語堂注釈:本文が『大公報』に発表された後、多くの喧噪好きたちが文章の一部だけを切り出して都合よく解釈し、是非を転倒させ、あらん限りのことを尽くした。私はその当日に、人によっていかに歪曲されようとも、原文がここにあるからには、証拠を示すのは難しいことではないと述べた。かつ、原文の示している意味は極めて明快であり、歪曲する意図がなければ、誤解されることはなく、ゆえにまた別の文章によって答弁する必要はない。ここに原稿を『宇宙風』に再掲し、注意すべき点として特に二つのことを指摘しておく。非難された文章は、一に曰く「青年に『易経』を読むことを勧める」、二に曰く「中国にも床虱がいる」である。第一点について、原文では「自国文化を認識することは、もとより容易いことではなく......必ずや学問を好み、深く思考する者が......はじめて通じることができる」と述べており、また、「儒家の中心思想を探し当てることができてはじめて、中国固有の文化を語ることができる」のであり、「『易経』は儒家にとって深淵な哲理が寄託されているものであり、『易』を理解せずして、儒を語ることはできません」とも述べている。その意味は、「中国の学者が互いに勧め合うことを望む」ことである。これが「青年に『易』を読むことを勧める」の由来である。第二点について、原文では「国が大きいことで錯綜複雑となり、おのずから思い通りにならないことがあり、これによって自信が動揺します。本国がそうであるばかりでなく、各国ともそうであることを知るべきです。外国にも闇市があり......およそ一国の発展を見るならば、視線を遠くにやらなければならず......目前に思い通りにならない小事があれば、批評と矯正をなすべきだが、自らを信じる心は必ずや打ち立てなければなりません。他のことは消極でも構わないが、抗戦と建国は決して消極を許してはならない」と述べている。これが「外国にも床虱がいる」という一語の由来である。原文がすでにあるので、私は多言を繰り返さない。原文で自らの年齢が50歳にならんとするも、東西文化を理解し、『易』を理解していると言える立場にないと述べていることに至っては、学びて後に足らざるを知る者の言葉であって、単なる謙遜の言葉ではない。これによって「中国の学者が互いに勧め合うこと」を望み、当代の国民が儒家思想に対してより一層の理解を得ることを願うものである。この言葉をあえて悪用し、私がいまだ『易』を読んでもいなければ理解してもいないと言いがかりをつける者がいる。さらには、私が民国11年にベルリンで焦循の易学などの書をすでに読んでいたことも知らない、というデマまで飛ぶ始末である。およそこのような下品な蜚語は、尽く論じるに値しない。
―民国33年正月22日、桂林にて
私が今回帰国したのは、第一に国内情勢を視察し、抗戦の事実を求めるためであり、第二に我が国の人々に国際政治思想の動向を報告するためです。我が国に対する国外の流言は甚だ多く、伝聞は事実に基づいていません。あるいはどこかに書いてあったものであり、あるいは誰かの口から語られたものであり、あるいは宣伝のためにつくられたものであり、あるいは単なる無意識の無駄話であったりします。かつ、国が大きく、内在的能力がどうであり、思想の動向がいかなるものかは、決して西洋人の記者によって徹底的に理解、識別できるものではありません。望むらくは、今回の帰国を受けて再び国外に赴き、国外の見誤りや聞き違いを正し、さらに中国の将来の発展の動向に対し、外国人がより親しみのこもった認識を持ってもらえるようにしたいと思います。中国の公式宣伝は、組織があるものの、文字による宣伝はあまりにも少なく、米国における英国の宣伝に比べれば、ほんの僅かに過ぎません。最近の中国に対するアメリカ人の好意的友誼は充分に誠実なものですが、これによる中国の将来に対する気遣いも生じています。我々は様々な間違った理解や誤った論説を正し、中国政府および国民の正常な発展に対し、一点の疑いも抱かせないようにしなければなりません。
国外の政治思想の動向について、私はすでに『涙と笑いの間』という書を著しており、まさに翻訳中であるため、多くを語る必要はありません。「涙と笑いの間(啼笑皆非)」とは、泣くこともできず、笑うこともできない一つの局面を意味しています。収録されているのは公開されている材料であり、表明されているのは個人の見解であり、私の数年来の国外視察の総合的報告であるとも言えるものです。我が国の人々が読むことで、国際政治の将来の発展および戦後の局面に対して、より親しみのある認識を持つことを望んでいます。また、国内の人は読物に不足しているため、国外政治の表面に現れない潮流に対し、大きな隔たりがあることを免れないとも感じています。
本日お話しするのは、東西文化と心理建設です。なぜこのテーマを選んだのかと言えば、我が国の人々にはいまだ自信が不足しており、自信が確立されていなければ心理建設はなく、心理建設がなければ、物質建設は困難であると感じているからです。国が大きいことで錯綜複雑となり、おのずから思い通りにならないことがあり、これによって自信が動揺します。本国がそうであるばかりでなく、各国ともそうであることを知るべきです。外国にも闇市があり、過剰な詐欺があり、無駄な機関があり、余剰人員があり(米国の中央政府職員の300万人という驚くべき数にのぼる)、因循姑息にしきたりを守って責任をとらない官吏もおり、政策が立てられず次に打つ手が決まられない外交等もあります。私が思うに、中国は一つの大きな海のようなものであり、単に砂浜の上に漂う雑草や、シギ(鷸)とハマグリ(蚌)の争いに漁夫が利を得るといった子供たらしを見ているだけでは、海を見ているとは言えません。誰かの悪意的な宣伝は、まさに大海に向かって投石するようなものです。一つの石を投げ入れたところで、海水が増えることはありません。投げ入れた石を取り出したところで、海水が減るわけでもありません。およそ一国の発展を見るならば、視線を遠くにやらなければならず、信念が揺るぎないものでなければなりません。不正行為ももちろんあるが、深い感動を呼び起こすに足る抗戦の物語も多くあります。目前に思い通りにならない小事があれば、批評と矯正をなすべきだが、自らを信じる心は必ずや打ち立てなければなりません。他のことは消極でも構わないが、抗戦と建国は決して消極を許してはならない。これこそが純粋な態度です。孔子は、立国には三つの道があり、食糧を十分にし(足食)、軍備を十分にし(足兵)、民の信頼を得る(立信)ことであると説きました。「古(いにしえ)より皆死有り。民、信無くんば立たず」。ゆえに、食糧がなくても、軍備を捨て去っても構わないが、信頼はなければなりません。「信」とは心理建設であり、軍備と食糧は物質建設です。ここに孔子は物質主義崇拝者でないのはもちろん、心理学者でさえあることを見て取ることができます。それは精神と物質の両面が考慮されたものです。
しかしながら、一般社会が自信を持つようになるためには、国民が自国文化および西洋文化に対して、ある程度正しい認識を有していなければなりません。自国文化を認識することは、もとより容易いことではなく、西洋文化を認識することも、決して一朝一夕に可能となるものではありません。必ずや学問を好み、深く思考する者が古今に精通し、洞察力と識見を兼ね備えてはじめて通じることができるものです。だが、学問のことは極めて難しい。私はすでに50歳近くであり、中国語の文にも西洋の文にも目を通し、常日頃から視察して、その条理を探求し、中国と西洋の哲理、人生、社会、思想、習慣に対して、ようやくその一部を垣間見、その条理の一端を知るに至りました。しかるに、私は中国文化の哲理がわかっているでしょうか? 決してそうではありません。たとえば、『易経』について、いまだその概要も窺い知ることができていません。『易経』は儒家にとって深淵な哲理が寄託されているものであり、易を理解せずして、儒を語ることはできません。孔子が曰く、我に数年を加え、五十にして以て『易』を学べば、大なる過ち無かるべし(もう少し年を重ねて50歳になった後で『易経』を学び直せば、大きな間違いなどしなくなるだろう)。蓋し陰陽消長の理があるからには、卦書を等閑視することはできません。故に曰く、学びて然る後に足らざるを知る。およそこれらは皆、我々が力を尽くすべきところです。ヨーロッパの心理学者であるユングは、『易経』を読んではじめて、東洋の論理及び思想法と西洋の因果の論理が異なるものであり、科学の新しい条理にある程度合致するものであることを知ったと言っています。なぜなら、今日の科学の基本因果律はすでに動揺しているからです。事理の変化は極めて複雑で、決して原因と結果の科学のごとく簡単に語れるものではありません。信じない者がいるならば、試みに第一次世界大戦の顛末を何が因で、何が果か、分析してみるがよい。そうすれば、この断片の原因結果論は通らず、事実とも合致しないことがわかるでしょう。因果は同時に並行しるものであり、互いに起伏消長を繰り返す循環法則となり、相対論に近づいていくものです。私も孔子の言葉を借りて、もし我に数年を加え、五十にして以て中国と西洋の文化を学べば、その源流を究め、その要諦の一端を垣間見ることができることでしょう。これこそは、私が我が国の学者に強く勧めることに他なりません。
現在の中国の思想は混乱した状態にあります。外国文化は語るまでもないとして、自国文化についてもまた、正しく透徹した認識を持っている者は多くありません。しかし、正しく透徹した認識なくして、自国文化に対する自信を確立することはできません。一例を挙げれば、以前魯迅は中国書は読んでいると眠くなるが、外国書は読めば精神を刺激されると言いました。彼が言うには、外国には頽廃派がいるが、それは生きた頽廃派であり、中国には積極的に実社会に関わろうとする士大夫がいるが、それは死んでいる士大夫であるといいます。このような憤激の言葉は、認識と呼ぶことはできません。賈宝玉が出家するのは生きたものではなく、『罪と罰』の主人公が自殺するのは生きたものだとするのは、通らない話です。左派の作家は中国書は有毒であり、『三国演義』『水滸伝』の忠孝節義の話はすべて有毒であると説いています。現在、抗戦という視点から見れば、大後方の一般庶民が見聞きしているのは、まさに『三国演義』『水滸伝』の関羽や武松の劇だが、誰も上海租界の消毒された西洋帰りの青年たちの洗礼を受けた者はいないが、抗戦の力はかえってこれらの一般庶民を頼りとしています。中国書の中の忠孝節義の思想が有毒だと言うなら、試みに考えてみてほしい。4000年来、今日まで、いかにしてこのような良き庶民を育み、保つことができたというのでしょうか。やはり、左派の理論は事実と符合せず、固有文化を抹殺しようとする試みは、抗戦の事実によって反駁されています。この謎を目の前にしては、誰もが急いで頭を掻き、考え直すしかありません。ゆえに、この種の憤激の論は、認識と称することはできません。ただ青年の心理に迎合するものだと称することができるだけです。何をもってそう言うのか? 今日の青年は、古書を読んでいないことに対して、心に後ろめたい気持ちを持っています。そんな彼らに、古書は有毒なので読んではならないと告げることは、青年たちをして自分自身に「幸いにしてまだ古書を読んでおらず、毒にもあたっていない」と言い聞かせるのを助長するものではないでしょうか。『論語』『孟子』は読んだかと聞けば、「未だし」と答えて祝福して喜び、『史記』『漢書』は読んだかと聞いても、「未だし」と答えて祝して喜ぶわけです。そのため、誰もが内心に後ろめたさを抱かないのみならず、諸手を挙げて喜びに沸くことになります。ゆえに、これを青年の心理に迎合するものだと言っているわけです。ある者は古書は有毒であると言い、ある者は古書は封建思想であると言い、またある者は整理される以前の経書は読んではいけないと言います。要するに、理由は数多くあります。まさに我々が友人と約束した会合に行きたくないときに、数多くの理由があるのと同じです。左派の一世代前の作家に至っては、自分自身はベッドの上で隠れて古書を読んでおきながら、申し訳なさそうに、やはり数多くの理由を造り出します。ある者は自分は古書を整理しているのであって読んでいるわけではないと言い、ある者は毒薬であることは知っているが、自分は医者であり経験があるため、読んでも大丈夫だが、君たち後進の青年たちは万が一にもこのような毒薬を食してはいけないと言っている始末です。
逆に言えば、中国には近年、しばしば復古の思潮も見られます。盲目的に外国を崇拝することはもちろんいけないことだが、むやみな復古も行うべきではありません。この点では、儒・道・仏に対して、正しく透徹した学識を持つことがより求められています。儒家の中心思想を見出すことができてはじめて、中国固有の文化を語ることができます。とりわけ、西洋との比較のもと、その軽重をはかり、その利害を知り、その糟粕を捨て、その精華を取り、一つの哲学条理を得てはじめて、学者の批評の態度と呼ばれ、大国の風格と言うことができるわけです。『大学』の修身斉家治国平天下の言葉はよく見られ、その理屈もわかりやすく、理解している人は10人中8、9人はいるだろう。しかし、『中庸』の書について、真に中庸至徳を理解し、科学原理によってそれを説明できる者は、おそらく全国で何人もいないでしょう。「唯天下の至誠、能く其の性を尽くすことを為す」こと、および人の性と物の性を尽くすことの関係には、いずれも奥深い哲学が含まれています。さらには、荘子の斉物の論や列子の商丘開の喩えは、いずれも現代科学によって例証することができるものであり、理屈も意味もより明らかになります。これもまた、学問を治める者が苦心して新しい知識を発明し、古今東西のものが事実に合致することを裏付けることが必要な理由です。こうしたやり方によって、種々の知識を勘案して全面的に理解し、自分が書物のために使われるのではなく、自由自在に書物を自分のために使い、古今東西のものをを自分の注釈として収録することができるようになるわけです。
これは研究方面について述べたものですが、他に内外の交際方面もあります。先ほど私は大国の風格(大国之風)に言及しましたが、この四字に互いに努めることを望みます。今の人を思うに、思想が複雑で、断片的でまとまりがありません。我が国文化に対し、自信はいまだ立たず、物事を行うのに大国の風格を失っています。孟子は、人は必ず自ら侮りて、然る後にこれを人に侮られると言っています。上海の買弁洋奴が西洋のご主人様に奉仕する心理は、亡国奴の心理と言うことができるでしょう。西洋のご主人様を目の前にすると、必ず恐懼して身の毛がよだつのは、論ずるまでもないことです。しかし、私の観察によれば、不平等条約の心理は依然として存在しています。在留外国人「中国通」の華人を軽蔑する心理はいまだ改まっておらず、中国人の西洋のご主人様に奉仕する買弁心理も依然として改まっていません。改まっていないために、奉仕はさらに慇懃になり、いよいよ西洋の御主人様の軽蔑を引き起こすことになります。西洋人が最も重んじるのは自尊であり、自分自身に敬意を払うことであって、むやみに卑下することは、より外国人の侮りを招くことになります。これは近年の中国と外国とが接触した事件の中で、至るところに発見することができます。私はかつて、東洋の道は、譲りて然る後に得るが、西洋の道は、攘(はら)いて然る後に得ると言ったことがあります。お辞儀という雅な行為だが、西洋人に対しては万が一にも行ってはなりません。お辞儀をしている時に、相手が後ろから一押ししたらどうするのでしょうか。倨傲不遜と叩頭謝恩は両方とも行ってはならないことであり、いずれも大国の風格ではありません。むやみに誇大とむやみな卑下もまた、いずれも大国の風格ではありません。外国人と接する時に最も重要なのは、自尊心を持ち、傲慢不敬になる必要もなければ、過度に恭しく迎える必要もなく、高ぶらず諂うこともしないということであり、それこそが大国の風格というものです。争うべきものは、必ず争わなければなりません。もし19世紀の反植民地の心理がいまだ解けておらず、西洋のご主人様の機嫌を損ねることを恐れているなら、あらゆる外交は行いようがありません。
今日は中国と西洋の文化の本体に言及することはできず、ただその要旨を述べたにすぎません。しかし、中国と外国との交際に対して、二つのことを皆さんに伝えたいと思います。(一)必ずや自分自身を平等に扱って、然る後にはじめて他人も自分を平等に扱ってくれるものです。(二)国家の事は、我々がもし平等を勝ち取ろうとしないならば、外国人が平等というものをお盆に乗せて自ら送ってくれる理屈は決してありません。これは我々が目下、急を要する徹底的な覚悟です。
―中央大学での講演(1943年10月24日)―