日本語版『林語堂全集』を目指して

笠翁を責めるなかれ


 文章は書き易く、身を処するは難しというのは、古来より変わらない。当世の風潮は古いものではないと言う者がいるが、実のところ、世の風潮は元々このようなものであり、決してヨーロッパ風の東漸によってもたらされたものではない。


 人の心が狡猾であるのは、いつの時代でも変わらない。李笠翁はまさに乱世に生まれ、文字の獄が頻発する中で、失言による禍を深く恐れたがゆえに、「曲部誓詞」という作品ができた。その中で、「硯田に餬口し、原(もと)憤りを発して書を著すにあらず。筆芯の心を生じたるものにして、微言に託して世を諷したものにあらず。三寸の枯管を借りて、聖天子のために太平を粉飾したに過ぎず......」と言っている。これを読むと当時の文人の苦境を垣間見ることができ、一字一字に涙がにじむ。あるいは笠翁を勇気がないと罵るなら、笠翁の道を好まない方孝儒や楊継盛を真似るほかはない。中国には憲法によって保障された権利があるが、憲法を保障してくれる者はどこにもいない。このため、中国において人権を保障する最も有効な方法は「各人が自ら門前の雪を掃く」という格言であり、黄帝憲法第十三条に載せられている。ただこの憲法を順守することによってのみ、年齢とともに徳を高められ、子孫も繁栄することができるのだ。笠翁を罵りながら、方孝儒や楊継盛に倣わない者は、笠翁に首を差し出して斬られよと勧めるようなものである。斬首は傍観する者には確かによく見えるが、世の中を虚構と考えて、その境遇に身を置くことができる者には、無意味に感じるということを知らなければならない。我々は笠翁を責めることはできず、ただ笠翁が竹林の七賢の遺風を備えているほどに賢いと感じるだけである。「曲部誓詞」で次のように言っている。


「諸子百家はすべて寓話に属し、稗官(小役人)は比喩を好んだとひそかに聞く。『斉諧』という志怪小説には奇怪なことが書かれているが、本当にそのような人がいたのだろうか? 博望(張騫)は西域を旅してその名を偽ったが、どうして記した事実を偽っていないことがあろうか? 不肖私は、田を耕して口を糊する者であり、元来は発奮して書をを著すような者ではない。筆に心が生じているのであって、決して寸言に仮託して世の中を諷刺しているわけではない。ただ三寸の枯管を借りて、聖天子のために太平を飾り立てて美しくしようと、老婆心ながら世捨て人が路地裏に警鐘を鳴らしているに過ぎない。すでにして悲歓離合があるからには、


諧謔を離れることはできない。男役(生)と女役(旦)は花形とされるが、市場からの信託があるわけではなく、敵役(浄)と道化役(丑)は三枚目とされるが、これもまた無意味なものとして笑われるだけである。およそ劇場を調和させることは、静寂をもたらすのみである。ただ、人間の七つの感情は抑えることはできず、天地四方の至るところに存在するものではないのか? 何か一つ仮説を立てれば偶然事が起こり、仮装して一つ命じれば、誰かが合わせてくれる。どうして基礎のない楼閣を立派なひょうたんとは見なさないということを知ることができようか? 天地神明に誓って衷心から世に告げて、ほんの少しでも指弾されるところがあれば、三世にわたって沈黙することになる。すなわち、漏れれば誅され、陰罰を免れることは難しい。作者のなすことが明らかになったならば、どうか観察者にはタイはないことをご諒解願いたい」


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