豈明(周作人)はある文章で明末の異民族との戦いに言及しているが、当時の人の記載を引用して、異民族はもともと関中を直接指揮する夢想は抱いていなかったと言っている。ところが、北京の人民は「女は妾になることを願い、子(男)は臣を称することを願い、異民族が来たに去ることを許さなかった」。論者は、一時の利得を求めて、千古の悪名を残すものとして、戒めとすべきだと言っている。実のところ、秘史、逸聞、筆記録などの文書に対しては、もともと二つの見方がある。一方は記録を恐れる派であり、他方は記録を恐れない派である。記録を恐れる派が言うには、新聞紙上のニュースは読んだらすぐに捨てられ、記録のように長きにわたって後世まで伝わるものではない。また、ニュースは対処する方法があるが、記録が世に出るのは常に当事者がすでに黄土に返った後であり、死人が棺桶の中から手を伸ばしてそれを塗りつぶすことはできない。生前に政治圧力を使って民の口を防いでいた者も、死後はおのずから口を防ぐ暇はなく、民の口を塞ぐ方法がついになくなる時が来る。恐れないでいられようか! 記録を恐れない派が言うには、自分は妾にもなり、臣とも称したが、天は我を厚遇し、富貴を享受して一生を過ごした。千古の後にどうなるか、美名かそれとも悪名を残すかは、地上の棺に入っている自分が聞くことができることであろうか? 聞くことができないならば、我と何の関係があろうか? 私が思うに、両説にはそれぞれ是非がある。ニュースは聞かなくてもよいが、是非はおのずから人心にある。およそ国家興亡の一大事件については、おのずから事情に詳しい者がこっそりと記録し、それを秘匿したものが存在する。見たところ差支えないようだが、まるで地中に埋めた種子のようなもので、将来が本当に恐ろしく、再び日の目を見る時が必ずやってくる。また、厳密に秘匿されていればいるほど、日の目を見る貴重性は高まり、後世の好奇心ある者が現れてこれを刊行し、「抄本」「孤本」と称されて一世を風靡する。ここにおいて再び世の人々と相まみえ、前人の汚れた歴史や卑しい行為が世に明らかにされる。作者はその是とするところであって、非とするところではなく、あまりに恐れすぎる必要もない。国家興亡の時は是非正邪が混乱し、歴史を評価するのは難しい。忠実で正直な者は必ず事に敗れ、狡猾でよくへつらう者には苦衷があると言われるが、これは恐れる必要がないことの一つ目である。国が亡びる時、恥知らずなことが起きるのはどの国でも同じで、記録する者の見聞には限りがあり、すべてを記録し尽くす時間などあろうか? つまり、その人が行ったやましいことの一端を記しているだけであり、遺漏して掲載されていないことは間違いなくその十倍はあるはずだ。私は本当に奸臣に苦衷があったとは信じない。その代わり、歴代の奸臣の行為で世に伝わっていることは、実際の十分の一にも満たないことを信じる。だから、結局のところ、得していることになる。これが恐れるに足らないことの二つ目である。明末について言えば、我々は今日、異民族の妾になりたいと願った女、異民族の臣を称することを願った男がいたことを知っているが、結局のところ、その男と女の姓名は知らず、三百年前に床につき、跪いて福を得たのは彼らであり、三百年後にここに座って思案しているのは我なのだ。悠久なる空間(宇)、茫々たる時間(宙)、これが記録が恐れるに足らないことの三つ目である。孔子が『春秋』を書いたため乱臣賊子が恐れたというのは、孟子が不用意に口にしたものであり、戦国においては乱れれば乱れるほど話にもされなかった。一体どこに恐れるところがあろうか?