米中関係の歴史において、中国の国土、国民、歴史的背景および現在の問題の真の深い理解が、否応なく必要とされたことはいまだかつてなかった。戦争は間もなく終結し、アジアおよび世界協力における中国の役割が新たに決定されるだろう。戦争が1937年に勃発する前に、約束を交わして仕事を始めた同じ政府のもと、中国は工業化と再建の巨大な計画を実行するだろう。アメリカの協力が必要であり、熱烈に望まれるが、協力すると予想されているアメリカ国民は、彼らが資金と物質的支援をする相手に関しておそらく少ししか知らない。また不幸なことに、この相互理解は過去において、紛らわしい批評の雲によって覆われた。深い共感と友情の念が常に存在するものの、アメリカ人をして中国を心配させ、政府に対して不必要に不安を抱かせる傾向をつくった。戦争の終結と連合国の勝利が訪れるころ、私たちの状況は現在ほど悲惨なものではないだろう。
プロパガンダを信じているわけではないが、我が国の状況に関するレポートに煩わされて、私は7つの省に跨る大紀行をするために中国に戻った。私はいま、7年間の戦争を内部から見た中国人として、自らの経験と印象に関するこの記録を書いている。これは基本的には旅行記であるが、中国人と彼らの問題に対する、公正に提示された、より深い洞察に貢献する描写でもある。私は、このようにして獲得された知識の方が、経済や政治随筆よりもさらに深く詳細な内容を持つと信じている。誰かがその国と国民に関する素描をするまで、外国の問題について議論を始めることはできない。インフレーション、軍隊、社会および教育の基準という問題は、「内戦」として説明されるだろう。だが、中国共産党にとっては、これらは中国の国家統一の問題としてみなされている。
これは、私が見たものであり、感じたことである。7年間の戦争と2年間の封鎖の後では、私はどんな国に対しても幻想を全く持つことができなかったので、幻滅することはなかった。1926年から27年の国民革命以来、およそ20年間にわたって中国の進歩と課題を観測してきた私にとって、これらの広範な社会的、心理的な課題と困難は、新しいものであった。封鎖による一定の効果は、欧州戦線が勝利するまで、多くの人々が自己満足し、中国の眼の前には何ら重大な問題はないと考えることができたということにあるようだ。この効果の完全な破裂が、恐怖の驚きと共に感じられたいま、同じ人々は希望を失い、重慶政府に対して反抗を始めたが、私は国家指導部を疑ってはいなかった。社会的、政治的背景に関するより詳細な知識だけが必要とされている。これこそは、私が本書において提供しようとしているものである。
中国が求めているものは、涙もろい共感ではなく、連合国からの信頼と理解である。私はこの旅を通じて、批評が知的な理解に基づいており、より大きな目的と、より重要な目標を背景としているならば、中国人は批評を気にしないということを知った。しかしながら、浅薄で極端に限られた知識あるいは直接的な敵対的党派心の強いプロパガンダの場合には、軽率な批評は混乱をもたらし、中国人自身よりも周囲の公衆に多くの被害を加えるだろう。なぜなら、前者は多くのことを抱えており、遠方からの難解なゴシップを咀嚼するのに費やす時間がないからである。これらのへそ曲がりな批評のいくつかが中国で知られるようになるとき、外国の威信は傷つくだろう。東洋と西洋が一緒にならなければならないなら、両者は現在よりハイレベルの知性によって接することが必要である。たとえば、1つの基本的な背景的事実として、中国戦争は8年目になっているが、8年戦争の終わりのアメリカ人の士気、大西洋シーレーンが2年か3年断ち切られたときのイギリス人の士気ほど、中国国民の士気と回復力は悪くない。この背景を考慮に入れて、人々は多くのものを理解し、バランスの良い感覚を獲得できるだろう。
中国へのそのような信頼が正当化されることは、全く疑問の余地がない。まもなく戦争は終結し、疑惑のカーテンは上げられるだろう。そのとき、我々は勝利の姿と、戦前の数年間にそうしていたように、中国が回復力と自信と希望を抱いて再建するために、その傷口を清らかな水域で洗っている姿を目にするだろう。これらの瞬間的な懐疑は、信頼を抱いている人間からは去っていく。「水域に植えられた木がもとの川を離れ、いまだ春が訪れざるに、葉は緑に繁っているかのようである」。