これにはすこぶる問題がある。武梁石室の絵画では、禹が手に持っているのは一つの鉄の鍬あるいは木の鍬だけであり、測量器一つさえ持っていない。もし、「科学上の宗教の意義を築き上げる」と言うのであれば、木の鍬を科学の測定器に改めることは、名目上は崇めることだが、実際は貶めることである。ましてや、禹の治水の方法も、禹の正体と同じように、言うことが一人ひとり皆違う。だいたい、孟子、丁文江が一派をなしている。孟子曰く、「禹の治水は、水の道なり」、治めずして流れ、之を治めて流れる。孟子曰く、「禹の行水たるや、其の事無き所を行うなり」。丁文江亦た曰く、「龍門は......自ら訪れたことがある。......すべてに天然の理由があり、禹とは少しの関係もない。ましてや、龍門は天然の峡谷であり、人による掘削を必要とせず、また人口的に造ることができるものでもない......そそり立つ山は三門と呼ばれている。二つの火成岩が凝灰岩の中に入り込んでおり、凝灰岩は脆く、火成岩は硬いため、浸食の速度に違いが生じるためである......禹と何の関わりがあるだろうか」。このような説き方からすれば、禹はただ船に乗ってこっちを見たり、あっちを見たりしているだけで、何も行っていないことになる。手足はひびとあかぎれだらけで、三たび其の門を過ぐれども入らず、とは言っても、それは治水の過程だとは決して言えない。もし、禹が龍門を穿ち、山を開き、黄河を海へと注ぎ、漢水を長江へと導いたと言うならば、間違いなく防風を攻撃殺戮した巨霊の神力を使わなければ不可能である。山海経に述べられているように、「禹が治水をする時には、応龍がその尾で地に描いた。こうして水の流れが生まれた」のだとすれば、一匹の応龍さえ捕まえることができない現代人にとって、どうして水利工程の模範となることができようか? ゆえに、禹の徳を尊ぶことについては私は賛成だが、禹の治水を尊ぶことについては不賛成である。


 もし、禹は治水の祖であり、これを称揚することを「中心思想」としているだけであると言うならば、禹の前になお鯀がいる。『書経』「洪範篇」は明確に「鯀則ち殛(きょく)して死し、禹乃ち嗣ぎて興る」と言っており、禹はその先父の遺志を継いだのだ。戴先生は「マントラ救国」文において、真言宗を信じない我々を事物の根源を忘れているとして罵ったが、これこそは事物の根源を忘れているではないか!


お問い合わせ先

林語堂研究 LinYutang Study

xiao-zhiyou@hotmail.co.jp

サイト内検索

© 2012 All rights reserved.| Webnode AGは無断で加工・転送する事を禁じます。

無料でホームページを作成しようWebnode