今日、豈明先生の「府衛を恕する」の一文を読んだ。その文末のいくつかの重々しい言葉は、私に重要な仕事を放棄させ、いくつかのより重要な話をするよう決意させた。
思い起こせば、民国六年の新青年時代、我々知識界は革命に一致団結しており、なすこともないまま後十年も歳月を無駄に過ごそうなどという気持ちは毛頭なかった。現在はすでに民国十五年だが、思想革命が少しも成功していないばかりでなく、知識界においては股裂き状態で、一方では革命を語り、他方ではまさに旧勢力と妥協している。これは当然に人が多く、様々な意見があるからに他ならない。多くの賢い人は、本来であれば官僚になってしかるべきだが、環境の関係により、一時的に教育界に閉じこもっている。教育界にこのような雑種分子が入り込んでくると、分裂は必至の情勢である。我々は決して珍しいことだとは思わないが、十年来の知識界の進歩にとってはひどく心を痛めるものであることは免れがたい。十年来、私を「乱党」「洪水猛獣」と称したのは旧清朝の大臣や遺臣であったが、現在私を「洪水猛獣」と称しているのは留学帰りの大学教授(江亢虎を指す。蓋し江とは洪水なり、虎とは猛獣なり)であり、もはや何も言うべき言葉が見つからない。我々自身は決して進歩しておらず、ただ我々の敵が少しばかり洗練されたのであろう! 我々が疑問に思うのは、これらの人々がどうして官職につかないかということである。彼ら個人のことを考えても、知識界自身のことを考えても、彼らが官僚として出世して一財産をなすことを誰もが望んでいる。なぜなら、官職につけば官僚の言葉を話すことになり、我々の誰もが官僚が話しているのだと認識することができ、もはや騙されなくなるからである。同時に、教育界の孤高を汚さなくても済む。もし反動派の誰もが官職につくならば、それは知識界の分裂を免れる良い方法である。
知識界の内部が一致しない限り、軍閥や官僚を打倒したいと考えるのは絶対的な空想である。この一歩を見極めることができず、毎日ただひたすらに軍閥の打倒を大いに語るだけでは、その結果は一種の空論に流れるだけである。いわゆる軍閥は虎であり、知識界は少なくとも狼であるべきであり、団結することでようやく抵抗の希望が生まれる。もし狼の中に何頭かの狆(おべっか使い)が混ざっていたなら、一方では虎(章士釗を指す)のスパイとなり、他方では知識界自身の団結を乱すことになり、あと五年も経たないうちに知識界の戦闘力は完全に消滅することだろう。
そのため、こうした輩は突然に綺麗ごとを言ったかと思えば、また突然に訳のわからないことを言ったりするが、いずれの場合も我々は用心しなければならない。その綺麗ごとと訳のわからないことは、いずれもその私的利益から解釈することができる。禽獣を率いて人を食らう我々の敵は、将来はこの輩たちであり、革命勢力に致命傷を与えるのもまた、こうした輩たちである。
今回の惨事(十五年の「三・一八」天安門虐殺事件を指す)の後、「喪家の狗」たちの挙動や言論はより一層顕著になってきている。豈明先生が言うには、今回老段(祺瑞)が殺人を行うことができた理由は、実のところ知識界の身分が官僚よりも潔癖で孤高であるわけではなく、威嚇したりうまい話で釣ることが可能であることを知っていたからであるという。あるいは情実を語り、あるいは大洋銀貨を使うことで、「輿論界」から彼を擁護する者たちが必ず一定数現れる。だからこそ、彼はこのようにすることができたのだ。この言葉は我々を深く考えさせる。実のところ、章士釗が政治の舞台に上がってから行ってきた一切の罪業は、一つとして、この「輿論界」の保護によるものでなかったものはなく、その一部は正人君子および大学教授が責任を負うべきものである。これは決して「現代評論」の先生たちにならって政府にかわって包囲を解こうとする手段ではなく、実情がまさにそうなのだ。もし章士釗が教育界が一致して彼に反対することができることを知っていたならば、あのような様々な残酷な手段を必ずしも繰り出すことはなかっただろう。そう断言することができる。女師大を解散することができた理由もまた、一部の「輿論」の助けを頼りとしたものであり、一部の教授たちは彼になり代わって威勢を助長し、同時に、新文化の領袖たちは「女子学生は誰でも娼婦として陪席させることができる」と語った。それがゆえに、女師大はさらに解散を余儀なくされたのだ。同時に、四十歳以上の奥様方は向こう側で憤慨激昂して、今日の女学生の「学風」は「立て直す」ことが何としても必要であると言い、「立て直し」をする時に、「乗用車に座って劇を観に行く」人がいる有り様である。これらの話はすべて過去に属することであり、あえて提起しなくてもよいが、今回の惨殺事件を経て、我々は教育界と政府による「互助」の問題について、一つ徹底的に研究しなければならなくなった。仮に新聞に掲載された各校教職員の代表が政府を敷衍している事実が本当であれば、である。もし毎回、政府が数十人の学生を虐殺し、数百人の学生を銃撃によって傷つけた後に、九校を代表する四校が政府を問責する案を通過させようとしないとしても、我々はなおもこのように耐え忍ばなければならないというのか? 将来、青年たちが政府からいかに残酷な仕打ちを受けようとも、知識界からは政府のために一役買う者が現れ、政府に反対するいかなる提議(章総長の教育を攻撃するものでもよいし、執政府が負うべき殺人の責任を声明するものでもいい)であっても、自ら分裂して一致しないとすれば、いったい革命の何を語ることができるというのか?
近来、しばしば教育界の革命派と反動派は関係を修復すべきで、内輪で攻撃すべきではないと提議する者がいる。この種の提議に対して、我々は全面的に拒絶する態度を取っている。我々は絶対に適当な妥協はしない。政府と適当な妥協をする人の妥協とは、政府と同じ立場になる妥協である。この種の提議は全くもって笑うべきことである。もし、みんなの主張が一致しているなら、言論は自然と一致するものであって、適当な妥協をする必要はない。また、もし、みんなの主張が根本的に異なっているなら、単に表面上の一致を求めても意味がない。「平」らかになっていないのに、どうして「和」を語ることができようか? 我々は章士釗を罵るが、あなた方も罵ることができるだろうか? 我々は研究系を攻撃するが、あなた方も研究系を攻撃することができるだろうか? 我々は「晨報」を深く憎むが、あなた方も「晨報」を深く憎むことができるだろうか? もしそうすることができるなら、表面上は不一致だが、自然と一致するはずであって、やはり講和の必要はないということになる。
私はかつて、我々はまず「内に文妖(異端の作家)を除き」、そしてはじめて「外に軍閥に抗する」ことができると言ったことがあるが、この文妖と軍閥の関係については、恐らくみんなあまりよく解っていない。豈明君は非常に明瞭に語っており、左に抄録する。ぜひ、この虐殺事件がまだ記憶に新しいうちに、少し深く考えてみてもらいたい。
(A)「以前の衛隊・軍警が立派で優れており、現在になって悪く変わったとは限らず、以前は銃の引き金を引かなかったのが今回になって忽然と引き金を引いたとは思えない。これはどういうことなのか? そう、衛隊・軍警が悪くなったわけではなく、北京の知識階級――著名な学者と新聞記者が悪くなったのだ......五四の役、六三の役では、学生たちは勇猛果敢に今よりもさらに激しく暴れまわった......あの時はどうして銃の引き上げを引かなかったのか? それは輿論が許さなかったからだ。私のこの言葉をあまりに迂遠であると笑わないでほしい。今と昔の状況を比較すれば、自ずと解るはずだ...」
(B)「五四時代の北京の各校教員はほとんどが一致して政府に反抗したが、今回の大虐殺の後は、連合して反抗できないばかりか、逆に合同会議の燕樹棠、現代評論の陳源の輩たちは陰に陽に矢を放って段政府のために一役買った。指名手配の意向に従って、いわゆる群衆の領袖に罪を着せてみんなの目をそらし、政府を攻撃する力を減少させた。このような醜態は五四時代にはなかったものである。実のところ、このような状況は決して現在になって初めて生じたものではない。去年の半分を過ぎたころからすでにこのような状態になっており、章士釗に反対する事件はこの無恥運動のピークであると言えるものであり、今回の惨殺はその結果であるに過ぎない。政府は以前はまだ輿論の制裁を恐れて任意にでたらめなことはできなかったが、去年になってこうした輿論の代表と知識階級はいずれもその向きを変えさえることができることを知った。章士釗はただ一千銭の手当を使うだけで、白話の虎の新聞社を最高学府に設けることができ、長期にわたって彼を褒め称えて弁護し、他人を誹謗する者が現れる。何という経済的なやり方だろうか! ある一部の『知識階級』を段・章の娼婦にすることで、段政府は自然と大胆になっていった――現在、銃の引き金を引かずにいつまで待つのか! こうして引き金は引かれた。こうして群れをなして政府を擁護するようになった!」
以上の言葉は果たして「あまりに迂遠」であろうか、それともあまりにも沈痛なものであろうか。ぜひ皆さん自身で考えてみてほしい!
もし以上の議論が間違っていないならば、我々に残された道はただ一つ、まず知識界の内部粛清を行うことである。つまり、まず文妖を除いてから軍閥を打たなければならず、文妖の声がなくなって初めて行うことができる。少なくとも彼らに「狼」の看板をかけさせるようにし、忌々しいことをするにしても恐る恐るやるようにさせ、決して現在のように快適に、白昼堂々と「晨報」や「現代評論」あるいは九校合同会議で公然と腹黒いことをやらせてはならない。我々は和を語らないばかりでなく、「犬と狼の戦い」が今日から開始されるべきである。我々の犬を打つ運動は今日から始めるべきである。北京の狆、媚びを売る黄色い犬、タニシ犬、バカ犬、その他一切の犬、すべての大人に養われたペット家畜の類は、すべて殲滅することができる。しかる後にやっと軍閥を打倒することを語ることができる。