林語堂(一八九五‐一九七六)は孤高の文士である。思想が迷走し、社会が混乱を極めた近代中国において、真に伝統中国を理解し、近代西洋を咀嚼し、両者を融合させることができたほとんど唯一の存在と言えるだろう。彼の思想と行動の跡を辿ることは、そのまま中国の榮光と苦悩を知ることになる。その営為から、中国が歩めたもう一つの道を発見することができるはずだ。汚濁した激流にすべてのものが押し流される中で、独り清流を進む者にしか見えない道が。
この稀有な精神的貴族の著作が充分に普及していないことは、世界の不幸である。共産主義に異を唱えたことから大陸において永らく忌避されてきたことはもとより問うまでもない。現在ではいわゆる「伝統」擁護の観点から「名誉回復」され、一般書店においても専門書棚が出現するほどの盛況ぶりと聞くが、大陸における「定本」とも言える東北師範大学出版社編『林語堂名著全集』の不備と改竄は甚しく、とても依拠するに足りない。
しからば、林語堂が何らの掣肘も受けずに縱横無尽に英文著作を書いた米国においてはどうであろうか。無論、その著書の多くは今でも版を重ね、名声は衰えていないが、ほとんどの中文著作は等閑に付されており、全集などは考うるべくもない。
幸いにして、日本においては、英文・中文を問わず、多くの先人諸氏が戦前より林語堂の著作を少なからず訳してきた。林語堂の業績に比べ、その分量は決して充分とは言えないが、これらの知的遺産を結集し、さらに未邦訳の著作を合せるならば、日本語版『林語堂全集』の完成は遠からずして成るだろう。否、林語堂の祖國である中国でもなく、また彼が活躍の舞台とした米国でもなく、この日本においてこそ、人々が虚心坦懐に読むことができる「全集」が求められている。
全集を編集するにあたっては、翻訳・編集・英文教本著作を除く、入手し得る全著作を対象とし、左記のように第一期『林語堂評論全集』、第二期『林語堂小説全集』に分けて刊行する。
《林語堂評論全集》
第一卷『リトル・クリティック(甲)』
第二卷『リトル・クリティック(乙)』
第三卷『愛と諷刺』
第四卷『不羈』
第五卷『語堂文集(一)機械と精神』
第六卷『語堂文集(二)孔子、南子に見ゆ』
第七卷『語堂文集(三)東西文化のユーモアを論ず』
第八卷『語堂文集(四)魯迅を悼む』
第九卷『言語学論叢』
第十卷『我が国土と我が国民』
第十一卷『人生をいかに生きるか』
第十二卷『中国における言論の発達』
第十三卷『涙と笑の間』
第十四卷『矛を枕に夜明けを待つ』
第十五卷『孔子の知恵』
第十六卷『老子の知恵』
第十七卷『米国の知恵』
第十八卷『蘇東坡』
第十九卷『則天武后』
第二十卷『共産主義の真実』
第二十一卷『中国人の生き方』
第二十二卷『悠久の北京』
第二十三卷『無所不談合集(上)東西思考法の相違』
第二十四卷『無所不談合集(下)紅楼夢を論ず』
第二十五卷『自伝』
第二十六卷『補遺』
《林語堂小説全集》
第一卷『北京好日』
第二卷『嵐の中の木の葉』
第三卷『西域の反乱』
第四卷『唐人街』
第五卷『奇島』
第六卷『紅牡丹』
第七卷『頼柏英』
第八卷『自由のまちへ』
いまだ前途は闇に包まれているが、一卷一卷、一篇一篇、一字一字を松明としながら、着実に歩を進めていきたい。日本および中国の精神復興に少しでも貢献できることを願ってやまない。
平成二十三年二月
華本友和