日本語版『林語堂全集』を目指して

全人類の共通遺産へ向かって



 聖書には、ノアの子孫が天上界に到達することを目的としたバベルの塔を建てようとする話があります。神はその着想が気に入らず、人間があまりにも思い上がっていると考えました。その結果、神は人間にすべて異なる言語を話すようにさせるという罰を与えました。人間が互いに異なる言語で話し始めると、塔の計画は放棄されました。神が実際に人々に語ったことに対する混乱があり、我々は神の最後のメッセージについて合意に達することができませんでした。ある者には、神は「人間よ、汝は今、大人になった。自分自身の面倒を見よ」と言ったと聞こえました。もう一人には、神は「人間よ、汝の頭を使え。世界は汝のものであり、汝の望むようにせよ」と言ったと聞こえました。第三の者には、神は「汝らは異なる言語を話すが、汝らはすべて兄弟であり、困ったときには我がもとに戻ってくるがよい」と言ったと聞こえました。


 ノアの子孫の時から、我々は誰もが神の最後のメッセージを思い出そうとしてきました。そこには歪曲や矛盾した見解がありますが、メッセージがあったということについて、我々は確信しています。東洋と西洋のすべての賢者は、最後のメッセージを見つけようとしてきましたし、それが何であったかを推測してきました。


 ソローは彼の『Journal』で非常に上手に述べています、「我々は子どもの頃の夢を語るために大人になるのではないようだ。なぜなら夢は言葉を覚える前に記憶から消えてしまうから」と。


 我々すべてが共通の起源を持っていることは確かです。今、衛星テレビによって諸国民が互いに近づいてきており、我々は初めて未来に共通遺産を持つことになるでしょう。我々はいっしょに失われたメッセージを見つけることができるかもしれませんし、そうでないかもしれません。


 まず、中国思想への西洋文明の影響について簡単に触れたいと思います。ご存知のように、中国は完全にそれ自身の文化の型を発展させてきました。そこかしこからの借り物があるにも関わらず、その思想と文化の型は、起源において他の文化とは無関係でした。たとえば、それは今日の西欧文化のように、ギリシアとローマの文化が入り込んだわけではありません。


 19世紀の中国に対する西洋文化の影響は、悲惨で屈辱的であり、深い眠りからの浅い目覚めである痙攣のようなものでした。西洋には我々よりも優れたものがたくさんありました。眠っている龍を完全に目覚めさせるには、多くの殴打と打撃が必要でした。そして、中国は多くの誤ったスタートを切りました。結局は、西洋の考え方が今日の中国思想の素地に全体的に融合するほどに、西洋の影響は微細に広がっています。そして、この融合プロセスは、現代中国が完全に転換し、統合され、自信を持ち、現代世界の要求に十分に適応するのを我々が目にするまで、あと何十年も続くでしょう。


 文化の融合は常に選択的であると私は信じています。私は時々、突然の啓蒙である照明灯としての中国における西洋文明の衝撃を、面白くない不均等な表面を明らかにし、ある種の卓越性を強調するものだと考えることがあります。それは我々の文化資産の再評価を強制します。我々が賞賛していたもののいくつかは、空白の泡や醜い傷跡であることが示されました。無視されてきた我々の文化的伝統の中の他のものが、突如として新しい唯一の側面と見なされました。すなわち、自由中国における現代の文化ルネサンスは三つの特徴によって占められています。民主、科学、倫理――それは西洋からの新しい価値の照明灯に非常に大きく起因しています。中国にはある種の基本的なデモクラシーの教義と考えがありましたが、民主的な政治制度はありませんでした。今、我々は自らの欠点を知っています。けれども、経典の『孟子』には、かつてこう述べられていました、「国民は国で最も重要であり、国家は二番目であり、国王は最後である」(民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す)と。突然、我々はそのような言葉の意味と意義を理解しました。我々は自分自身に尋ねました。本当に我々はそう言ったのか? なんと意味深長であることか!


 第二に、西洋科学の圧倒的な光景と共に、我々は火薬や紙、羅針盤の発明を誇りに思います。だが、一方で我々は自問自答します、「なぜ中国はそれに匹敵する自然科学を発展させなかったのか」と。そして、我々は「なぜ、ああ、なぜなのか」と問い続けます。その原因は、自然を征服するのではなく、自然を忠実に受け入れるという宿命論にあるのではないかと我々は考えました。ところがその時、我々は宿命論と自然を受容することに反対することを教え、自然の征服を説いた重要な儒教の哲学者――荀子がいたことを発見しました。儒教徒は彼を讃えましたが、同時に拒絶しました。今や我々は、西洋科学の観点から、驚きをもって『荀子』を再読しています。「自然を偉大と考えて、その恩沢を思慕するよりは、自力でものを栽培し、それらを活用する方が良い。自然を賞賛するよりは、自然の法則を統御し、それを利用する方が良い。時を待ってその到来を期待するよりは、時に応じてそのまま利用し、有効に活用する方が良い...」(天を大としてこれを思うは、物を蓄えてこれを裁するに孰れぞ。天に従いてこれを頌するは、天命を制してこれを用うるに孰れぞ。時を望みてこれを待つは、時に応じてこれを使うに孰れぞ...)。我々は自分自身に言います、「荀子は素晴らしかった! どうして彼に何の注意も払われなかったのか」と。倫理に関しては、西洋の倫理は悪い方法であり、一般的に「哲学者」によって無視されていることを我々は知っています。我々の哲学の中心として倫理を守ることに、我々はより大きな誇りを感じています。


 他方で、中国哲学の照明灯では、論理、数学、科学的方法が西洋思想の最大かつ最も有用なツールであるが、西洋哲学の構造には西洋人自身は知らない不可思議な欠陥があるということが示されています。ここにおいて、東洋思想が西洋人に与える影響は、年が経つにつれてますます大きくなると私は信じています。哲学的方法に対する中国特有の貢献である三つの点について言及したいと思います。


 分析的、論理的な思考よりも優先される、直観的な洞察力と現実に対する総合的反応の役割。「総合的反応」とは、脳の前頭葉だけではなく、我々の存在の全体的な反応による現実の理解を意味しています。西洋は依然として抽象的な分析思考を頑なに信じており、論理によって証明できないものや科学的方法で検証できないものは知識ではないと信じています(今日の論理的実証主義者を目の当たりにします)。「直観」または「直観的洞察」という言葉は、論理的な体系には存在しません。しかし、論理的なアプローチと直観的なアプローチには大きな違いがあります。論理は抽象的なもので、物事を異なる断片に切り分け、時にはそれらを食べようとしてその過程で窒息することがあります。論理は物事をあらゆる角度から見て、評価・判断することはできません。それは物事の全体を見ることはできません。それは、連続する時間の中で起こる変数や事柄に対処するのには苦労します。一方、直観はより捉えがたい理解の形態です。それは経験と無関係ではなく、過去の経験に基づいています。もし好むならば、経験論と呼んでもよいでしょう。それは、物事をあらゆる角度から見て、感じ、触り、全体として評価・判断するようなものです。


 ここであなたは、哲学は知識だけで占められているという立場を取るか、あるいは、哲学は生によって占められなければならないとする東洋の立場を取ることになります。後者には、論理によってさばくことが難しく、取り扱う方法がない、非常に広大で重要な、説明のつかいない知識の領域があることがわかることでしょう。たとえば、パスカルは「愛(心情)は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」と言っています。愛、名誉、神、不滅、愛国心、季節の美しさ、夕べのコンサートの楽しさ――どうやってこれらのことを論理的思考によって扱うことができるでしょうか? あるいは、それらは哲学的探求の領域外であり、論理に適していないのでしょうか? これは近代西洋哲学のディレンマです。『プリンキピア・マテマティカ』(Principia Mathematica:数学原理)の著者が無神論者であることは、偶然ではありません。なぜなら、神は数式には還元できないからです。だからこそ、今日、倫理は孤児であり、哲学者が我々に言いたいことは何もない、ということになっているのではないでしょうか?


 否、神は数学的方程式ではなく、宇宙は三段論法ではありません。人生は素晴らしく、美しいものであり、もっと重要なことは、それが私たちの目の前に、今ここにあるということです。我々の教師が学問的哲学の灰色の漆喰壁にどんどん退いていくのにつれて、徐々に我々に言いたいことは、必然的にますます少なくなっていきました。


 どこかの岐路で、西洋哲学は再び詩に回帰しなければならず、学術用語に甘やかされるのではなく、人生への好奇心をより多く受容しなければなりません。哲学はもっと骨を少なくし、肉を多くことを必要としています。我々は、サンタヤーナの動物的信念、あるいは「私は私だ」と言う、ウォルト・ホイットマンの強い意識を持つことが必要なのであって、デカルトのように、彼が存在することを証明するために、「コギト(我思う)」に懇願する必要はありません。


 デカルトの時代以来、哲学的思考はその論調と進路において、より科学的で、より正確で「検証可能」なものであろうとする傾向があり、その範囲は狭められているように見えます。哲学者の人生観と宇宙観もまた、概観的なものよりも微視的なものになりがちです。それは木を見て森を見ず、枝を見て木を見ず、そしてついには、葉に広がる非常に微細な毛細血管を見て枝を見ようとはしません。検証可能で微視的な現実を追求するには、否応なく物事のより大きな見方を放棄することを余儀なくされます。それは、「生きるということbusiness of living」と密接不可分な知識の領域を、断念し放棄しなければなりません。それどころか、信仰、希望、慈愛といったような、すべての精神的真理を扱う術がありません。信仰、希望、慈愛はすべて、非論理的な、曖昧な、定義不能な用語であり、論理分析の厳密な外科用ナイフには従いません。我々が自分自身に正直であるならば、今日の現代哲学の枠外にある人間の生活の領域は、驚くほど大きく、重要であると認めなければなりません。これこそは、パスカルが「私はデカルトを許せない」と言った理由です。私も許すことができません。


 現実の不可欠な部分としての感覚の役割。F・H・ブラッドリーの哲学を除いて、西洋哲学における感覚の余地はありません。少し前に、私は現実の一部としての時間の要素に言及しましたが、それはあらゆる論理的な分析に適していません。現実が物事の永遠の流れ、すなわち未分化の連続体であるならば、それは水の流れのようであり、どんな論理的分析も、その水の断面を切り取ることを望むならば、水の流れにハサミを突き刺すようなものかもしれません。それが第一の難しさでした。


 西洋の哲学者は、事実が切断され、乾燥し、正確で、不動で、非常に便利で、検査の準備ができているという前提に常に立っています。中国人はこれを否定します。中国人は、事実とは何かが這って生きてており、ちょっと毛むくじゃらで、あなたの首の後ろを這って、触れればひんやり冷たいものであると信じています。ブラッドリーは、これを高く評価しています。彼は、事実、物質、原因、そして関係とは、外観だけであり、未分化の感覚の統合だけが我々に現実への手がかりを与えることができることを知っています。中国哲学は、常に感覚の主要な機能を当然のことと考えています。軍事的、政治的、または病理学的な状況は、統計だけでは与えられるものではなく、唯一の現実的な状況は、あなたがそれについてどのように感じているか、ということによって決まるとそれは信じています。戦う際に重要なのは、兵站ではなく、軍紀です。いずれの医療病棟においても、重要な患者の「状態」は温度のグラフだけでなく、「患者がどのように感じているか」ということです。中国語では往々にしてそれを「感覚条件」あるいは「感覚状態」と呼んでいます。この理由から、中国哲学は常に理性の上に感覚を置いており、いかなる命題も理性のみに合致してはならず、理性と人間本来の自然の感覚の両方に合致しなければならないと主張します。もし我々全員がそうするならば、人生はもっと快適になるでしょう。


 「真理(truth)」に対する「道(タオ)」の意味。東洋と西洋の最大の相違点は、おそらく中国語の「道」という言葉と英語の「真理」との間にあります。英語では「道」と全く同等のものはなく、中国語では「truth」という言葉と全く同等のものはありません。我々は同等の近似値しか持っていません。中国人が「道」として考えているは、中国の哲学的探究全体を包含しており、西洋が「真理」と見なしているものもまた、西洋哲学の全面的な独壇場です。西洋人は真理だけを探し、東洋人は「道」だけを求めます。至極単純に言えば、「道」とは抽象的な真理ではなく、あなたを解放する真理であり、人生を導くための実践的な重要性をもった真理です。「道(タオ)」とは「道(way)」であり、すなわち、「ここからどこへ行くのか」という問いに答える「進むべき道のり(path)」です。


 率直に言えば、2500年にわたる中国思想において、我々は抽象的な「真理」にはそれほど関心を払わず、正しい生き方に向かう道のりだけに関心を払ってきました。中国語の古文では、「真偽」を表す単語の対は「正しいこと」と「間違っていること」(中国語の単語「正」と「非」)を意味する単語の対であり、「真(true)」または「偽(false)」(正誤correct-incorrect)と見なされるものは、常にそれによって道徳的な承認または不承認の声を伝えます。それ故に、抽象的な「真理」を述べることは困難でした。


 この概念は、道教や老子の「道」に限定されるものではありません。この言葉は、儒者によって多用されました。したがって、我々は儒教を「孔道」あるいは「儒道」と呼んでいます。それは儒家と道家の双方が共有する概念です。「道(タオ)」は従うことができる道のりであり、もし従うことができないのであれば、それを「道(タオ)」と呼ぶことはできません。だからこそ、孔子は「道は人間本性から離れたものではない。もし道と呼ばれるものが人間本性から離れたものであるならば、それは道と呼ばれるべきではないだろう」(道は人に遠からず。人の道をなして人に遠きは、もって道となすべからず)と言ったのです。英語の表現では、「『真理』は人間本性から離れたものではない」(Truth does not depart from human nature)と言われる傾向があります。明らかに、ここでの「真理」は、科学的真理が意味するものではありません。真理が単に科学的真理であるなら、どうして人間本性から離れたものが真理と言えないということがあるでしょうか? 故に、二つの概念は異なっており、繰り返しになりますが、抽象的な真理に対して中国人はあまり関心を持たなかったことがわかります。換言すれば、真理は正しい生き方への道のりです。


 2,500年にわたる中国の歴史を通して、また異なる学派を通して、「道(タオ)」の概念が残っています。知識の可能性や不可能性の問題に関して、中国人はブッダに非常に感銘を受けました。ブッダは、バークリーやヒュームやカントよりも圧倒的で、おそらくもっと徹底的な懐疑主義の認識論の体系を持っていましたが、中国人自身はそれほど遠く離れることはありませんでした。典型的な中国の流儀として、王陽明は知識は行動であり、行動だけが知識であるという理論を思いつき、かなり重要な結果をもたらしました。私はアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの「知識は現実の機能である」とは、王陽明(1472-1528)が意味しているものの学術的主張に過ぎないと考えています。中国人が知識の追求に真剣に関心を持っていなかった一方で、幸福の追求にもっと関心を持っていた理由はここにあります。


 私が話してきたことのすべては、ある一点に帰着します。つまり、哲学は生きるということそのものと関係していなければならない、ということです。そして、東洋人が科学的真理と政治的民主のより鋭敏な感覚を学び、西洋哲学が灰色で塗られた学説の壁を離れて人間社会と生活の場に回帰するならば、平和で合理的な生き方をすることが十分にできる社会を再構築するのに役立つことでしょう。





―国際大学学長協会第2回大会での講演(ソウル、1968年6月18日)―




 (原題「Toward a Common Heritage of All Mankind」


『KOREA JOURNAL』Vol.8. No.7, July,1968)



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