某月某日、友人に誘い受けて上海北郊の某植物園に行った。植物園に到着して下車すると、園主の黄氏が迎えてきていた。友人の紹介を経て一望すると、長衫に布の履物、そして古い灰色の馬褂(上着)を着ており、まるで隠世した五十歳あまりの居士のようであった。黄氏は顔の血色もよく、額は平で、やや長い鬚をもち、和やかな雰囲気が顔に満ちた、まさに長者然とした人物であり、今日の上海ではもはや多く見かけることはできない。友人から聞いてはじめて、彼がかつて辛亥革命に参加し、官場生活に慣れず、郷に退隠して十余年を過ごしたことを知った。当日その場で友人が告げるのには、黄氏は今日は市内で会合に参加して帰ってきたばかりであり、さもなければ腰巾に半袖の服を着ており、長衫や馬褂といった束縛するものも着ないのだという。園地は六十畝あまりで、四季折々の花を備えており、とりわけ柏の古木が貴ばれている。竹垣や茅葺は、まさに隠者の住まいにふさわしい。茅葺の家の前には、丸く剪定された柏の木があり、その形はまるで和尚の頭であり、充実していて瑕(きず)一つないその様は、まるで顔真卿の字書のようである。これらは隠者が自ら誇るところのものであり、あるいは将来、子孫へ伝える至宝となるかもしれない。黄氏には妻がおり、子がおり、嫁がおり、孫がおり、肥料について語ることもできれば、また詩書について語ることもでき、実に農業の意味合いに満ちている。私はてっきり、黄氏はこのように淡泊明志で、国事などは一切耳に入れない、俗世と隔絶した人物だと思っていた。ところが、私に引きずられて話が国事に及ぶと、カッと眼が見開いた。聞くところによれば、上海戦の時には、自ら進んで後方工作に参加したという。果たして隠者であろうか? どうして本当の隠者であろうか! 天下の隠者は皆、胸の熱い人たちであって、決して胸のうちが冷たい人たちではないことを私は知っており、長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)が天下第一の熱血漢だと信じている。この種の胸の熱い人たちを茅葺の家に退居させ、花を植え竹を育て、国事を語らせず、余生を過ごさせている。こうしてあまねく天下の熱血漢に国事を語らせず、余生を過ごさせることが、国家の重大な損失でなくてなんであろうか? 中国の国民は、決して先天的にバラバラな砂なのではなく、ただ国家に法治がないがために、人々をバラバラな砂にさせているだけだと私は信じる。このことでまた思い出したのが、盧山の三怪傑の一人である李一平氏である。李氏もまた隠者の一人であり、布衣にして粗食、小さな学堂をこしらえて青年に荒山の開墾を教える。李氏は国事を語らないが、一たび語り出せばまた眼を見開く。最近、友人が見た李氏の手紙には、「痛哭すること千古に到り、頭を抱えて万山に入る」とあった。また曰く、「士君子は自らを食べさせる力がないにもかかわらず、礼義廉恥ばかりを語りたがる。まことにこの世の中にこのような恥ずべきことがあろうとは知らなかった」と。私は考えれば考えるほど、よくわからなくなる。こうした隠者こそが志のある人なのか、それとも、このごろ昇官発財して救国に努めている者が志のある人なのか? 黄氏と久しく語り合い、その言葉にも大いに趣があったが、あいにく記録をとる準備をしていなかった。ここに特別に記すことを通じて、決して中国国民のすべてが冷血漢であるのではなく、誰もがバラバラな砂であるわけでもないことを示したい。物理学者が言うように、物質の中心には潜在電力が秘められており、一滴の水でも、その中心にある力を解放すれば、列車を百里走らせることができる。このバラバラな砂の中にある潜在力を解放し、意気消沈した民族を勇猛果敢で積極的な民族に変えることができるなら、その人は古今における東洋第一の聖人となるだろう。