(『毎日新聞』昭和20年9月26日1面掲載)
【ニューヨーク特電(UP特約)廿四日発】支那の世界的文学者及び思想家として有名な林語堂氏は目下米国ニューヨーク市に滞在中であるが毎日新聞の求めに応じUP通信社を通じ『日本に与ふる率直なる忠言』と題して廿四日次の如き一文を寄せた。】
日本は今やその国民生活の建直しといふ最も困難なる時期を体験しつゝあり、そのために明快、冷徹な思考を必要としてゐる。日本が新たなる状態に自らを調整し得るかどうか、その成否こそ日本が聯合国側の信用をどれだけ早くかち得るかの速度を決定するものである。しかもその信用は日本人自体によつて獲得されねばならないのだ。それは容易な業ではあるまい。しかし自らの利益のために日本はさうした精神的、政治的建直しを出来るだけ早く完遂せねばならない。さうした建直しがなされるまで日本国民は軍事占領といふことを考慮に入れてゐなければならない。
余は戦勝国が戦敗国民を「再教育」出来るものとは信じない。それは何ら感謝に値せぬ仕事だからだ。日本国民は自国の自由主義的指導者達を通じて自分自身を再教育し且つポツダム宣言の諸目的に副ふやう協力することを決意せねばならない。日本国民はただ徒らに悪態ついてゐたり或は地下運動や破壊的運動をやつたりするのでは結局何ものをも得られないであらう。さういふことは徒らに自らの艱難辛苦の年月を延ばすことに過ぎぬであらう。
現代日本人が犯す最大の過失ありとすれば、それは彼らが自らの敗北を単に原子爆弾のみに帰して連合国軍の海軍力、空軍力に敗れたのではないと考へようとすることである。黒竜会のヒットラー的人物などは或は右のやうなことを日本国民に諂らうとするだらう。さういふ連中はまた戦争に敗れたことを遺憾としても戦争を犯したことについては遺憾とは思はないであらう。今や諸国間の連帯といふ目標に向つて長い復帰の途を進まうとする日本にとつて、かうしたことは最も悪い出発である。日本国民の第一の仕事は軍閥並に国民的信条としての軍国主義を一掃し去るべき立法的、政治的改革である。だが端的にいつて日本人は征服の戦争といふことを信ずることをやめねばならない。それとともに“神聖なる民族”といふやうな無意味なことを信ずることを止めなければならぬ。総ての現代デモクラシー国家におけると同様に権力は民衆によつて選ばれた民衆の統治機構の手に移し替へられねばならない。支那は紀元前三世紀に封建主義的体制の社会から成長して来た。現在の日本もまた同様でなければならない。軍人階級の権力は封建時代の産物である。一旦軍国主義者による体制が外された上は日本にしても支那と同様に民主主義的な民衆指導者が起ち上つて国民を平和と繁栄の途に導いて行くことが出来ることは疑ひのないところだ。日本国民は既に高度の教育を持ち、思想の自由を与へられてゐる。しかして公民の自由保護は彼等自らの政府をして民主主義的要求に対し責任をとらしめる事が出来るのである。
第二の仕事として日本国民は君主制に関するあの神秘主義をふるひ落さねばならない。日本人の中にも確かにわれわれが神話的時代に生きてゐるのではなく、自らの考へを公然と述べるだけの自由を持たねばならぬといふことを認識してゐる連中もある。今度の戦争において日本の天皇は欺かれたか或はさうでなかつたかの何れかである。前者でありとすれば天皇は神性であり得ないことになる。また前者でないとすれば天皇は支那、米国等に対してこの悲惨な戦争を開始したことに対して責任があるわけである。日本国民としてはむしろ天皇が神であらせられたのではなく他に欺かれ給うたのであるといふ方がよいであらう。日本国民は勿論天皇を敬慕し奉りその命令に服すべきであるが、しかし天皇を狂信的崇拝の象徴とすべきではない。天皇は御自ら神であらせられるのでないことを十分御承知である。
第三には今後政府が出来上がるにしても、それは群小の商人、農民、労働者達によい機会を与へるべき社会的、経済的変革を招来するものでなければならない。これこそ支那にしろ、英国にしろ、米国にしろ総ての国々が努力しつゝある方向である。そしてこれがなされない限りわれわれは徒らに全体主義の他の形式に過ぎざる共産主義への途を開くことになるだけであり、しかもわれわれとしては全体主義といふものについて従来嫌といふほど経験して来てゐるのである。余は永年米国に住んで次のやうな信念をはつきりと持つことが出来た。即ちデモクラシーはこれらの諸問題を共産主義によらず解決することが出来る。